RIP IT UP

第8話

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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ―――俺はこの人と付き合ってんだ。月村とは違う

「…チッ」

 男は舌打ちをする。瞬間、周りに居た人間がビクリとしたのは気づいていない訳ではないが、そんなこと気にする程自分は繊細でもなければ聖人ではない。舌打ちをした男、月村成吾(つきむら せいご)は会社の椅子に深く腰掛け足を組み直した。

 月村が高校を卒業し、親のコネで入った地元で一番大きな広告会社で働いてもう10年になる。

 この若さで異例の係長と言う役職に就いているのは、親のコネのおかげでもあるが、単純に彼に仕事が出来た優秀な人材であったからであろう。

 書類を見ている振りをして、月村は自分のオモチャであった男―――鈴岡義孝に言われた言葉を思い出す。関わらないでくれよ、そう言った男の瞳は決意の炎に揺れていた。

 昔から生意気なヤツだった。黙って自分に従えばいいのに、そうすることはなかった。あの可愛い妹をくれよと言ったら、随分と大人しくなったのは月村にとっていい気分だった。

 あの目つきの悪い、気持ちの悪い鋭い目が気に喰わない。ずっと俺の事ばっかりみやがって。

 ―――俺のこと、月村、見てたよな

 瞬間、頭に響く、義孝の声。月村は瞬間、持っていたペンを折っていた。バキッ、と高い音が部屋に響き渡る。しん…とした部屋に響いた音は、更に静寂する。月村に部署に居た人々の視線が集まったが月村が笑顔で「すいません〜」と言えば、皆はほっとした顔になった。

 ムカつくなぁァ…―――。

 月村はイラつきを抑えられないでいた。こっちの機嫌ばかり見る部署の人間も、何もかも。全部、ムカついて仕方がない。

 何か愉しいことはなかったかと考え、あの顔が浮かんだ。この世の終わりに見ることになりそうな、絶望しきった奴の顔。

 ―――久しぶりに鈴岡に会った瞬間のヤツの顔は傑作だったなァ…―――月村は思い出しクスクスと笑う。

 また月村がオモチャとして遊んでやろうと思ったのに、義孝はあろうことか拒絶した。付き合っている男がいるから、もう関わらないでくれ、そう言って月村を追い出し技まで決めやがった。

 あぁ、マジで気持ちわりぃ奴ぅ…―――。

 本当に、あの部屋にやってきた伊勢(いせ)とかいう美形の男と付きあっていると抜かし続けているのだろう。

 ―――そんなの嘘に決まっている。だって、鈴岡だぞ?―――俺ぐらいだろ、アイツと遊んでやっているヤツなんて。あんなに気持ちの悪いヤツ。遊んでやっているだけ、からかっているだけ、本当は鈴岡は感謝するべきなのになぁ…。

 月村は本気でそう思っていた。その感情がどこかおかしいことにすら気づいていない歪んだ男は、思考を巡らせていた。

 あの男は、男に好かれるタイプだった。背が学年で一番高く、目つきの鋭い義孝は、体格の良さと強面な顔立ちと相まって喧嘩が強いと言われていた。月村と同様にあの中学では有名人だった。

 鈴岡は柔道部に入っていたが、顧問にも好かれていた。ある日、暇で月村が夜の学校へ忍び込んだ時に、鈴岡の柔道着でオナニーをしていた所を見た時は驚いた。義孝の名前を呼ぶゴツイ男は、柔道着を汚し、綺麗にすることもなく去っていった。

 あの時は本当に驚いたし嫌悪感があった。だが次の日、義孝がその柔道着を着て、部活をしていたのを見た時は思わず爆笑した。

 せんこーのザーメンついてんだぜ、それぇ…―――。

 真剣な顔つきで後輩相手に組手をやっている男に大声で言いたかった。だが、話をしたら面白くなさそうなので、月村は言わなかった。その後、矢花には面白すぎて言ってしまったが。矢花も相当ウケたのか、大爆笑していた。

