「服、脱がなきゃダメだよイズ」
トロトロに蕩けたキスをした後、明日は熱い息を吐き出して言った。樹の目にはハンガーにかかった出来上がったばかりのスーツが映る。あぁ、スーツに着替えなきゃいけない。これからディナーを食べるんだから。
明日の言葉で本来の目的を思い出した樹は更衣室の白い壁に寄りかかり、快感に震える手でシャツを脱ごうとする。
だが熱に浮かされた手では、自分の服を脱ぐという行為でさえ難しい。
樹は服を脱ぐのをやめ、腕を投げ出した。そうしてゆっくりと目を瞑る。もう、何も考えられない。
身体が熱い。狂おしいほど刺激を欲している。自分が自分ではなくなっていく。それが怖い。最後の方にはもう怖いという感情もなくなってしまうのか、そう考えてしまうともっと恐ろしかった。
「は…っ、はぁ…っ」
樹が荒い息を繰り返していると、明日はくすりと笑って汗で濡れた頬を撫でた。その刺激でさえ今の樹には気持ちよくて腰が揺れる。
「汗ビッショリだね…? 服脱げない? 手伝うね」
甘い優しい声が心地いい。
「…あり、が…と」
樹はお礼を無意識のうちに言っていた。明日が自分をこんな風にした張本人だというのに、それは分かっているのに、明日の優しい言葉が嬉しかった。小さく嬉しそうに笑っている樹は気づかない。そんな表情をした樹に、明日が面を食らった表情をしていることを。そして一瞬、顔を歪めたことを。ふいに爪が食い込むほど手を握りしめたことを。
だがそれは一瞬の表情の変化で、明日はすぐに優しい悪魔の顔をした。
「イズ、腕あげて。ばんざーい」
「…っあ」
樹は飽和状態の脳内で、自分がまるで着替えも出来ない小さな子供のような気がして恥ずかしかった。いや――傍から見たら本当のことだ。明日の子供に話しかけるような言葉がさらにそれを樹に自覚させる。
彼に腕をあげさせられ脱がされた服は、汗でビッショリと濡れていた。外気に触れる自分の肌は、汗でビッショリと濡れ、風が当たるたび寒くなる。明日はていねいにYシャツを着せてくれた。新品のシャツは、まだ肌に慣れてなくなんだか違和感があった。
ズボンを脱ぐときは苦労した。肌に汗でピッタリにくっついてしまっているズボンを脱がすのは明日も難しかったようで、時間をかけて樹の身を剥いでいった。
明日はズボンを乱暴に畳みながら、目を細める。明日の綺麗な淡い瞳は樹の下着を見ていた。
そして少し時間が経った後、目を細め明日はクスクスと愉しそうに笑う。
「下着もつくってもらったほうがよかった?」
「―――ッ」
明日のからかう言葉と、樹の濡れてグチャグチャになった下着を見る不躾な視線に樹は羞恥で頭が煮えたぎる。樹の下着は明日の言う通り濡れてグチャグチャだった。精液と、汗と、様々な液でぬめっている。樹が穿いていて違和感と気持ち悪さがあるのだから明日に指摘されるもの当然だ。
――――今すぐに死んでしまいたい。それぐらいの恥ずかしさだった。
「いやだ…」
樹は大きく首を振る。恥ずかしい。死んでしまいたい。明日の前から消えてなくなってしまいたい。
羞恥で顔を真っ赤にして泣きそうになる樹に満足したのか、明日は小さく謝る。
「ごめんね。恥ずかしかった? もう言わないから、そんな顔しないで」
「…う、うん…」
そんな顔ってどんな顔?
そんなことを熱に浮かされた頭で考えたが、答えが出るはずもなく。樹はまるで子供のころお母さんに服を着させてもらったように、明日にスーツを着させられた。それが何とも言えない恥かしさで、樹は肩を落として羞恥に耐えた。
「あぁ…イズ、すごい似合ってる…僕の見立て通り……」
明日のうっとりした声で、着替えが終わったことを知った。
震える足で、鏡の前に立つ。そこにはプロによる採寸がピッタリな、黒いシンプルなスーツを着た自分が映っていた。それは青年である樹の容姿を最大限に引き出していた。茶髪である樹の髪と、黒いスーツは相性が良かった。そして樹もあまり気にしていなかったがすらりとした足を長くみせ、スタイルも普段着よりよく見せていた。
つまり樹のスーツ姿はよく似合うものだった。そんな樹の姿は明日もご満悦だったようだ。
「可愛い…」
愛おしそうに樹の着たスーツを撫でる明日にドキドキとしてしまう。本当に明日は嬉しそうだった。樹は心がこしょばゆい気持ちになった。明日はスマホを取り出し、何度も何度も樹を様々な角度から撮っていた。
「イズ、こっち見て笑って」
カシャ、カシャッ、明日のケータイのカメラが何度も押される。明日はまるでカメラマンのようだった。いつもカメラに映る側の明日に、写真を撮られるのは不思議な気分だった。でも写真を撮る明日はとても楽しそうで、こっちまで嬉しくなる。
樹も撮ってもらった写真をみせてもらって喜んでいたが、映っている自分の顔を見たらそんな気持ちは消え去った。
自分の姿はあまりにいつもの自分とは違うものだった。頬は赤く、額には大量の汗をかき、髪はそのせいで濡れてしまっている。何より一番樹が嫌だったのは、鏡に映る自分はもの欲しそうな雄の顔をしていたことだった。笑ったつもりだったのに、顔はあまりに身体に正直で嫌になる。
