アドレナリンと感覚麻酔 

第三章 第十話

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  蒼の手は水洗いもしたことがないような綺麗な肌で、そんな手に巧みに追い詰められるともうたまらなくなる。聖月は蒼の≪説明≫を聞きながら、感じたこともない快感に震えていた。その姿は蒼の目に目新しく、そして楽しませた。 

「イったら何してもらおうかねぇ、一日中…」

 鈴のように笑う蒼は、とても愉しそうだった。

 だが、ほとんど聖月の耳にはその声はうまく入ってこない。蒼の手淫に翻弄され、それどころじゃない状態なのである。

 滑らかに、軽やかに、蒼は聖月の性器を弄る。相当それで稼いでいるみたいだぜ…――。どこかの蝶の噂した声が脳内に響く。ディメントでナンバーの上位になるための条件は容姿の良しあしだけじゃなくテクニックも兼ね備えることも重要なのことなのである。

 女役のほうが売れるこの界隈では蒼のナンバーフォーという順位は相当のものであり、容姿の魅力だけではない―――ディメントで提供しているサービスのテクニックが高レベルであることを証明していた。

 それを実感するしかなかった聖月はこれは≪貢がされてしまうな…≫と、客に共感すると同時に、蒼に対して畏怖の気持ちを抱く。

 この男は自分とは違う≪生き物≫なのだと。それは分かっていたはずなのに、突き落とされたような衝撃が身体に走った。

「ん…、ぅ…ッ」

 ギリギリと奥歯を噛み締めても漏れる吐息。蒼の綺麗な指裏で、際どい裏側の筋を撫でられ、くすぐられ、思いついたときに抉られる先端の刺激に聖月はとうとう耐える余裕もなくなっていた。背中に感じる蒼の肌の熱がまるで脳まで焼きつかせるような強烈すぎる感覚だった。

 蒼は聖月の嫌がることばかりしてきた。まるでそれが生きがいだとでも言うように。

 感覚がなくても愛撫が上手い客は身体が勝手に面白いぐらい反応するのですぐに分かる。その時と同じようにすぐに反応している自分の身体を見て―――ああやっぱり、蒼は恐ろしい奴なんだってことを聖月は実感した。

 普段の演技をする余裕はなかった。

 耐えきれないとばかりに痙攣する身体、聞くにも堪えない自分の上ずった嬌声、だらしなく緩んだ貌。演技ではない自分の全部が暴かれる。心のどこかでディメントにいる人と自分は違うと思っていた。自分はアイツらとは違う、快楽に溺れない人間だと。

 だがそれは違うと思い知る。

「なあ、イきそうか? イったら、俺の言う通りになっちまうぞ? イったら…」

 俺の――――――…。

「…ッ、う゛ッ」

 蒼の言葉は最後まで聞こえなかった。

 聖月は、ついに―――陥落した。自分の身体の奥にある≪何か≫が弾けて、快楽の電流があちこちに散らばった。その気持ちよさに身体を反らし、震わせ、汗を飛び散らせる。痙攣を繰り返し精を蒼の手に吐き出す姿は、悪魔の目に色濃く映った。

 普段は生意気ばかり言って言うことを聞きもしない奴が、自分の手によってなすがままにされている姿は蒼の雄の部分を刺激する。

 聖月の無表情が崩れるその瞬間。それが蒼の欲望を煽り、ムクムクとさらに嗜虐心が湧きあがる。

 部屋に充満する狂気の空気は聖月を飲む込む。

「あ〜あ…」

 愉しそうで、嬉しそうで――――わざとらしく残念がる悪魔の声。

 快楽の余韻に浸って飽和状態の聖月にも分かる、その蒼の声に潜む残忍さ。蒼は聖月の目の前に、汚れた手を見せる。それは聖月の精に濡れた蒼の手だ。その自分の愛液は聖月の脳にこびりついて離れないぐらいのインパクトを持っていた。

 蒼は≪馬鹿なセイちゃんに分かるように≫教えてくれている。

 お前は気持ちよくなったんだ――――と。

 ドクン、ドクンと、心臓が警告音みたいにけたたましく鳴り響く。

「≪同類≫だな」

 じゃあ今から自分とディメントの奴らが同類だって教えてやるよ――――

 今の蒼の言葉に、先ほど言われた言葉が頭の中に反芻する。

 聖月はぶるりと震えて、首を弱々しく振る。その姿は見るものに庇護欲と、嗜虐心を同時に刺激するものだった。それは目の前の男にとっては格好の獲物といってもいいだろう。

「早く認めちまえば楽になるぜ? なあ、セ・イ・ちゃ・ん?」

 わざとらしくクスクスと笑い、男は聖月の鼻先に手を近づける。聖月の鼻腔に、ツンとした自身の雄のあの匂いを感じた。

「…っ」

 聖月は目の前の精から逃げるように顔を背けた。それは言ってしまえば敗北宣言と同等の行為だった。―――聖月は認めたのである。自分とディメントの客が同じということに。そのことが分かった蒼はさらに声を弾ませ、聖月を逃げられないところまで追い詰めていく。

