「下手くそ」
「――――ッ」
ぐっ、と奥まで侵入したソレに吐きそうになる。
頭上で脳髄まで染み渡る低音の罵った言葉が聞こえる。それは男―――ここではコウと呼ばれている、本名―――室井好紀(むろい こうき)に向けられた言葉だった。好紀は言った目の前にいる恐ろしいほどの美形な男に本気で殺意がわいた。
自分が下手くそなのが分かっているから余計にそう思ってしまう。
今にも吐きそうになりながら、好紀はその小奇麗な顔を歪ませる。
スタイルがよく足が長い男に跪いて自分は何をやっているんだろう。
どうしてこんなことになっているのだろう。
好紀は目の前の男―――男娼館『Dement』ディメントナンバー2のクミヤの性器を口に含みながらそんな考えても仕方がないことを考えてしまう。
好紀の状況は傍から見たら不思議な光景だっただろう。どんな光景かというと、部屋の一室でナンバー持ちの男が仁王立ちになっており下位のメンバーが奉仕をしているが、奉仕をされている方は全くの無表情のままで、何よりしている方が今にも吐きそうな顔をしているというものだった。
二人の行為の雰囲気は決して甘いモノではなかった。まるで主人と奴隷のような、そんな圧倒的に好紀に不利な状況だ。
だがおかしなことに、こうして欲しいと言ったのは、男の性器を口に入れ動かすことに嫌悪感を露わにしている好紀のほうだった。
自分のしてしまったことを今更悔いたってこの状況が変わるわけでも終わるわけではないことは分かっている。
だけれど好紀はつい考えてしまうのだ。
どうしてこんなことになっているのだろう、と。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
好紀は今年で22歳になる『Dement』で『蝶』として働いている小奇麗な顔立ちをした青年だった。
『Dement-ディメント-』とは、所謂さまざまなマニアックなプレイ、ハードなプレイも出来る界隈では有名な高級男娼館の名前だ。男娼、と言うのは言葉通りで男に性を売って仕事をしている男のことである。
ディメントではそんな男娼のことを表す言葉として『蝶』、『青の蝶』と分けられており青の蝶は男役、蝶は女役という意味で使われていた。好紀は『蝶』―――つまり女役をする男娼として好紀は生活をしていた。
好紀だって好きでこんな仕事をしているわけではない。
ディメントに入っている人たちは、だいたい親に捨てられて無理やりさせられていることが大半だ。
親の借金があるからその肩代わりとして、というパターンが多い。
好紀も嫌々ながら入ったが、皆と同じように無理やり両親に入らされたわけではない。自ら入っていったのだが、そんな本当な理由を話してしまうと同じ蝶に仲間としてあまり認められないと周りを見て知っている。
なので好紀は皆と同じように両親の借金のため身売りをするしかなくてディメントに入ったと嘘をついている。
ディメントの本部は都心にあって、大きいビルの中にあり、カード会員か、会員の紹介のみ入店できる会員限定の男娼館だ。一般人はなかなか入れないお金持ちの道楽だった。だがそれでも会員数は業界でもトップクラスであり男娼の数も100人を超す。
カードをつくるために大きなお金がいるので、会員は金持ちが多い。中には、企業の社長、資産家、有名芸能人、議員、政界を握っている人物もちらほらいるらしい。
何度も入店すると、どんどんランクが上がっていき、さまざまなサービスがついてくる。会員ランクが高いほど、男娼を好き勝手できるというわけだ。だが好き勝手に出来るのはナンバー持ち以外のメンバーのことだ。
ナンバー持ちと言われるのは20位以内からで、ナンバー持ちになると、嫌な客は引き受けなくたっていいのだという。
上位になるといろいろな高待遇になるが、さらに上位の売り上げナンバー5と呼ばれる売り上げ5位以上は別格で待遇がいい。
ナンバー5は、さまざまな特権を持っており、嫌な客は断れたり、無理な内容は断れたりするのだ。たとえ、大御所の会員だって、どうしても無理なら断ってもいいのだという。なのでナンバー5は、ほかの男娼の憧れの的で、目指すべき存在だった。
ナンバー5の料金は、ほかの男娼より破格であり、毎月稼いだ分+売り上げランキングの特別手当が支給される。それは一般人の年収をはるかに超える金額になるナンバー持ちもざらにいる。