 ―――男好きって言っていたしぃ、言ってあげた方が鈴岡喜んだのかもなぁ…。

 鈴岡は自分で男が好きと言っていた。それならば顧問だけではなく、他の男も誘っていたに違いない。

 思い当たる人間は、鈴岡と仲良かった佐藤(さとう)という地味で平凡な男の事だ。アイツは今も鈴岡と仲良くしているのだろうか。そう思うと、頭が無性にカァッと熱くなった。月村はイラつき、その場で貧乏揺らしを繰り返す。

 つまり月村や一緒に犯してやった矢花だけではなく佐藤ともセックスしたということなのか。妙にベッタリと二人はくっついていることが多かったしなぁ、セフレだったってことか。

 その答えにたどり着くと、脳内でザーメン塗れにした鈴岡の醜態が浮かび上がる。あの仲よさそうにベッタリいつも一緒に居た佐藤も、あの顔を見たということだろう。

「…あ、は…ッ」

 月村は思わず乾いた笑い声をあげた。

 マジでビッチじゃねぇか、あのクソホモ野郎…―――。

 ―――あの時は俺にやめてくれと泣いたのに、あれは噓っぱちで、本当は喜んでいたんだなぁ〜。マジでホモだ、きっも!

 月村は沸々と湧き上がる激情に名前を付けられないでいた。だがこれだけは分かる。アイツは嘘吐きで、ホモで、あの伊勢という男をたぶらかしているクソ野郎ってことは。

 ―――貴方は好きなんですよね。ずっと義孝さんのことを

 ふいに頭の中で、伊勢に言われた言葉が反響した。それは煩わしい羽虫のように、月村のグルグルと脳内に回っていた。このイラつきが好きという曖昧で不確かで幼い感情なのならば、そんなものいらない、そう思った。

 あの人はどうしてあんな馬鹿馬鹿しい事を言ったのだろう。アイツとずっといたせいで頭が湧いたのかもしれない。

 ―――アイツに関わると本当にロクなことがない。月村とつるんでいた矢花もおかしくしてしまった。この間、久しぶりに矢花から連絡があった。鈴岡の事何か知らないか、という内容だった。どうして、矢花が奴のことを気にかけるのか。

 その理由を考えたら一つしかない。矢花は、鈴岡の事に会いたがっている。

 そして会って、セックスをしようとしているのだ。

 昔の矢花はそんな一つの事に執着する人間ではなかった。ヘラヘラ笑って、月村と馬鹿話している奴だったのに。鈴岡に執着する、何にも面白くない人間に変わってしまった。

 ―――アイツのせいで、海もおかしくなった。あの椙山って先公も、佐藤も、伊勢サンも。全部、アイツのせいでぇ…。

 なのに、アイツは。

 ―――俺はこの人と付き合ってんだ。月村とは違う

 アイツは、伊勢と付き合って、一人の人間として幸せになろうとしている。

 許さない。許されない。そんな事、あってはならない。アイツは俺のオモチャだ。一生。一生、ずっと俺のモンだァ――――…

 そこまで考えて、月村はやることは一つだと思った。月村は立ち上がり、ある席に向かっていった。

「ぶちょ〜、体調悪いんでぇ、早退していっすかぁ〜」

 ヘラヘラと笑いながら、上司である頭の寂しい部長に月村は言った。体調なんて悪い訳がない。月村がよくやるサボりたい時の、口実だった。部長は一瞬席に座ったまま固まったが、すぐに頷いた。

「そうなんだ、お大事にね」

 体調が悪そうには見えない月村を笑顔で送る上司。部長だって、ここに居る人間だって、月村が本当に、体調を悪くして早退するとは思っていないだろう。だが、皆は笑顔で送り出してくれる。堂々とサボろうとしている月村に対し誰も不平不満を言わない。賞与や査定に関わる評価を下げられた事はなかった。

 ここでも、月村はヒエラルキーの頂点に存在していた。

 それが月村の普通だった。

 素早く退社の支度をし、月村が『お疲れさまでした』と言えば、元気のいい部署の人間たちの『お疲れ様でした』と言った声が聞こえる。ああ、チョロイなぁ。人生が楽すぎて、笑いそうになる。

 早く行かねばいけない、とはやる気持ちで会社から出て電車に飛び乗る。

 ―――早く行って、アイツを――――…。

 月村は楽しそうに笑った。

 その表情はこれから自分が行うことで、何かが変わるかもしれない、そんな考えからの愉しそうな笑みに他なかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「今日もたらこパスタでいいじゃないか?」

