アドレナリンと感覚麻酔 

第三章 第十二話

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  宗祐は心の中で揺れていた。

 聖月に触れ、抱きしめてみたら、思いのほか細い体で驚いた。

 キツイ事を言って、怯えさせて、ここは危険だと…自分は危険人物なのだと教えたつもりだった。だが目の前の彼は涙を流して、そこに留まった。それはサディストにとって、魅力的な涙だった。ずっと見ていると無茶苦茶にしたくなる…そんな涙だ。

 聖月の顔は涙と鼻水でグチャグチャで酷いものだった。普段は無表情の彼がそんな顔をするなんて…そう思うと聖月に隠してきた宗祐の本性が興奮を隠せない。あのDVDで見た姿を思い出させる姿だった。今の彼は懇願し、奴隷のような扱いをされ、絶望しきった顔をしていたあの時と同じ顔をしていた。

 唾を飲み込み、聖月の濡れた頬に触れる。涙は透明で、純粋そのもので。

 ―――やはり、この子はここにいてはいけない。

 そんな想いが強くなる。

 今まで『ディメント』だけではなく、様々な男娼を犯してきたが宗祐はそんな事考えたこともなかった。セイ…本名『君塚聖月』は、騙されて男娼になった経緯がある。他にも同じ境遇の男娼はいただろう。だが、そんな境遇なぞ過去に過ぎず、快楽を受け入れているものが殆どだった。

 だから、宗祐は遠慮なく犯してきた。

 だが、聖月に初めて会ったときあまりにも小さい存在だったから優しくしてしまった。それが良くなかったのかもしれない。

 何度も会うたびに情が湧いた。ただそれだけなのかもしれない。

 泣いている聖月を押し倒したい自分と、見守っていたいと思う自分で宗祐は揺れていた。そんな事は初めてだった。昔の自分だったらあり得ない変化だった。

 今までの宗祐だったら、特に何も考えず遠慮なく抱いていただろう。だが、それはもう出来なかった。抱いてしまうことに迷いが生まれてしまった。

 聖月はきっとこのまま無理やり動かさない限りその場にい続けるだろう。そうしたら、俺は確実に聖月を犯す。犯して、聖月に言った通り泣いたって叫んだって許さず、閉じ込めて自分なしではいけない身体に『作り替える』。そんなどうしようもない未来が見えた。だって今までが『そう』だったから。

 堕ちるところまで堕ちてしまうそんな最悪な未来が見えた。

 だがそんな事してはいけない。彼には明るい未来が似合う。彼は笑顔が似合う。あのビデオがなければ、元々普通の幸せが似合う子だ。普通に結婚し、子供を育て、愛する人に囲まれた人生を全うする。

 これ以上傍にいたらきっと、彼を壊してしまうだろう。加減を知らず何回もプレイ中に男娼を殺しかけてきた俺に。

 ただただ泣き続ける聖月に俺は抱きしめた。―――これが、最後の抱擁になるだろう。震える身体を抱き寄せ、聞こえてくる二つ分の心臓を感じ、そっと目を閉じた。

 

◇◇◇

 

 ――――俺は、どうしてこんなに弱いんだ。

 バケツをひっくり返したような雨が地面を叩きつける。聖月は屋根の下で雨宿りをしていた。傘は持ってきているが、あまりの大雨に耐え切れず屋根に避難していた。地図は持ってきたが、水に濡れてよく見えない。携帯のナビ機能を使おうとしたが雨のせいで電波が悪く上手く繋がらない。

「…はあ」

 ため息までもかき消す大雨に嫌気がさす。

 雨の日は本当に嫌な事ばかりだ。

 宗祐から衝撃の告白をされてから1か月経った。あれから宗祐は一度も『ディメント』に来ていない。あの時言っていた宗祐の言う事は本当のことかもしれない。だからこそ確かめたかった。本当にそうなのか。本当に蒼の言う通りなのか。

 だから聖月は、インターネットで調べ、ディメント周辺の男娼館をしらみつぶしに調査をすることにした。

 今日はその一軒目だ。何でそういう日に限って大雨が降るのだろう。ここに来るのに聖月はずいぶんと悩んだ。勝手に宗祐の過去を探ろうとする自分が、とても卑怯な存在に思えたのだ。そしてこのことをすることによって、客と男娼の一線を越えてしまう気がした。

 それは気のせいではなく、事実だろう。普通だったらこんなことはしない。客である宗祐が来なくなったらそれまでの関係性だ。なのに、聖月は宗祐の事を知りたくて、他の男娼館に出向くまでの行動を起こしている。聖月は自分の行動力が恐ろしくなる。

 聖月はディメントのナンバースリーなのだ。聖月はあまり自覚はないが、かなり大きな肩書だった。『ディメントのナンバースリーであるセイ』の名前をこの周辺で同業者では知らない者の方が少ない。