ほかにもナンバー持ちには特権はさまざまある。客の待つホテルまで蝶の付添い人をつけることができる、その際のタクシー料金だって、払わなくていい。むしろタクシーなんて使わずに、運転手を雇っているメンバーもいるぐらいだ。
ディメントの寮でも、一番いい部屋に入れさせてもらえる。
売り上げナンバー5は、1位 アキ(蝶)、2位 クミヤ(青の蝶)、3位 セイ(蝶)、4位 ソウ(青の蝶)、5位 ケイ(蝶)である。ちなみにアキやクミヤなどは本名ではなく源氏名で、好紀はナンバー持ちで本名を知っている人はない。
多分互いの本名を知っている人物はそう多くないだろう。
好紀も『コウ』と源氏名を呼ばれているが、本名はオーナーである小向(こむかい)ぐらいしか知らないだろう。
好紀はナンバー持ちではないただの蝶だった。ただの蝶、というより下っ端中の下っ端だ。多分下から数えたほうが早い、売れていない所謂底辺の『蝶』だった。しかも首寸前の。
ディメントで首、なんて話は聞いたことはないが、はっきり言って好紀は首になってもおかしくはない状況だった。理由は好紀の『仕事中』の態度にある。
好紀は何もかもが『下手』だった。
―――客を喜ばせるような嘘をつくことも、技術的な事も、何もかもが下手だった。
好紀の見目は小奇麗な顔立ちで、客の興味を引くのには十分なものだ。スッと伸びた鼻に綺麗な二重の瞳。人好きのする顔立ちであり、顔はどちらかというと整っている。明るすぎない焦げ茶の髪は派手ではないが彼の魅力を引き立てていた。だがそれは普通の男娼館のだったら話だ。
ディメントでは好紀の顔は普通の部類だった。高級男娼館と言っているだけあるので他の男娼館よりも何もかもがレベルが高い。高給取りの客なので、見目に関する目は厳しい。
だが好紀の売りはそんな容姿ではなかった。好紀の売りは別の場所―――会話力にあった。
好紀は客を話で楽しませることだったら誰にも負けない自信がある。
だが、それを無駄にするのが肝心のセックスだった。
ディメントでは容姿も人気になる条件だが、セックスのうまさが人気になるための要になる。不愛想でも、セックスが上手ければ上位になることがある。逆はあり得ないのがこの界隈独特のものだろう。
好紀の態度は客にとって最悪なものだった。初回の客からは殆ど苦情が来るほどに。
まず会った時の印象は良い。感じが良く明るい話しやすい好紀に客は楽しそうにしていることが大半だ。
だが肝心のセックスが問題だった。
まず客がしてほしいことがよく分かっているのに、冗談を言ってごまかしてしまう。客にとってしてみれば大金をはたいてヤろうと思って来ているのに、冗談を言われるのでイラっとするだろう。
好紀はいい雰囲気を冗談を言って、雰囲気をぶち壊す癖がある。
そしてそんな雰囲気を壊した挙句に行為中は積極性がなく、顔も客との行為への嫌悪感がありありと顔に出ている。しかも嫌そうな顔をしてやる奉仕の数々は『下手』なので、まさに救いようがないのだ。
それはまさに客からしてみれば『あり得ない』ので、客はそこでだいたい怒って帰ってしまう。
―――好紀だって、客を怒らせたいわけじゃない。
だが、『セックス』と言う行為が気持ちの悪いだけだ。
だって、あんなの…―――。
「コ、コウ…?」
名前を―――源氏名である『コウ』と呼ばれて好紀は我に返る。好紀はニカッと笑って見せた。
「ん? なんだよ」
名前を呼んだのは寮の同室であるイチだった。イチはナンバー持ちの青の蝶ではあるが、部屋数が足りなかった理由で蝶である好紀と同室になった。イチは高身長で知的そうな雰囲気を持つ男だ。
イチといると安心する。イチは同室の仲間であり、大切な友達だ。
イチの本名を好紀は知らない。だけど、それでいい気がする。知らない方がいいことだってあるだろう。
「ホイップめっちゃ零れてるけど…」
「うおっ、ヤベェ」
考え事をしていたせいで、手元を全く見てなかった。いつの間にかホットケーキにのせるためのホイップが床に飛び散っていた。
やり直しかよぉ、と好紀が肩を落とし落ちこんでいると、イチは手伝うよと言って笑ってくれた。
それはディメントで男役として働いていると思わせぬ優しい笑みで、どうしてだか胸が痛んだ。それに気づかぬふりをして、好紀はありがとうとお礼を言って笑った。
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