Re:asu-リアス-

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 樹は祈る。目の前の淡い目をした神様に。

 そんなことをしても意味はない――それは分かっているのに。樹は縋るしかないのだ。どうしたって彼に決定権があるのだから。ぼんやりと頭が翳る。ずっとこの状態で、気が狂いそうだ。今の樹には耐える、という選択肢しかない。

 そして今の樹が求めているのは―――解放だ。それは様々な解放だった。快楽からの解放、明日の目からの解放、罪悪感からの解放―――――。全部が自分の手に余るものだ。特に、過度な快楽は今の樹には酷すぎるものだった。

 もうとっくに樹の限界は超えている。

 媚薬に高められた熱は塞き止められ、気持ちいいツボを押され続けられているのに強制的に達することはできない。

 こんな痛みを伴う拷問以上に酷なことを、好きな人から受けているなんていまだに樹は信じられなかった。

 それでも何とか耐えられているのは、ただの樹の意地なのかもしれない。ほんの少しの理性なのかもしれない。明日とこんな状態ではあるが―――恋人同士として最初の最後のデートをしているからかもしれない。

 それとももっと根本的な話で、明日のことが好きだからかもしれない。

 もう何が正解かも今の樹には分からない。

 自分が何者かも分からなくなっている聖月に、目の前の綺麗な男が甘い毒を吐く。

「バレなくてよかったね」

「ッ」

 楽しそうな明日は、そう樹の耳元に囁いた。樹の傍で笑う大スターは、ニヤついた表情を浮かべていた。それは純粋無垢だった昔の明日とはまるで違う笑みでぞっとした。

 樹は明日を睨みつけようとしたが、そんな小さな抵抗すら今の樹には叶わなかった。

「か、はっぅ」

 またローターが操作された。今までの刺激は何だったのかと思うほどの感覚だった。今度は最大の強さだ。樹は思わず隣の明日の腕にしがみ付いてしまう。何とか刺激に耐えようとするが、強制的な快楽の引き出しはガクガクと身体が震えるほどの気持ちよさだった。

 下着の中の性器が解放を求めているのが分かる。勃起し続けていると、リングが絞めつけられ、樹に無情な痛みが走るのだ。樹は不感症でもないので、こんな風に刺激され反応しないほうが無理な話だった。

 リングに締め付けられた痛みと中を擦られた気持ちよさの声を抑えようと唇を噛む。無駄な抵抗だと分かっているのにしてしまうのは、男のサガ―――いや人間の業なのかもしれない。

「ダメだよ…。ほかのこと考えちゃ」

「…っ、う…っ、ん、わ、かった…」

 コクコクと樹は馬鹿みたいに頷く。明日の子供のような言葉は、脳を麻痺させていく。

 穏やかに喧騒としたレストランは、様々なドレスコードに身を包んだ女性たちがいた。その女性たちは、明日を見ると叫ぶことはしなかったが、一気に噂だった。様々な好奇な視線が突き刺さる。それは隣にいる樹も同様だった。

 人々の視線を感じる。羨望、嫉妬、歓喜―――様々な感情が混じった視線だ。それは今の樹にとってはナイフよりも鋭く思えた。

「…は、っ、…」

 樹は熱い息を吐き出し、ガクガクと震える足元を見る。

 熱い。身体が燃えるように熱い。喉が渇く。樹はゴクリと喉を鳴らして、渇きを潤す。だが樹の奥底はそれでは満足しなかった。身体が≪もっと≫と貪欲に叫んでいる。もっと刺激が欲しい、気持ちよくなりたい、そんな欲望の獣が暴れている。

 そんな自分に初めは嫌になっていたが、もう樹にはそんな嫌悪感も感じない。

 ただただ今は自分を普段通りの≪瀬谷樹≫として振る舞うのに必死だった。

 そんな努力を続けている樹にとっては、隣の明日から発せられてる甘い香りはとても苦しいものであった。甘い香りは普段からうっとりするぐらいのものだったのに、今の状態の自分にはさらに毒以上の効果を持つ。

 媚薬の酩酊感がより深まり、正常な判断ができなくなっていく。

 だから今の樹は様々な視線に晒され感じてしまっている―――そんな状態であるのに、何も対策もできずにいる状況だった。

 明日はそんな樹の状況を分かっているはずなのに助けもしない。そんな倒錯的な状況がずっと続いている。

「イズ」

 好きな人が甘い声で自分を呼んでいる。

 樹は答えようとしたが、顔をあげて明日を見るのが精いっぱいだった。支えてくれている明日は嬉しそうに、樹を急かす。

「この場所ね、すごくいいところなんだよ。だからね、一緒にご飯食べよう」

 白い綺麗なテーブルクロスのかけられたレストランの中央のテーブルに案内された二人は、ゆっくりと椅子に座った。樹は明日に支えながら、明日はそんな樹をやさしい微笑みで見つめながらだった。

 明日の用意してくれた場所は、樹が今まで来たレストランのなかで一番敷居が高く、そして何より高級感があって未知の世界だった。今の樹が普段の彼だったら、今頃はしゃいで写真をとっていたのかもしれない。予約をしてくれた明日に感謝の言葉を言っていたのかもしれない。