 義孝は仕事帰りに、スーパーのパスタソースコーナーで物色しながら、電話をしていた。電話の相手は妹のユイだった。この間ユイに「赤ちゃんが出来た」と言われたのは記憶に新しい。義孝は嬉しかった。ユイがまさか母親になるなんて考えてもいなかったから。

 両親も初孫の誕生の知らせに歓喜し、父は報告を聞いた瞬間その場でひっくり返ったようだ。もう年なのだから、無理はしないでくれよ―――義孝は思わずそう思ってしまった。

 今日もユイからの『夕ご飯何にしよう』電話が来た。投げやり気味な義孝の答えにユイから文句が出た。

『え〜、またぁ〜?』

「じゃあ自分で考えろ。もうママになるんだろ? 俺から自立して、野菜たっぷり食ってお腹の赤ちゃん大きくさせろよ」

『あ、そっか、じゃあ野菜炒めとたらこパスタにしよっかなぁ、いつもありがとね、お兄ちゃんっ』

 ふふっと笑う妹に心が温かくなる。義孝は「うん、またな」と話して電話を切った。携帯をバックにしまい今晩の夕飯を考えていた。いつもだったらすぐに決まるのだが、今日はそうはいかない。透に振る舞うことになっているからだ。

 たまに料理を作っていると義孝がポロっと言ってしまったことでそれが決定されてしまったのだ。期待に満ちた目で「義孝さんの料理食べたいです」と言われれば、断る事は出来なかった。卵焼きしか出来ないぞ、と義孝が言ったのがそれでもいいと言われた。

 それでは人に振る舞う料理としておかしいと思うので、昨日インターネットで調べたパスタの材料と、シチューの具材をメモした紙を見つつ、スーパーの陳列された商品を義孝は睨むように見つめていた。今日は透が自宅へ来て、手料理を振る舞うことになっているのだ。下手な料理は出来ない。

 だがそうやっていると、隣に立っている主婦に強面の男が食材を見ている、と驚く顔をされたのは少なくない。

 だが前と比べると少なくなった、と感じる。前はもっと、通っただけでギョッとされ振り向かれたぐらいだ。

 理由は分からないけれど、丸く見えるようになった、ということなのだろうか。

 食材を買い終わり、スーパーから出ると、メールが入っていた。透からだった。

『今日遅くなりそうです。申し訳ないです』

 医者である透は、約束の時間に遅れることも多い。義孝は「了解。ゆっくり来て平気だ」と送り、自宅への帰路についた。これなら、ヘマしても作り直せそうだな…――。

 初めて作る料理だと、失敗することも多い。一人で食べるものを失敗をした時は痛い目を見るのは自分だけではあるが、人に振る舞うものであればそう簡単にはいかない。メモに書いた、手順を確認しつつマンションのエレベーターに乗り、自分の部屋に戻る。

 義孝はドアの前に立ち鍵を探そうと、バックを探っていたら聞こえてはいけない『声』が聞こえてきた。

「よォ、鈴岡ァ。スーパーの帰りかぁ? 意外と料理とかするタイプぅ?」

 ドアの前に座り込むスーツ姿の見目のいい男―――。独特のイントネーション。ニヤニヤと感じ悪そうに笑う悪魔がそこに居た。

 手に持っていた透に振る舞うために使う食材の入っている袋が手から滑り落ち、バタバタと落ちていく。袋から転がり出てきたジャガイモをお手玉のように投げて遊ぶ月村は、以前会った時と何ら変わっていないように見える。

 むしろ追い返したのに、またここまでやってきた事に義孝は底知れぬ恐怖を感じていた。

「…ッ、つ、つきむら」

 身体が固まって動けない。もう彼が現れる事はないと思っていた。もう関わらないでくれ、そう言って、義孝が技をかけ追い返したから。

 月村成吾―――その義孝へトラウマを作った張本人である男は笑った。俺にもソレ食わせろよォ…とニヤつき口を動かす男は、義孝を見上げ笑みを浮かべていたがその顔には狂気が混じり合っていた。

 

 

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