動いていないローターが中にはいったままのせいで、腰は揺れたままだ。媚薬の熱に浮かされたせいで、まともに立っていられない。明日の腕の支えがないと、樹は長時間は立っていられないのだ。そんな惨めな自分の姿を見ると、情けなくて、苦しくて、悲しかった。男の尊厳までボロボロにされていっているような気がした。
俯いて震えている樹に、こんな想いにさせた本人が嬉しそうに笑いかける。
その笑みは、リアスで歌っているときよりも、もっと嬉しそうで、ずっとずっと楽しそうで、子供のように無邪気だった。
「イズ、行こう」
ね?―――樹の手を急かして引き、明日は愛しい恋人に微笑んだ。
樹はそんな明日の笑みを見て、身体の底が震えた気がした。
―――あーちゃん、カッコいいから俺のこと置いていっちゃいそうで怖い…
―――…そんなことないよ。僕は、ずっとイズの傍にいるから。
―――ホントに? やったぁ、うれしい、俺あーちゃんのことが…―――――…
「…イズ、」
「〜っは、はっ、はぁ…、ぁ…っ、ん、………っふ、」
樹は明日の言葉で現実世界に戻ってきた。荒い息を繰り返し、自分の内部に暴れ回る刺激に何とか耐えようとする。樹はなんとか目の前を見た。樹の瞳に映るのは普通の高校生だったら入らない豪華絢爛な高級レストランをバックに、テーブルで料理を待つスーツ姿の明日だ。
紺のストライプの柄のスーツを着た明日はサングラスを外し、ガラスに入った水を飲みながら優雅に座っている。
樹は周りの光景にも、目の前でテーブルに座っている明日にもクラクラしていた。
スーツ店の隣にあるホテルは、まるで宮殿のように豪華絢爛で入るのも気後れした。ホテルに入ると樹は思わず息をのんだ。
様々な名画が飾られて、ヨーロピアンで高級そうなホテルの装飾もたしかにすごかったが、それよりも驚いたのはここにいる人たちだった。出で立ちも、綺麗な洋服に着込んだ彼らのオーラも、樹が学校で見てきた人たちとはまるで違っていた。
あーちゃんが、いっぱいいる…―――。
樹はそう思った。本当の明日ではないが、この国の一流たちが集まっているのだ―――そう樹は直感でわかった。
何もかもがすごかったが、一番驚いたのは―――誰も明日を見ても驚かないのだ。ここが普通のホテルだったら、サングラスを外した明日にビックリしてパニック状態になるだろう。
だがこのホテルにいる人たちは、あぁ五十嵐明日だ、という視線を見せるだけで騒ぎ立てない。噂話をしない。きっと明日のような世界レベルの人が、このホテルにはたくさんくるのだろう。写真を撮ったり、サインなんて求められなかった。普段だったらありえないことだ。
きっとここにいるみんなは分かっている。これが明日のプライベートなのだと。だから、そんな野暮な邪魔はしない。今度どこかで会ったときに機会があったらお願いしよう。そんな風に見えた。
―――自分たちのプライベートを愉しむ。きっとここはそういうルールなのだろう。
一般の高校生である樹がこんなトップしかいない場所にいるのは、とても気後れしてしまう。どう考えても場違いだからだ。
だが絶対に場違いな樹を周りの人たちは、怪訝な顔をしなかった。それを見て樹は格が違う―――そうひしひしと感じた。本当にトップしかいないのだから、当たり前だ。
そして樹は思う。こんな場所に平然と入っていく、明日の存在があまりにも自分が違うのだと。ずっと前から何度も何度も感じてきた。だけれど今回は、明日が世界レベルなのだとさらに自覚する。樹は媚薬の震えじゃない震えをした。
完全に気後れした樹をつれて、明日はホテル内のフランス料理店にやってきた。
だがもう、樹は精神的にも肉体的にも限界に達しようとしていた。
「席にご案内します。…お客様、いかがなされましたか?」
身体がずっと熱い。美形の従業員に見られているとわかる。そんな視線でさえも、今の樹にとっては熱を帯びてしまう。よろよろと歩く樹に、案内してくれる男の従業員が心配げに問う。荒い息をするだけの樹に代わりに明日が同情を誘うような笑みと言葉を言った。
「ちょっと微熱があって…でも、ディナー食べたらすぐに上の部屋で休みますから」
「そうだったのですか…。どうか無理はしないでください…」
従業員がやさしく樹に対して優しいねぎらいの言葉を言った瞬間。
――――ブブブ…。
「…っ、ん、っぅ」
体の中にある異物がまた暴れ回る。明日がずっと止めていたローターのスイッチを入れたのだ。明日はスーツのズボンのポケットに手を入れ、素知らぬ顔でローターを動かし樹の反応を愉しんでいる。―――悪魔だ。樹は好きな人にそう吐き捨てそうになる。
樹は咄嗟に反応してしまう自分を従業員にバレないように、首を大きく縦に振ってみせた。それは従業員に肯定だと伝わったようで、特に不審な顔もせず「それでは席にご案内いたします」と綺麗なお辞儀をする。
バレなかったことにほっとするが、樹は大量の汗をかいていた。
「あー、ちゃ…、ぅ、ん」
恋人に助けを呼ぶ自分の声が情けない。やめてほしい、そう懇願の視線を樹は向ける。だが明日の瞳に温かい色はもう残っていなかった。
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