 だが今、樹はそんな普通の感動を伝えることは出来なかった。

 ケータイのカメラを取り出す動作、感謝の言葉を話すこと、それすらも今の樹には難しく、またそんなことを考える思考力も著しく低下している。

「イズ、何が食べたい?」

 明日がいつも通りに樹に問いかける。だが樹の耳には明日の言葉は入ってこない。

 樹は席に着いてから、ずっと汗が止まらなかった。媚薬に犯された身体は不自然なほど熱く震え、先ほどから感じる無数の視線に喉が鳴る。そしてこの高級レストランで真っ赤の絨毯の上にいる自分に緊張し、普段と違うことがほかの人にバレないかとおびえていた。

「僕と一緒のでいい?」

 樹はやっとのことで頷くことができた。高級そうなメニューも目に入るが、明日に開いて見せられても内容が頭に入ってこない。文字ではなく、ただの背景に見えた。

 身体の奥にあるローターが弱く震えている。早く抜いてしまいたい。そんな想いに支配される。

 目の前がぼんやりと歪む。明日の表情が読み取れない。

「…っ、ぅ、」

 感じるのは、自分の熱い身体と―――吐き出す息、握りしめて汗がビッショリとした両手の拳の感覚だけ。周りの人々たちが穏やかに話す声も喧騒も何もかも遠くのほうへ聞こえる。樹に聞こえるのは、明日の言葉だけだ。

 まるで広いレストランのなかで、2人だけが隔離されてしまったように樹は感じられた。

「イズ、食べないの? 美味しいよ」

 明日の言葉にはっとして、テーブルに目を向けるといつの間にか、目の前にステーキが置かれていた。とても美味しそうなステーキで、食通ではない素人の樹から見ても自分には一生食べることはできないいいモノなのだとわかる。

 ぼんやりとしていたうちに、もうディナーは始まっていたようだ。

 驚いて樹が前を見ると、明日が綺麗にナイフで肉を切っている様子が目に入る。肉を切るスーツ姿の明日は目を見張るほど、綺麗でカッコよく、樹はつい熱い頭を抱えたまま見惚れてしまう。明日の周りにはキラキラとした粒子が舞っているように見えた。

 そんなはずはないとわかっているのに。そう見えてしまうのは、惚れた弱みなのだろうか。それすらももう分からない。でも明日は誰からみても綺麗だから、きっとみんなもそう見えているに違いない。

 明日の視線が手を付けられていない樹のステーキに向けられているのが分かり、樹は震える手を叱咤してナイフとフォークを握った。

「ぁッ」

 震える手でナイフを切ろうとするが、震えすぎてカタカタと皿が鳴る。音を立てるなんて行儀が悪い。自分でもそう思うのに、身体の震えは止まってくれない。そのままナイフを手前にひけばいいと理屈では分かっているのに、思うように手は動かない。

 そうこうしているうちに、明日が口を開く。

「イズはさ、メガヒーローズって覚えてる?」

「…え?」

 明日の言葉があまり理解できずに樹は聞き返す。

「小さい頃、メガヒーローズってアニメやってたでしょ? 樹は誰が好きだったっけ?」

「……っ」

 どうして急にそんな話をするのだろう。樹は明日の言葉で小さい頃見ていたそのアニメ番組を思い出していた。≪メガヒーローズ≫―――それは樹たちが小学校低学年ごろにはやっていたヒーロー物のアニメ番組の名前だった。

 突然メガサイズになってしまった主人公がヒーローになって、小さく普通の人間になるため悪の組織と戦う話だった気がする。樹も毎週必ず見ていて、ヒーローを応援していた。明日は急にどうしてそんな話をするのだろう?と思ってしまった。たしかに毎週明日と樹は、アニメが放送された次の日の学校の時は感想を話していたとは思うが今話す内容とは不釣り合いな気がする。

 ここで話す内容というにはいささか脈絡がない。

 突然の話題に何も答えられないでいる樹を置いて、明日は一人で話していた。その瞳は暗く、深い海の底のような色を映し出している。

「イズも僕もたしか主人公のヒーローが大好きだったよね。勝てないって思う敵も、頑張ってボロボロになって倒してて僕も子供のころ大好きだったなぁ…」

 樹は明日の話を、ぼんやりとしか理解できなかった。うっとりとした表情をした明日のことが、遠くの出来事のように見えた。まるでそこにいるのに、いないようなそんな気がしてならなかった。

「でも、いつからかな。カッコいいって思ってたヒーローが、いつの間にかずっと過ごしているうちに可愛いって思えてきたのは」

「…?」

 ―――何をあーちゃんは話しているのだろう。

 明日は樹の瞳を見つめて、まっすぐに話していた。樹にはこれから明日が何を話すのか予想できなかった。明日は綺麗に切り取ったステーキの肉をひと切れ口に運ぶ。樹はそれを熱に浮かされたまま、ぼんやりと見つめる。明日の咀嚼したステーキがゆっくりと喉に飲みこまれていく。

「初めは憧れだったのに。ヒーローがだんだん、悪の組織にやられちゃえって思うようになって。最後の方には適役の魔王を応援してたなぁ。こんなことほかの友達に言ったら気味悪がれるから言わなかったけど」

 明日は話ながら、ステーキを食べすすめていく。

 今の脳があまり働いていない状態の樹には、明日の言葉がほとんど理解出来ていなかった。いや、普段の樹でも明日の言っていることの感覚は分からなかっただろう。明日の言葉は樹には理解できない感覚だった。

「…まさか、現実でもそうなるとは自分でも思ってなかったけど」

 クスクスとそう言って愉しそうに樹を見る明日は、言葉通り≪悪の組織≫のような顔をしていた。

 

 

 

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