目の前で愉しそうに笑う天使は容赦なく樹に鎌を振り下ろした。
「イヤだっ」
樹は悲痛な声をあげた。それは自分の性器を見られたくない、という切実な悲鳴であった。どうしてこんなことになってしまったのか。何度もそのことが頭のなかで回っている。考えても答えは出るはずもない。
「イズ暴れないで。気持ちいいことできないよ」
「な、なに言ってんの…?! あーちゃん、今日なんかおかしいって…!」
軽く言われた言葉に樹は首を振る。明日の言葉はどこか変だった。眼も、声も、仕草もいつもと同じように見えるのに、やっていることと言葉が普段の明日では有り得ないもので、樹は下着が脱がされた状態のまま叫んだ。
フローリングの上で暴れようとする樹に明日はさらに力を強くし、拘束する。
「別におかしくないよ? いたっていつも通りだよ。…あー、イズのちんこすごく綺麗…」
うっとりとした声で言われて樹は身体を強ばらせ、頭が真っ白になった。
「これじゃあ僕以外触ってない感じかな? あっ、でもイズもオナニーするだろうし…」
明日が樹のむき出しになった性器を触りながら、言葉を紡ぐ。それは樹の頭ではすぐには理解できないものだった。明日の日本語はとても流暢で癖もほぼなくなっているのに。明日がうっとりと蕩けたような綺麗な顔で、樹の性器に顔を近づけ触っている事実だけでもまだ頭が理解できていないのに。
唖然としている樹を置いて明日はさらに行為を進めた。
「あ…イズ、さっきイっちゃってたけど…もしかしてここでイった?」
「え?」
明日の手が後ろへ移動して、自分でさえ見ない場所に触れられる。小さな窄まりに触れるものが明日の指だと気づいたのは、ずいぶんと時間が経ってからだった。
その場所が秘部だと知ると樹は全身が沸騰したかのように熱くなる。
「…ど、どこ触って…ッ」
「ん〜? お尻の穴だよ」
さらりと世間話のように言った明日の言葉に樹は声が裏返る。
「な、なななっ」
なんで、どうして、嫌だ、恥ずかしい、怖い。樹の頭の中はずっと混乱していた。明日がそんなところを触っているとこも、この状況も、何もかもに。
「ザーメンが出てないのにイっちゃうの、女の子みたいだね?」
くすくすと笑いながら言われた淫猥な言葉に、樹は目頭が熱くなる。もう、嫌だ。こんなところ、明日に見られたくない。樹は抵抗をやめ、顔を手で覆った。
「…ちがぅっ、も、やだ…っ」
俺は女の子なんかじゃない、と樹は鼻声になりながら訴える。明日に自分の醜態を見せるあまりの悔しさか、恥ずかしいのか、感情がグチャグチャに混じり合いそれが涙となって流れ落ちる。好きな人にこんなところ見られたくない。ただ樹にあるのはそんな切実な想いだった。
樹がグスグスと泣いていると明日は一瞬、面を食らった顔をする。―――だがそれは一瞬で消えた。子供のように愉しそうな顔に戻った明日はさらに樹を追い込んだ。
「…ごめんね。でも可愛いイズが悪いんだよ?」
「ひぅっ」
ヒクヒクと震える小さな穴から指が離れたと思ったら、今度は勃ちあがり震えている雄の象徴をつうっと撫でる。その刹那に残る気持ちよさに身体が歓喜しているのが分かる。出てきた悲鳴も自分の声とは思えないほど甘い。
「女の子イキだけじゃかわいそうだから、ちゃんと≪白いの≫出さないとね?」
試す言葉と視線にさらに涙が零れて止まらない。
「違う…っ、俺、っ…イッてない…ッ!」
ふるふる首を振る樹の姿は健気で庇護欲をわきたせる。
泣きながら絶頂の有無を訴える樹は、あまりに一生懸命で可愛らしいものだった。その訴えは傍から見れば滑稽にも見えたが、それが逆に人の心に眠っている嗜虐心をくすぐるのだ。それは明日の目にも同じように見えていたことだった。
明日は瞳の奥の色を強くし樹を見つめ、蕩けそうなほど甘い声で樹を翻弄する。
「イズだめだよ〜? ちゃんと自分がおへそでイっちゃう子って自覚しなきゃ。こうやって悪戯されても文句は言えないよ?」
「や、やめっ!」
ぐりっとへそを押されて身体が馬鹿みたいに撥ねる。樹の敏感に感じている様子に明日は愉しそうに笑っている。
「またおへそだけでイくのはかわいそうだから、ちゃんと白いの出そっか」
女神のように笑っているのに樹に行う行為はまるで悪魔のそれだった。樹は突然性器を握られ激しく上下に動かされると、嬌声をあげた。
もう堪らない。一気に今まで触れられなかった部分に刺激がきて身体中が歓喜していた。好きな人の手でそうなっていると思うと、頭がおかしくなって狂いそうになる。だけどそう思うほど気持ちよかった。
「あっ、ぁ、う、っぅう!」
「ビクビク動いててか〜わい」
無邪気な声で明日は樹を絶頂まで導いた。
「あ、あぅっッ…〜ッ」
樹は背中をいびつに反らして断続的にクる絶頂感に堪えた。頭の中で火花が散り思考がうまくできなくなる。遠くで愛しい人の甘い声が聞こえる。『白いの出たね』―――あの幼い明日の声が。あのときは出なかったものが、今大量に明日の手を汚している。
ビクビクと震えて樹は身体を弛緩させる。脳内で点滅する言葉に酔いしれる。好きな人で達したことなんて今の樹には全部が夢のような気持だった。そんなはずはないのに。
イズ、イズ、イズ―――――…。
「イズの勝ちだね」
「あ……」
