とシュガー〜恋愛狂愛〜

 

『俺が月村の恋人になる』

 そう言った時のアイツの顔は、いつもより間抜けで―――。

 ああ、何で俺こんな事言っちゃったんだろ―――。

 そう後悔してももう発言は取り消せない。

「へぇ、じゃあ…」

 ニッコリと笑った顔は、冗談も言えない雰囲気だった―――。

 

◆◆◆

 

 

「今月の売上順位…1位は兎田(うさぎだ)くんです! これで兎田くんの1位は6か月連続! 他の皆さんも気合を入れて、兎田くんから1位を奪還するような気概で―――」

「兎田さんまた1位なんだ!」

「ね! カッコイイ〜!」

 部長の話を聞きながら、こそこそと同僚の女子たちの黄色い声が上がる。

 俺は、あ、3位か―――。

 佐藤弦(さとう げん)は、この前の順位より上がっているのを見て嬉しさに口角が上がった。ほっと息を吐く。この飲料メーカーの営業に入社して6年。頑張った成果がこう数字に表れると『頑張らないと』という気持ちになる。とは言え簡単には1位にはなれないだろう。

 だって1位はいつもあの人の席だから――。

 部長の話が終わると、営業部の人間は散り散りになる。佐藤も自分の席に行こうとすると、声がかかった。

「佐藤。ちょっと付き合え」

「兎田先輩!」

 肩を叩かれ振り向くと営業部のエースである兎田正(うさぎだ ただし)が爽やかに笑みを浮かべて立っていた。スラリとした高身長、手足の長いスタイルの良さ。目は特徴的な糸目でいつも笑っているような印象を受ける。端正な顔立ちで鼻筋も高い。

 茶髪をウェーブにした髪型で、見る度にオシャレだなと思う。

 33歳と言っていたが、若々しくエネルギッシュな肌艶をしている。平凡より上、と言われる佐藤の顔立ちとは大違いである。営業成績1位ではあるが、それを鼻にかけた様子はない。同僚からも上司からも一目置かれている有望株。佐藤の自慢の先輩だ。

「何ですか? 話ならここでも…」

「いいからいいから。こっち来いって」

「はい、分かりました」

 何だろう?と思いつつ、先輩に佐藤はついていく。兎田はずんずんと進んでいき、人気のない会議室の中に入っていった。がちゃり、とドアを閉められて『おや?』と思う。兎田は佐藤を見下ろして神妙に言った。

「佐藤、今月の営業成績3位おめでとう」

「あ…ありがとうございます」

 憧れの先輩におめでとうと言われて佐藤は顔を真っ赤にする。嬉しかった。

「お前さ、小林(こばやし)と付き合ってるんだろ?」

「え? あ、あぁ。そうですね。そうでした」

 小林とは同僚でもある女子社員の名前だ。

「何で過去形?」

「別れました」

「はぁー?!」

 先輩の糸目が少し開いて『あ、目って開くんだ…』と馬鹿みたいな事を考えた。兎田はいつもの笑みから驚きになり、声を叫んだ。

「わ、別れたって?! あの会社1可愛い小林と?! あんなに胸もでっかいし、気遣いも出来るし、佐藤が付き合ってるって聞いて『マジかよ』って会社中がざわついたビックカップルだっただろーっ」

「ビックカップルって大げさな…」

「大げさじゃないぞ。泣いた男性社員も多かったしな…。なんでまた別れたんだ…」

「せ、性格の不一致?ってやつです」

 まさかここで素直に『好きになれなかった』と言ったら兎田の度肝を抜かしてしまうかもしれないと思い、佐藤は当たり障りのない答えを言った。小林はショートカットで茶髪の可愛らしい女性だった。好きですと言われた時は嬉しかったし、可愛いから付き合おうと軽いノリで付き合ったが―――。

 彼女からの甘い視線や、言葉、先を期待する目。恋とはこうも人を変わらせてしまうのか、と佐藤は怖くなった。平凡な自分をどこで好きになったかは分からない。だからこそ怖かった。

「ふーん。何か嘘っぽいけど…。あんま女子泣かせるなよ? この前、小林泣いてたぞ…」

「え?! マジすか…」

 それは初耳だ。別れ話をしたときは確かに泣かれてしまったが―――。あの時の気まずさを思い出し無意識に顔が歪んだ。

「そんな顔するな。あれはお前の事凄く引きずってるみたいだな…。相当好かれてたみたいだな、小林に」

「そ、そうなんすかね…」

 佐藤はよく分からず頭を掻いた。正直佐藤は恋愛がよく分からない。付き合った人は大学生の時にもいたが、自然消滅で別れてしまった。

 恋って何だと思う―――?

