アドレナリンと感覚麻酔 

第三章 第十一話

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『ねえ、コウ、クミヤさんになんかしたわけ?!』

「……」

 聖月がこっそりとコウに聞いた瞬間、まるで聞こえているように目の前のナンバー2がジロリとコウを見た。見たものを委縮させる蛇の眼で、聖月も身体を固まらせる。

「ウ…ッ」

 コウが小さく痛みを叫ぶ。美也がコウの腕を掴んだのだ。それは、こっちに来い、という無口な美也の明確な意思表示であった。周りにいた人々は彼の行動に皆驚いている。

「わ、分かってますよ……」

 コウはそう言った。目をウロウロさせて、怯えた顔をしているコウを見て、聖月は思わず美しい美也を睨んだ。美也はそんな睨みなんてどうでもいい表情で聖月を一瞥し、コウを見つめる。細い腕に絡まる長い指はしっかりとコウに巻き付いていた。

 それはか弱い小動物を握りしめるような、見ている者を不安にさせる行為に見え、思わず聖月は叫ぶ。

「…っ、あのっ。コウに、何もしないでください…ッ」

 その言葉に、美也は小さく反応した。無表情な顔だが、無表情の自分を見ているので『馬鹿にしている』と聖月は分かった。

「…べつに、何もしない」

 あ、喋った―――…。

 ざわついた周りの人間を物ともせず、美也はコウに目線を送る。コウは、凄く嫌な顔をして、ゆっくりと頷いた。まさに苦虫を嚙み潰したようだった。コウはそっと美也に近づいた。クミヤは手を離し、後ろを振り向き去っていった。それに慌てて着いていくコウ。それは健気な姿だった。きっともうコウは美也の目線で、言葉を読み取るスペシャリストなのだろう。

「あれがクミヤの最近同伴にしたっていう子か」

 どこで入手したのか分からない情報を一人の客が言った。

「ナンバー2の同伴か。どんな≪いい具合≫なのだろうね」

 それに対し、小太りの客が目尻と鼻先を下げて話す。

 二人が去った後に、客が好き勝手に下世話な話を繰り広げる。コウが性的なモノで見られている不快感。ディメントで働いているなら当然なのかもしれないが、やはり気持ちが悪い。それに吐き気を覚えながら、聖月は小さくなる二人の後ろ姿を見送った。

 それは歪ながらも、どこか似ている二人の背中で。

「え〜、お楽しみ中の所申し訳ございませんが…」

 ぼんやりとしていた聖月は、小向の会場に響き渡る「閉会」の合図にほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 ―――あれから1週間が経った。聖月の中ではあのパーティーによって何か変化していたわけではない。あれによって客が増えたわけでも減ったわけでもなかった。だが、聖月の知らない間に一人だけ変化した人間がいた。

 平日の夕食時。聖月は一人で食堂にいた。温かいカレーを頬張り、空腹を満たしていたときだった。

「よォ」

 肩を叩かれて、聖月はカレーのスプーンを皿に落としてしまった。カシャーン…―――、談話の声が響くディメントの食堂で無機質な音が鳴った。それは周りの人々を引き付けるには十分すぎる音で。聖月は心臓が早くなるのを感じながら、その元凶を振り向きざまに睨みつける。

 声をかけてきたのはスタイルのいい身体をした、人を見下すように見下ろしてくるディメントナンバー4、蒼だった。手には彼も夕食を食べるのだろう。チャーハンを持っているのが見えた。

「そんな睨むなよ、久しぶりに夕食一緒に食べようって思っただけだって」

「……」

 勝手に前に座る蒼を、ついじろじろと見てしまう。一人で食べていたから別にいいのだが、やはりどこか嫌だった。

 上機嫌な蒼を見ていると嫌な予感がする。ケイも気を付けて、といっていたので警戒心を抱くのは当然だった。毎回こうやって素っ気なく返すよく自分に構うなぁ、と思いつつ、聖月はカレーを食べ進める。視線を感じ、前を見ると蒼がこちらをじっと凝視していた。思わぬ事に、聖月は思い切り咽てしまう。

「な、なんだよ…っ」

 聖月はハンカチで汚した口を拭きながら、蒼を睨む。

 初めて出会った蒼とダブって見えた。あの時も、こうやって、甘い目をしてこちらを見ていた。聖月の言葉に、スプーンをくるくると回しながら蒼は口角を上げた。

「なあ、いい情報手に入ったんだけど、話してもいい?」

「…ッ、」

 思わず聖月は息を呑む。聖月はその言葉に、耳を塞ぎたくなる。蒼の眼が、獰猛な狩人の眼をしていたからだ。

「や、ヤダ…」

 聖月は目を瞑り、拳を作る。嫌な、予感がした。

「何でだよ? お前の大好きな≪羽山様≫の事なのに」

 歌うように、話す蒼の言葉が遠くに聞こえた。

「――――」

 知りたくない?―――握った手を蒼の手で包み込まれ、そっと囁かれる。身を乗り出して囁かれた言葉に、汗が噴き出る。蒼の声がとても愉しそうで。それが聖月の不安を煽る。どうしてこんなに、愉しそうなのだろう。人の大切にしていたものを壊す笑みを浮かべている。それが分かり、心臓の音がドクドクと嫌に鳴り響く。