「こんなに出しちゃって、溜まってたのかよ。客と週2以上はセックスしてるのに、案外絶倫タイプ?」

「ちが…ッ」

 蒼の言葉に、聖月は顔を真っ赤にして反論する。

 週2以上―――その言葉はあながち間違っていない。ほとんど週4、5で客に会わされているのだから当たり前だ。蒼の言葉に、自分の状況を思い知らされた聖月は泣きそうになる。そんな心の揺れを見透かした蒼は、口角をあげた。

 聖月を見る目は、酷く蔑んだモノだった。

「ほら。ちゃんと見ろよ」

 ≪同類≫だな―――。目の前の男の声が蘇る。聖月の喉は明らかにヒクヒクとひくついて、蒼の目を愉しませた。

 自分の出した雄の香りは脳を麻痺させる。いつも吐き出される自分の精。それはいつもとは違う色を持っていた気がした。思わず目を瞑る聖月に、背後にいた蒼が動いた。

「…ぐっぅ…」

「美味しいだろ? ちゃんと飲めよ」

 無理やり口の自由を奪われる不快感と痛みに、聖月は呻く。―――突然前触れもなく口に指を突っ込まれたのだから無理もない。蒼の指にはべったりと、聖月の…自分の精がくっついていた。そんなものがついている指を入れられて、聖月の口の中は混沌としていた。

「ん、ぅぐぅ……ッ」

 逃れようとよじっても、左腕と蒼の身体全身がしっかりと聖月の身体を捕まえている。そんな状態から逃げ出すのは不可能だった。そしてあまり触れられない上顎を優しく、どこかいやらしく撫でられるともう耐えられない。

 痛みとそして…、むしろ気持ちよさが襲ってきてしまうのだ。

 裸にされた下半身はそんな聖月の真の心を曝け出す。

「ん〜…? 気持ちよくなった? 自分の精液舐めて、興奮しちゃった?」

「っあがっ?!」

 指摘され、下を見ると反応し硬くなった自身の性器が見えた。その状態を見て、聖月はさらにここから逃げ出してしまいたい気持ちがわきあがった。口腔を弄られ、背中にゾクゾクとした震えがやってくる。それはたしかに≪気持ちよくなって≫いたのだ。

 だがそれを認めたくなくて、首を小さく振る。そんな聖月に蒼は低く囁く。それは麻酔のように、深く脳髄に染みこむ。

「お前ってホント認めないよなぁ…、まぁいいけど」

 まぁいいけど―――そう言った蒼の顔にゾッとする。

 ふと見せる冷たい瞳。何もかもが有象無象、塵ゴミのようにどうでもいい…そんな気持ちが聖月に向けられる。何度もこの顔をされてきたが、何度見ても慣れない。自分を見る蔑んだ目はいつまで経っても慣れるはずもなかった。

 それよりも…と、続けられた言葉と行動に聖月は身体を硬くさせる。

「こっち使わせろよ」

「ッ」

 グイッと、肩を引き寄せられ尻に手が添えられる。その指の動きは、秘孔を探す蠢く指で、聖月は背中にゾクゾクとした寒気がやってくる。蒼の声は、熱を帯びている。いつもこうやって客を貢がされていたのだろうか。

「触るなっ…」

「ちっちぇ穴だな、でも…あぁ使い込んだ感触がするなァ…」

 秘部の表面を感触を確かめるかのように押されて、聖月は顔を真っ赤にした。

「ふ、ふざけ…っ」

 侮辱の言葉に、聖月は抵抗を一層激しくする。だがそんなことをしても、また赤子の手をひねるように押さえつけられる。

「暴れ馬の手綱を引くのは大変だな〜」

「誰が馬だよっ」

「種馬だか撥ね馬だかしらねぇけど」

 呑気な言葉と顔だが、やってくることは獲物を狙う雄そのものだ。暴れる聖月を抑える蒼。そんな攻防の時、切り裂く音が鳴り響く。

「誰だよ、イイところだってのによ」

「ぅっ」

 舌打ちとともに、インターホンが鳴らされたドアを一瞥する。聖月は神の救いだと、そちらを見つめる。だが蒼は目を輝かせる聖月を、目を細めた蒼は残忍な色を残した顔で見た。ニッと笑った蒼は、聖月を試すかのような言葉を言う。

「出てやろうか」

 クスクスと笑う蒼は、聖月を馬鹿にしきっていた。

「…っ」

 何も言えない聖月を面白そうに見た蒼は何度も鳴り響くインターホンをもう一度見ると

「うるせぇし、出てやるか」

 そう言って聖月を無理矢理降ろし「逃げても無駄だからな」と見下ろした蒼はドアへと向かっていった。

 


 

 

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