頭の中で呼んでいた声が、樹を現実世界へ戻した。目の前にいたのは――それは紛れもない明日だった。
「イズも僕と同じになったんだね」
「あ…ぁ、や…いや…だ」
微笑みながら樹の吐き出したものを長い舌で舐めとる明日を見て樹は冷水をかけられたようだった。明日の話す言葉は嬉しいはずなのに樹は恐怖で満たされる。天使のように綺麗な明日の唇に白濁としたものがべったりとついている。
それはあまりに衝撃的なものだった。今までの純粋な歌を愛する明日の姿が壊れていく。そんな恐怖が目の前の光景にはあった。
「イズ…」
「な、なんでこんなことしたんだよっ! あーちゃんおかしいよっ! 冗談でも度が過ぎてるよ!」
自分の方へ手をのばした明日の手を払いのけて、樹は叫んだ。これは樹の本当の気持ちだった。明日を傷つけるだろう言葉だとは分かっていたが、言わずにはいられなかった。こんなことをするあーちゃんは知らない。
あーちゃんは優しくて、かっこよくて、歌う姿は見惚れるほど綺麗で…。
「……僕がこんなこと冗談でやってると思ったの」
その瞬間空気が変わった。低い、甘い声なんて一切ない声に耳鳴りが響く。
「ぁ…」
身体にビリビリとしたものが走る。それは明日から出ている圧倒的なオーラによるものだった。樹はまた、選択を間違えた。それだけが分かって樹は、無表情になった明日の顔を震えながら見つめることしかできない。
綺麗すぎる明日の無の表情はまるで彫刻作品のように綺麗で、だからこそ恐ろしかった。いつも天真爛漫で表情が変わる明日からは絶対にありえない表情。そんな表情にしたのは、紛れもない自分だ。
「イズはずるいよ…」
そっと樹の顔に触れた手は震えていた。明日の顔が近くて、いつもだったら目を逸らしてしまうのに、逸らすこともできなかった。長い伏せた睫毛が小刻みに震えていた。
「いつも僕ばっか、僕ばっかりが勝手にイズのこと考えて…。嫌いになろうとしても、全然なれないから、苦しくて、憎くて、嫌で、辛くて、触りたくて、会いたくて、話したくて、ずっと一緒にいたくて……」
「っ」
明日が樹を抱きしめ、切羽詰まった言葉に頭に鈍器をぶつけられたような衝撃が走る。
「でも、イズは僕と同じじゃない…」
樹は泣き出しそうになるのを堪えるのに必死だった。様々な感情がグチャグチャになって、胸が冷たい氷の刃物で抉られているように痛み続けている。
「イズ…好き……嫌だ…僕を置いていかないで…」
樹に子供のように縋りついて言った明日の言葉は必死で、悲痛なものが混じり合っていた。だからこそ明日の言葉に嘘はないと分かる。
好きな人が自分のことを好きだと言ってくれている。『嘘』だと思っていたことが『本当』だと分かり、樹の心にじわじわと動揺が拡がっていく。
明日の言葉に嬉しくて泣いて喜びたいけれど、自分にはそんなこと許されていない。明日と自分自身の気持ちが同じことが悲劇にほかならないことが苦しくてしょうがなかった。樹の心は割れて今にでも消えてしまいそうだった。
好きな人と相思相愛だとわかり、自分も好きだと言って今すぐに抱きしめたいのに目の前に広がる闇がそれを阻む。
彼は世界中の人のモノ、明日は神様が独り占めにしてはいけないと決めた存在だ。自分の気持ちだけで好き勝手にしてはいけない人だ。
どうして自分には明日を幸せに出来ないのだろうと考えると苦しすぎて今にも泣き叫んでしまいたかった。今にも泣きそうな声で懇願する明日を自分は突き放さなきゃいけない。
こんなことってない。こんなことって―――。
それが自分のするべき行為で、それが運命だと分かっているのに。それが明日にとってもいいはずなのに。今すぐに酷い言葉を言って、明日が自分のことを嫌いになって貰わないといけないって分かっているはずなのに。
「ぐすっ…ッ、ぐすっ、ひぐっ、…っぅ…」
樹は溢れ出る嗚咽をどうすることもできなかった。
自然と涙がこぼれ落ちていた。もう涙を堪えようとする余裕もなかった。明日と自分が結局こんなことになってしまったことが苦しくて、胸が張り裂けそうで、身体がバラバラに千切れてしまいそうだった。
今の樹にとってはむしろそれを望んでいたのかもしれない。こんな辛すぎる恋の結末を迎えるのだったら、泡にでも自分ではない存在になって消えてしまったほうが全然よかった。
両想いだったらハッピーエンドになると思っていた。でも樹と明日は違かった。ただそれだけの話で、ただそこで終わる物語なのに。初めから二人でハッピーエンドにはなれないと分かっていたのに、どうして自分はこんなに受け入れることも出来ないのだろう。
どうしようもできない哀しさが樹の目から溢れて止まらなかった。その大きすぎる感情は樹には到底耐えれないものだった。後悔、贖罪、悲しみ―――様々な感情が今の樹のなかに渦巻いていた。
「イズ…どうして泣くの…」
明日の声も震えていた。声でもわかるほどどうしようもない感情が、彼からも溢れている。樹は大量の鼻水と涙を流しながら、浅く息を繰り返すことしかできずにいた。目の前の明日がどんな表情をしているかも、確かめられないほど樹は哀しみの中にいた。
こんな悲劇にはなすすべもなく首を垂れて泣くことしか臆病者の樹には出来ないのだ。
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