 この間友人に言われた言葉が頭をよぎる。

 友人―――月村成吾(つきむら せいご)は、佐藤の親友である鈴岡義孝(すずおか よしたか)の事が好きだった。だが彼は義孝を『キモイ』と言って虐めて――中学生の時にあろうことか義孝の事をレイプした。それは歪んだ愛情だった。

 今は和解をして、ただの友人という関係性に戻った。しかし――不意に思うことがある。犯したい、殺したい、そう思うほどに愛する恋というものがどういうものなのか。佐藤には未だに経験したことがない。執着にも似た恋を経験したら自分はどうなるのか―――。

 鈴岡の事好きだったんだろ? ホントはさ―――。

 月村に言われた言葉が脳内に沁みついている。義孝は親友だ。それだけの関係性だ。そうであるはずなのに、義孝の中学生の頃の裸が頭をよぎる。柔道部で一緒に技をかけあったときにちらりと見えた乳首の色。梅雨の雨で濡れたシャツに映る肌色。

 それをどうしてこんなに鮮明に覚えているのだろう。大切なたった1人の親友。そうであるはずなのに―――。

「何百面相してんの?」

「えッ!あ、す、すみません…」

 どうやら意識をあらぬところへ向けてたみたいだ。先輩の言葉に佐藤はカァーッと顔を赤らめて俯く。

「まぁ何かあったら言えよ。あと恋人とか欲しかったら言えよ? 俺の友達で、そういうの斡旋してる奴いるから」

「あ、斡旋って…」

 業者かな?と、ついつい思ってしまう。だが兎田の気遣いが嬉しくて佐藤は笑みを浮かべた。

「だ…大丈夫です。俺今は…恋人とかいいかなって…思ってるので…」

「そうなのか? まぁ仕事も忙しいしな。声かけてくれればいつでもいいぞ?」

「あはは…。有難うございます。そういう兎田先輩はモテるから、恋人とかいそうですよね…」

「まぁ、な。途切れたことはあんまりないかもしれん。でも今はフリーだから、どうだお前も?」

 いつも通りの顔で言われて、佐藤は言葉を理解するのに時間がかかった。だが、言葉を理解すると全身が熱くなるように真っ赤に染まる。

「あはは! 先輩は冗談が上手いなぁ! 先輩こそ女の子泣かせないでくださいよ…ッ」

「―――」

 兎田は佐藤の顔を見て言葉を失った。表情も固まり、笑みが固定されたような不思議な表情になる。

「先輩?」

「あ〜…、あ。いや、何でもない。そろそろ行くか。悪いな、忙しいのに引き留めてさ」

「そ、そうですね! 行きましょうか! いや、俺は先輩に比べたら全然忙しくないですよ! 俺も先輩の事見習って、頑張って外回りしまくります!」

「あぁ、うん。応援してるよ。だってお前は可愛い俺の後輩だし…」

 会議室を出ていく2人は、いつも通りではあったが、どこか微妙な雰囲気が流れていた。それがどうしてかは佐藤にもよく分からない。どこかふわふわとした気持ちのまま、佐藤は自分の席に戻った。どこか身の入らない仕事をしていると、昼休みになった。

