「ま、まあ…なるか分からない事考えてもアレだろ? 気にすんなって!」
「あ、ああ…。そう、だな」
佐藤の言葉にハッとなり、義孝は頷く。
そうだ。まだなってもいない事を気にしている場合ではない。
「そう言えば、お前に妹居るだろ? そんな感じで仲良くなればいいんじゃね?」
「まず男女の差異があるだろ…」
「そうか? 根本的には一緒だと思うけどな」
佐藤の言葉はどこか自信が溢れており、義孝はほだされそうになる。餅巾着を食べながら佐藤は言葉を続ける。
「相談してみれば? 妹さんに仲良くなる方法…」
「…そうだな。最近育児で忙しそうだけど、声かけてみるか…」
「…育児?」
佐藤と月村はこちらを訝し気に見詰めてくる。ああ、そういえば言っていなかったな―――と義孝は説明する。
「この間、生まれたんだよ。ユイに子供が」
「え?! あの子結婚してたの?! マジ?! ていうか子供って…ええ…」
「…マジか」
佐藤と月村は困惑した顔をしている。義孝は生まれたと聞いて病院に駆け込んだことを昨日のように覚えている。あの赤ん坊を触った瞬間、命の神秘を感じたものだ。ユイと夫である広(ひろ)は仲良しで、子供と戯れている姿は理想の家族だった。
「もう28歳だしな。もうそういう事が起きても不思議じゃない歳だ」
「うーん。そうなのか…。あの子の子供は可愛いだろうなぁ」
佐藤は想像しているのか目を瞑っている。
「うん。可愛いよ。世界一可愛かった」
「あはは、親馬鹿ならぬ姪馬鹿だ」
佐藤の笑い声が遠くに聞こえる。
結婚して、子供が生まれる。それが普通の幸せというものなのかもしれない。だが、透と付き合っているうちはそんな事にはならないのだろう。それは義孝だけではなく透も同じことだ。義孝でさえ結婚への催促が親からあるのに、透となればそれは義孝よりも期待は大きいものだ。
あんなカッコよくて、お医者様で、優しくて―――相手ならごまんといるだろう。きっと義孝より相応しい人も大勢いる。
「すずおか?」
「あ、ごめん。ボーっとしてた」
佐藤に声をかけられ自分が意識を違うところに向けていたと気付く。
「ふぅん。結婚して。妊娠して…、幸せに暮らす…。それが普通なのか」
月村は目を細めてどこか遠い所を見ていた。
「月村は結婚とか興味ないわけ?」
「ん? ない」
佐藤の質問に月村はバッサリと答えた。
「な、ないって。モテそうだし、興味ねぇの?」
「結婚とかただの紙の契約じゃぁん。俺、縛られるの嫌いなんだよねェ。真実の愛とかそういうの? あぁ〜、寒い寒い。ホントに愛してるんだったらさ、結婚なんてしなくてもいいんじゃね? 何か印が欲しくて結婚なんて言ってるんだろ」
「…」
―――月村らしい回答だ。
家族との仲が良くないと言っていたし、そもそも家族というくくりが嫌いなのかもしれない。月村のはっきりとした言い方に佐藤は目を見開いている。
「何か夢のない話だな…」
「そういう佐藤はどうなの? 結婚したいの?」
「そ。そりゃあ、いずれはしたいよ。親もうるさいし…。まぁ、相手はいないわけですが…」
うえーん、と佐藤は泣く真似をしている。こういうところが憎めないな、と思う。明るく社交的でフレンドリーな佐藤は中学生の時から変わらない。佐藤なら良い人を見つけるのではないかと思う。
「佐藤なら大丈夫だろ。何か可愛いし」
義孝の言葉に、佐藤は嬉しそうに引っ付く。
「うお〜、すずおかぁ〜。そんな事言ってくれるのはお前だけだ〜! うれし〜よ、ありがとう〜」
「うわっ! お前そんなキャラだったっけ?! 酔ってる?」
義孝が引き剥がそうとすると、佐藤の頭にチョップがされる。月村の手だった。
「いたっ!」
「おい、さとー、コイツ今彼氏いるよ? そういうのやめたらぁ?」
「つきむら…あ、ありがとう」
