ンドルフィンと隠し事

17

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「コウくん、ちょっと来てくれる?」

「はーい」

 好紀は客たちの喧騒の中小走りで先輩の背中を追いかけた。眩いキラキラの世界は、自分が居ていいのか不安になる。

 好紀が今いる場所は都内の高級ホテルの宴会会場だ。今日はディメントの系列で働いている男女と客を集めて行う『交流パーティー』を行っている。

 宴会会場を貸し切って行う大規模なパーティで、100人は超えているのだと誰かが噂しているのを聞いた。それに見合うように会場には綺麗なテーブルに美味しそうなバイキングが整然と置かれている。綺麗に着飾ったスーツ姿の男性、ドレスコードをした女性、きっとディメントで働いている『蝶』だろう。

 上位のナンバー持ちたちは強制参加だと聞いている。下位であるコウは、自由参加だったのだが、神山に来るように言われていた。それは、コウだけじゃなく、ほかの下位のメンバーたちもそうだった。所謂雑用係だと聞かされて、少しほっとした。モノを運んだり、色々してほしいということだったのだ。

 日給も出す、と言われてコウは喜んでOKした。スーツを着て、見たこともないような高級なホテルに入れて、なんて得な日なんだろう―――…そう思っていた。ついさっきまでは。

 『物を運ぶのかな?』と思いつつ先輩に着いていった場所には、物ではなく人がいた。パーティ会場の隅に居たスーツ姿の男女に、ぎょっとする。

「こんばんは」

 好紀はすぐに驚きを隠して明るい笑みを浮かべる。好紀の人好きする笑みと顔立ちに、その場にいる人々は好印象を持った。先輩の目線で、好紀はそのまま自分の名前を言う。

「初めまして、コウと言います。ディメントでは『蝶』として働いております」

「へえ、『蝶』…ねぇ」

 ロングヘアの女性にねっとりとした視線を投げかけられ、背中に悪寒が走る。自分が『蝶』であると紹介した瞬間、その場にいた人々の目が変わった。一気に欲望を向けられ、性の対象として見られていることが分かり、すぐにでも逃げ出したくなる。

 ここに居る人たちは、好紀でも知っている俳優、女優が大半だった。まさかディメントに通っているなんて、知らなかった―――いや知りたくなかった人物ばかりだった。ディメントは、客の個人情報を一切外部に漏らさない事でも定評がある。だからこそ、『高級』を名乗っている。

 知りたくない真実を知り、動揺しつつも、持ち前の演技力で好紀は純粋な表情を保つことが出来た。今にも吐きそうになるが、ぐっと堪え『仕事』に徹する。

「すみません、私呼ばれてしまいましたので…。じゃあここはお前に任せるよ」

「――――…」

 客に謝り、コウの背中を叩いた先輩は、小さく好紀に聞こえる声でそういうと雑踏の中に消えてしまった。

 好紀は自分の今日の仕事を理解した。今日は、雑用係でも、自分の『トーク力』が使われるのだと。何を話すのだろう、という期待の目を一気に向けられて好紀は唾をのむ。ここで、前だったら怖気づいてしまっていただろう。だが、こんなのは、クミヤで無視され続けてきた好紀にとっては耐えられる状況だった。

 粗相がないように細心の注意を払いつつ、好紀は持ち前のトークで客を愉しませた。自分は低くし、ここに居ないお客様のお気に入りの先輩を持ち上げて、客たちを喜ばせる。

 気持ちよく話せる相手なのだと、相手に思わせる。実際、好紀にはそれが出来た。

 随分長い間世間話やら、仕事の話をしたところで、ある男性客が言った。

「コウくんって、ナンバー2のクミヤの同伴なんだって?」

「え…、はい。そうなんです。よく知っておりますね」

 どうして客がそんな事を知っているのだろうか、と好紀は驚く。にこやかに対応してみたが、内心、恐ろしかった。目を細め、そんな事を聞く目の前の客が。クミヤは、ナンバー2であり、普通のディメントの客であれば簡単に指名は出来ない『高嶺の花』だ。