 スマホを確認すると、一件のメッセージが入っていた。

『今日の夜、電話してもイイ?』

「ふっ―――」

 アイツらしい文章に笑っていると隣の席の同僚がからかう。

「佐藤どうしたんだよ。やらしい顔して。エッチなメール?」

「は?! そんなんじゃねーよ。ただのメール」

「へぇ〜」

 ニヤニヤと見てくる男の視線を無視して佐藤は買ってきた弁当を開けた。卵焼きを口に頬張って佐藤はメッセージを返す。

『イイよ。帰ったら連絡する』

『うん。待ってる』

 すぐに返信が返ってきて『月村も昼休みかな?』とぼんやりと思う。

『月村も昼休み?』

『そうだよ。飯食ってるトコロ』

『俺も! コンビニ弁当! 月村は?』

『俺は食堂でうどん。薄味だけど、安いんだよね』

『何円?』

『社割で300円』

『安! 俺は600円のコンビニ弁当…。月村の会社に通いたいな〜』

『来いよ。話し相手居なくてさ。味は保証しないけどね』

 他愛もない会話。ポチポチとつい弁当よりもスマホを見てしまう。もし月村と一緒に働いたら、楽しそうだとは思う。聞いたところ月村はその若さで有能なのか係長という役職をもらっているらしい。万年平社員の佐藤とは大違いだ。

『お前会社で友達いないの?』

『だってアイツら俺のご機嫌取りばっかりで、ウザいし。佐藤の方がいいよ』

「…っ」

 顔が熱くなる。ただの友達同士の軽口だ。気にする事ではないのに、ついつい嬉しくなってしまう。まるで自分が特別、みたいな―――。そんなはずはないのに。

『ありがとう。うれしーよ』

『うん。また夜な』

『じゃあ、また』

 俺、変な事言ってないよな? 不自然じゃなかったよな?―――何だか送ってから不安になった。月村はどうやら佐藤の事が気に入ったらしいのか、頻繁にこうやって連絡を取り合っている。いつも、月村が誘ってくれる。不思議だった。

 中学生の同級生で、ただの親友をいじめるいじめっ子―――。ただそれだけの関係性だったのに、今はこうやって親しくしている。それを佐藤は別に嫌だとは思ったことはなかった。むしろ信頼してくれているような雰囲気があって、月村と過ごすのは何だかいい気分だった。

 すっかり冷めた弁当を口に運んでいると、またスマホが震えた。

『完食』

 そう短文で送られた文章と、届いた2枚の写真。うどんの皿らしき空になった皿と、月村の映った自撮りの写真だった。

「なんで月村の写真も送るんだよ…」

 こっそりと呟くと、佐藤は文章を打ち込んだ。

『いい顔してるじゃん』

 月村の顔はどこか嬉しそうに緩んだ顔で。綺麗な二重の目がこちらをじっと見ている。まるでこんなの、恋人に送る写真みたいだ―――。と、考えてから顔を真っ赤にさせる。今、自分は何を考えたのだろう。そんなはず。そんなはずはないのに―――。

『佐藤は?』

 え、俺―――?とスマホの画面を二度見する。

『送らんからな』

『ケチ。くれないと祟る』

『意味わからん』

『呪う』

 佐藤はその文字に慄き、ため息をついて隣の席の男に声かける。俺を撮って―――そういうと同僚は顔を顰めた。

「は? 今?」

「うん。自撮りは上手く撮れん」

「我儘な恋人持ったな」

 ため息をつきつつ、佐藤は男にスマホを手渡した。「撮るぞ」と言われて、佐藤はどんな顔していいか分からないまま写真を撮った。部屋にカシャッとシャッター音が響く。佐藤は写真を確認して思いっきり変な顔になったな、と思いつつまぁいいかと写真を月村に送信した。

 まだ途中の弁当も送ると、すぐに返信が返ってきた。

『なんつーエロ顔してんの?』

「は?」

 意味不明すぎて、変な声が出てしまった。

『てかこれ自撮りじゃないな? 誰に撮って貰ったん』

『隣の席の同僚』

『その顔禁止。同僚の記憶から消して』

「ははっ」

 何なんだよ一体―――…そう思いつつ、佐藤は笑いを堪えることが出来なかった。

「こわー。1人で笑ってる〜」

「ごめん。面白くて…っ!」

 しばらく佐藤はスマホの画面を見つつ笑いが止まらなかった。それを隣の席の男は「こわ〜」といいながら、弁当を食べていた―――。

 

 

 

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