まさか月村がそんな事を言うなんて思わなくて思わずドキドキしてしまう。
「伊勢サンってああ見えて嫉妬深そうだよなァ…よく俺と会うのOKしたよねェ〜」
「う…そ、それは」
―――透には言っていない。
月村と会うことを伏せて、ただ佐藤とご飯を食べることを言った。それでも透はもの凄く嫌そうな顔をしていた。『浮気しないでください』と身体全体で訴えかけていた。だから隠して会うことに罪悪感が少なからずあった。透は月村の言う通りとても焼きもち焼きだ。
妹のユイとの仲を誤解したことだってあるし、佐藤ともなにかあったのではないか? 仲良くし過ぎではないか?という疑いをかけられた事もあった。何とか誤解は解けたが、あの時は凄く大変だったことを義孝は覚えている。
「まぁ、仲直りしたって事になったんじゃねぇの?」
「仲直りって…」
そもそも月村とは喧嘩していたのか?と佐藤ののほほんとした言葉でふと考える。
うーん、と考えてると、どこからかバイブ音が聞こえた。
「ん? あ、俺のスマホだ。お母さんから電話だ。ちょっと悪い。出てくるわ」
「あ。おい、さと…」
義孝が言う前に佐藤はリビングから出ていった。
「…」
「…」
佐藤がいなくなった。つまり必然的に義孝と月村の2人きりということで―――。2人の間に妙な空気が流れる。あの月村でさえ言葉を無くし、黙々と鍋の野菜を食べている。義孝も妙に喉が渇きコップに入った水を飲んだ。
こうやって2人きりになるのは、あのカッターナイフの一件以来だ。はっきり言って気まずかった。そんな空気を破ったのは、目の前の男だった。
「…ごめん」
「え?」
小さな声だったので、聞き逃しそうになる。しかし、義孝の脳内ははてなマークばかりだった。どうして急に謝ってきたのだろう、と。
「だから…この間の。謝っても駄目って事は分かってる…」
「あ…」
月村の顔は俯いていてどこか身体も小さく見える。そんな心もとない月村の姿を見るのは義孝は初めてのような気がした。月村はこの間の、殺しかけたことを言っているのだ。よく見るとその月村の手は震えていて。そんな月村に、義孝はふっと笑った。
「いいよ。この前も泣いて鼻血出して謝ってくれたし…あの顔でチャラにする」
義孝の言葉に月村は顔を上げて、珍しく顔を赤らめた。
あ、月村でも恥ずかしがることあるんだ―――。何かかわいい―――。
「は、はァ?! は、鼻血って…! ってなんだよ、その顏ぉ! ニヤニヤして気持ち悪いんだよォ!」
「…はは」
月村が顔を真っ赤にして怒っている姿が新鮮で。中学生の時に言われた『気持ち悪い』という言葉よりもどこか優しさを持っていて。やはり、月村はあの頃とは随分変わったのだろう。それが義孝の影響なのか、それとも佐藤からなのかは分からない。
月村は義孝の笑みで目を丸くし、顔を赤くしたまま固まっている。
そんな月村を可愛いと思った自分が居たことに義孝は驚いた。あの頃の自分に言ってやりたくなる。月村ってこんなに付き合いやすく、人間らしい男になったのだと。
「あー、ごめんごめん。なんかお母さんが今度みかん送ってくるらしくてさぁ…。良かったら貰ってくんね? ―――あれ、2人共どうした?」
佐藤がそうこうしている内にいつの間にか戻ってきた。
2人の妙な空気に佐藤は無垢な顔で首を傾げる。
「な、何でもねぇよォ! おい、さとー! 酒! 酒持ってこい! 今日はとことん飲むぞ!」
月村がテーブルを叩き、横柄に言った。突然の変わりように佐藤は困惑する。
そんな2人がどこかちぐはぐで。義孝は声を立てて笑った。
「アハハッ」
「え? 何々? 俺の知らない所で何かあったわけ? 気になりすぎる…」
「おい! 鈴岡ァ! 笑ってんじゃねぇぞ!」
顔を真っ赤にして指を差す月村が面白くて面白くて―――義孝はしばらく笑っていた。