 宗祐の事を初めに教えてくれたのは蒼だった。そんな蒼の≪羽山様の良い情報≫なんて、きっとロクなモノではないだろう。そう聖月の直感が言っていた。

 ―――逃げないと。ここから。

 そう思うのに、身体が動かない。イヤだ蒼の口から≪羽山様の良い情報≫なんて聞きたくない、そんな想いと裏腹に、聖月の好奇心がムクムクと湧き上がる。どうしてだろう、知りたいと思ってしまう。――あの人の事を。

 そんな聖月の邪な心を神様は許してくれなかった。蒼の言葉は、聖月の耳朶に直接響いた。

「あの人、他の男娼館で出禁になってんだってよ」

 騙されて、ホント可哀想になぁ―――――…。

 そう言ってクスクスと笑う悪魔の声と言葉はにわかには信じられないもので、聖月は思わず蒼を突き飛ばした。予感通りに全くもって≪羽山様の良い情報≫なんてものではなかった。蒼の言葉は聖月の宗祐のイメージを覆すもので。手に当たる衝撃は、聖月の脳をさらに困惑させるように揺れ動いた。頭が痛い。胸が締め付けるように痛い。

「う、そ…だ」

 自分の声はあまりにか細いもので。まるで死人のようだった。

「ウソじゃねえよ。あの人、男娼を半殺しにしてたらしいぜ? お前、今は優しくしてもらってるけど、次は殺されるかもなァ?」

「嘘だッ、変な事言うなッ」

 いつの間にか聖月は蒼に掴みかかっていた。

 ―――あの人、他の男娼館で出禁になってんだってよ―――あの人、男娼を半殺しにしてたらしいぜ?―――

 蒼の言葉がグルグルと頭でループする。意味は理解出来た。だが、それは聖月にとって信じられない事で。襟元を掴みかかっても、蒼は苦しそうな表情は一切せずに飄飄とした笑みを浮かべていた。周りの男娼たちはナンバー3、ナンバー4の険悪な雰囲気を物珍しそうに見つつ、今にも殴りかかりそうな聖月を遠巻きに見つめている。

 聖月は今までこんな激情に駆られたことはなかった。怒りの感情を抱いたのは今まで何度もあったが、こんな風に掴みかかり、今にも殴り飛ばしたくなる感情に包まれたのは生まれて始めての出来事だった。ましてやこんな風に行動してしまうのは、自分らしくなかった。

 血相を変えて鼻息を荒くしている姿を蒼はとても愉しそうにショーを見ているような瞳で見つめていた。それがまた聖月の神経を逆なでする。ギリギリと、男のシャツの持つ力に手を入れる。すると蒼は聖月の事をさらに煽るように話す。

「おー、どうした聖月? すんげー必死になっちゃって。そんなに信じられないなら周りの男娼館に聞いてみればいい。羽山様の悪評はここらでは有名だぜ?」

「―――ッ」

 蒼の顔は嘘を言っているようには見えない。聖月は、どこにもぶつけられない怒りを手に込める。首がどんどんと締まっているはずなのに、蒼は苦しそうな顔を一切見せない。だから、聖月はさらに力をこめた。

 信じたくない。宗祐がそんな事をするはずがない。

 聖月の表情はまるで鬼のようだった。いつも無表情ばかり見ている男娼たちはそれに目を奪われ、誰も二人の事を止めようとしない。

「おい、2人とも。何をやってんだ?!」

 そんな緊迫した光景に声を上げたのは、見ていた男娼の一人に喧嘩が始まったと伝えられ、急いで食堂までやってきた神山だった。テーブルの間で繰り広げられていた光景に神山は驚いた。あの人畜無害そうな聖月が、蒼の襟を首を絞めるように掴んでいる姿を。神山は急いで二人に駆け寄り、二人を引きはがそうとする。

「セイ、離せ。ソウを殺す気か?!」

「あ…ッ」

 聖月は我に返り、突然現れた神山の顔を見て驚いた。げほっと声が聞こえ、前を向くと目の前には苦し気に咳を繰り返す蒼の姿があった。テーブルに乗りかかり、蒼を掴んでいた聖月の周りはカレーの皿が床に落ちていた。きっと自分がやったのだろう。聖月は慌てて手を離し、蒼を解放する。

「あーあ、神山様来ちゃった。もうちょっとでいいところだったのに」

 蒼は苦し気に息をしながら、聖月を面白そうに見つめていた。

 聖月は恐ろしかった。蒼に危害を与えた自分も、死にそうだったのにこうやって楽しそうに笑う蒼も、全部。聖月は震える身体を抑え、顔を俯かせる。

 頭が真っ白だった。いつの間にか、激情に駆られ、蒼を掴んでその勢いのまま首を絞めようとした。…―――首を絞めるなんてそんなつもりはなかった。

 ―――俺は、今、止められなかったら人を――――。

「ソウ。今の状況でふざけるな。……セイ、自分が何したか分かっているよな?」

「……はい」

 混乱している聖月に、敬語ではない神山の冷たい声が響いた。聖月は静かに頷き、その場でうずくまった。

「ほら、立て。何があったか部屋で聞く」

 神山の声に導かれるまま、聖月はゆっくりと立ち上がる。周りの視線を感じ、聖月は俯いた。閉じた瞼の裏は真っ暗で、聖月は恐ろしくなって、自分の身体を抱きしめることしか出来なかった。蒼はそんな聖月を見ながら、面白そうに口を緩ませていた。

 


 

 

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