 『ディメント 青の蝶、売上1位』という称号は、ここではあまりに大きい。同伴と言う事はメンバーたちには知られている事実だが、客たちは知るはずもない事実だ。どこからその情報が漏れたのだろうと、好紀は疑問に思う。そんな事実が伝わってしまうぐらい、クミヤは目立つ存在なのだろう。

 実際は、下位のメンバーが、クミヤの事を話す客の話題の一つして同伴であることを教えてしまったのだ。普通であれば教えてはいけない個人情報だが、そのメンバーは言ってしまった。そこから広がり、いつの間にか客たちに伝わってしまったのだ。

 ミステリアスなクミヤに近しいと思われる『同伴』という肩書により好紀は、一気にその場の注目の的になった。

「同伴って車の送り迎えをしたりするの?」

「クミヤって普段どんな風なの?」

「コウくんはやっぱりクミヤと仲がいいの?」

 一気に質問を投げかけられ、好紀は思わず顔を引きつってしまう。質問するときの客たちの食いつきようは半端なものではなかった。好紀は言葉を選びながら、それに答えていく。クミヤの話は、それは口留めされているので、と言い、同伴についてはあまり詳しくは伝えず簡素に説明した。

 クミヤの話を言ってはいけないというわけではないが、クミヤは『ミステリアス』な部分を売っている。それをただの下位のメンバーである好紀の視点で話すのは、売っているものを勝手に安売りするようなものだ。これが客の望む答えじゃないということは好紀には分かっていた。

「同伴って、ナンバー持ちの身体も世話するって本当?」

 好紀の回答が不安だった客の男が下世話な笑みを浮かべる。笑みを浮かべていたが、頭の中は真っ白になる。この質問は予想していなかったからだ。好紀を困らせるための、意地の悪い質問だった。普通の同伴は、そんな事をするはずがない。だが好紀は、してもらっている。

 一気に心臓が跳ねる。これで、もしバレてしまったらどうしよう。何て答えよう―――頭を一気に回転していた時だった。

 わああ―――…っ。

 近くで悲鳴のような、歓声が沸き立つ。まるで、スターがやって来たときみたいにと表現するには小さいものであったが、その場に現れた一人の人物に一気に視線が向けられた。それは好紀も、会話をしていた客たちも例外ではなく視線が自然とそちらを見る。

 まるでモーゼのようにその人が歩くたびに人々が恐れ多いと道を避ける。高身長で、抜群のスタイル。漆黒の髪、人を寄せ付けない威圧感を放つ、完璧な美貌を持つ男―――ディメント ナンバー2、クミヤがこのパーティに現れたからだ。スーツ姿の彼は恐ろしい程似合っていた。高級なスーツなのか、元々の素材がいいからなのかは好紀にもよく分からないぐらい素晴らしいものだった。

 クミヤはコウの近くに居た一人の紳士に話しかけている。その表情は、いつもより穏やかだった。

「うわ、クミヤだ…本物だ……」

「カッコいい……」

 先程まで会話の中心人物だったクミヤの登場に驚き、質問してきた人も、興味を示した人も、皆歓喜していた。もう好紀への関心はすっかりなくなっている。それに、好紀はほっとする。ここでボロを出さずに済んだ。だが。

「……っ」

 視線を感じ、好紀は固まる。視線の先にはクミヤが居た。こっちに来い――――。クミヤが目線でそう訴えていることが、分かってしまった。何度もクミヤの顔を伺っていたから、目線で彼が何を伝えたいのか分かってしまったのだ。好紀は小さく首を振る。今は無理だと、伝えたかった。だが、そんな答えにクミヤは容赦はなかった。

 ―――――早くしろ。

 紳士とにこやかに話した一瞬、こちらを見て彼はそう目線で話す。

 好紀はもうどうにでもなれと、「お手洗いに行ってきます」と言ってその場を離れた。好紀が離れたタイミングで、クミヤは紳士との会話を終わらせ会場のドアへと向かっていく。好紀は見失わない程度の距離で遠くから必死に追いかけた。