 だからこそ、ライバルの店に行ったら何が起こるかは未知数だろう。

 この行為はそもそも『ご法度』なのだと思う。客の事をこそこそと調べるなんてディメントの蝶として、あるまじき行為としてさらにペナルティが付く。

 ――むしろそれでクビになればいいのかもしれない…、そんな破滅的な考えが浮かんでから頭を大きく振った。

 今はそんな事を考えている場合ではない。

「くしゅっ」

 聖月は大きなくしゃみをした。11月になり、肌寒くなってきた中、雨で濡れた身体はさらに冷えていた。聖月はそっと冷えた腕を手で擦り、気を紛らせようとする。時刻はもう19時。辺りは暗くなってきた。ディメントから歩いて30分ほどにあるこの場所は決して治安のよい場所ではない。

 雨で人がいないだけで、長居していたら男たちに絡まれてしまうだろう。ディメントのナンバースリーである自分を知っている人もいるかもしれない。そう考え、聖月はそろそろ移動することにした。

 ―――…頭がぼんやりする。最近、よく眠れていないからだろうか。ずっとあれから、宗祐の事ばかり考えていて、聖月はあまりぐっすりと寝れていない。

「はぁ…はぁ…」

 聖月は熱い息を吐きだした。雨が弱まった気がして聖月は傘を開く。バンッ、と大きな音がして傘が開いた。先程よりは弱くなったが、それでも強い雨が降っている。くしゃくしゃになった地図を見ながら聖月は目的の男娼館に足を進めた。

 足が重い。歩くたびに真実が分かってしまいそうで怖かった。そんなはずはないのに、そう考えてしまうのだ。

 聖月が向かっているのは、男娼館『ライブラ』。ディメントよりかなり規模は小さいが、同じくマニアックなプレイが出来るライブラは比較的若い店ではあるが根強い人気があるらしい。

「ぁ……」

 ライブラだろう建物が見え、聖月は足を止めた。黒を基調とした四角い建物には『ライブラ』と書いてあり、天秤が描かれている看板が見えた。そこから出てくる人が見え、聖月は慌てて近寄った。バーテン姿で、きっとここの従業員なのだろうと推測できた。

「す、すいませんっ」

「はい、なんでしょう?」

 聖月の呼びかけに反応し、顔を上げたのは髪色が茶髪で前髪が右目を覆い隠していたミステリアスな雰囲気のある掃除道具を持っている好青年だった。170センチほどの身長の彼は聖月より背が小さかった。そんなミステリアスな雰囲気とは裏腹に、声は優し気で聖月は胸を撫で下ろす。

 この人からなら何か聞けるかもしれない。

 突然現れた聖月に、20代前半ほどに見える青年は目を瞬かせる。

「ここってライブラですよね?」

 聖月が問うと、青年は背筋を伸ばし、思いついたように口を開いた。

「そうですが…、ご予約してくださった方でしょうか? 雨の中、ご来店ありがとうございます。どうぞ中に入ってください」

「え?! あ、えーっと…」

 にこにこと笑みを浮かべ、聖月を中に促すため青年に肩を触れられて聖月は戸惑った。

 ―――どうしよう…何に入るのはまずい気がする。

 そう思ったが、聖月は結局青年に促され中に入ってしまった。傘を閉じ、周りを見渡すとライブラは本当にディメントと比べると小さな男娼館だった。フロントも小さく2、3人しか客を入れられない大きさだった。だがほの暗い妖しい雰囲気が漂っており、ディメントとは違う非現実な空間が広がっていた。

 甘い香りがする店内にドキドキし、聖月は借りてきた猫のように小さくなった。

「お名前をお聞きしても宜しいでしょうか…って、あれ…」

 青年―――ナンバープレートには『黒川(くろかわ)』と書いている彼は聖月をじっと見ていた。そして驚いたように目を開けた。

「もしかして貴方は『ディメント』ナンバースリーの『セイ』…?!」

 黒川は顔を手で覆い、恐ろしいものを見る目つきで後ずさりしている。突然ライバル店のナンバー持ちがやってきたら、驚くに決まっているだろう。聖月はなんだか申し訳なくなって、頭をかきながら謝る。

「…はい、すいません。客じゃないんです…」

「あ、も、申し訳ございませんっ、変な事言ってしまって。あ、とりあえずこっちに来てください…、オーナーに見つかったら絶対にあなたの事スカウトしまくるので…」

 彼は何度も頭を下げて、フロント側のカーテンで隠された部屋に促してくれる。きっと従業員用の部屋だろう。聖月はここでもいいと言ったが、「他の客に見つかったら危ないです」と言われて従うことになった。

「今バックヤードにいるの俺だけなので見つかることはないと思います」

 笑顔で優しく言われて、胃がキリキリと痛む。なんだかとてもいけない事になっている気がする。頭の中で着いて行ってはいけないと警鐘が鳴った。ここで彼の優しさを無下にできるほど聖月は強い人間ではない。

 彼はきっとかなり優しい人なのだろう。男娼館で働くべきじゃない人種だ。だって普通は追い返すだろうに、聖月を匿おうとしてくれている。

 ―――なんだか、おかしなことになっちゃったなぁ…。

 聖月はため息を吐きながら、優しい小さな彼の背中を追った。

 

 


 

 

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