 クミヤは、会場の外で人の少ない廊下を歩き、非常階段のドアを開けるとその中へ消えていった。

 好紀も慌ててそのドアに入っていく。重いドアが大きな音を立てて閉まる。階段の踊り場で二人は向き合って立っていた。―――目の前にクミヤが立っている。その威圧感、存在感は、好紀がパーティで会った人物の中で一番あるような気がした。二人きりという状況により、急に彼を意識する。

 完璧なスタイル。彫刻かと思うぐらいの綺麗な容姿。改めて見ても、自分とは住む世界が異なる人だと好紀は思う。

 もしかしたら、芸能人として活躍し、ディメントの客になっていても何ら不思議ではない存在だ。一般人では到底出せないオーラで好紀を見詰めており、好紀はいつも以上に緊張していた。この間の妙な雰囲気になった車内のことが蘇る。何とも言えないこの緊張感、それに気まずさ。

 ――――クミヤさんも心配になったんじゃないのかな。返事をするぐらい、キミの事気に入っているし…。

 ふいに運転手の言葉を思い出す。

「……あの、何か…?」

 しばらく沈黙が続いて、好紀は居ても立っても居られなくなって顔を上げ、問いかける。クミヤはじぃっとこちらを見ていて、顔を逸らしたくなるが、好紀は耐えた。顔がカッコよくてつい顔を赤らめてしまうが、クミヤは慣れっこだろう。

 緊張して言葉を待っていたら、クミヤが重い口を開く。

「どうしてここにいる」

 頭を何かに殴られたのかと思った。

 そう思うぐらいの、衝撃的な言葉だった。クミヤの言い方と言葉は、まるで好紀がここに居なければよかったと言っているようだった。いや、実際、そうだったのだろう。顔、その目は雄弁に語っていた。痛む胸を押さえて、ふらつく身体を抑えて、何とか好紀は声を出す。

「俺はただの雑用係で来ただけっすよ」

 笑みを浮かべたが、普段より上手く笑えなかった。こめかみがぴくぴくと震える。

「…アイツらに接待することが、雑用?」

 鼻で笑われて、好紀は身震いした。怒りと、哀しさが混ぜ合った感情が身体を覆う。

 クミヤはナンバー2で、好紀の手の届かない存在で、好紀の同伴の『顧客』だ。ここで上手くかわさないと、ここで上手くやり過ごさないといけないということは頭では分かっていた。だが、身体と言葉と顔は上手く動いてくれはしない。ただ顔を赤らめて、彼を見詰めることしかできなかった。

「この後自分がどうなるか分かってるのか」

 呆れたように、彼は言った。馬鹿にした声と言葉に、頭がぼんやりとする。

 ふいにここから離れたい、そう思ってしまった。

 もうそう思ったら、そこからはもう衝動的だった。

「…俺、戻らないと」

 言ってしまったら、身体がすぐに動いていた。非常階段扉を開けて、もつれる足でホテルの廊下を走る。振り返ることは出来なかった。記憶の中にある地図を必死に思い出し、パーティ会場へ戻っていく。考えたくない、と思った。この後の事なんて、もう考えたくない。

 クミヤに、パーティなんてくるなんて馬鹿なんじゃないかと、そうあの目で言われて、身体と心が真っ逆さまに落ちてしまった。好紀は下位のメンバーで、誰でもいけることにはなっているがこんな場所普通はいってはいけない場所だったのだ。クミヤは少し心を許してくれたと思っていたが、そんなのは好紀のまやかしだったのだ。

 好紀はショックだった。自分が予想以上に落ち込んでしまっていることにも、クミヤに来なければよかったのに、と思われていた事にも。

 パーティ会場について、やっと振り向いたが、クミヤの姿はなかった。

「馬鹿だな俺」

 一時の感情で、また顧客を失ってしまった。クミヤはきっと怒っているのだろう。息を整えていくにつれナンバー2に、なんてことをしてしまったのだろう、と冷静になる。これからどうしよう、そう思いつつどこからか自分の呼ぶ声がして笑みを浮かべそちらに駆けていった。

 

 

 

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