ンドルフィンと隠し事

19

 

◇◇◇

 

 クミヤに対しなんと言っていいか分からなかった好紀は、結局何も話せなかった。降りる際の見送りも満足に出来ずに落ち込んだまま、好紀は寮の部屋に戻る。部屋の電気をつけると、誰もいない。まだイチは帰ってきていなかった。

 ―――疲れた―――。

 静かな部屋を見渡して、好紀は疲労で重い身体を引きずり、ベットに身を投げ出す。ふかふかのベットは、あっという間に好紀を睡眠へと誘う。何も考えたくなかった。これからのことも、昔の事も、今日の後悔だって何も考えたくなかったのだ。

 好紀はやがて夢の中へダイブし、昔の夢を見ていた。

 朝、起きたら、忘れてしまったが、優しい母の夢を見ていた気がした。

 

 

 嫌な時でも、どんなタイミングでも、仕事はきちんと行わないといけない。

「コウくん、オハヨ〜」

「おはようございます」

 11時。日が昇り切り、10月の陽が当たる陽気な日。車の前で好紀は見知った先輩の顔に深々とお辞儀をする。今日は目の前に居る、スタイルのいい20代後半に見えるディメント青の蝶―――ナンバー15、タイの同伴の日だった。

 パーティの翌日、最後の手伝いが出来なかった手前、あまり顔を合わせたくはなかった。だが、前から決まっていた同伴の日だ。断るなんて選択肢なんてなかった。指名もされないコウが、先輩である彼の同伴を断るなんてありえない話だろう。

「どうも〜」

 車のドアを開けた好紀にフレンドリーに、お礼を言う彼にほっとする。いつも無視される人を思い出し、今はその人じゃないと心の中で念じる。おしゃれなブランドもののサングラスをかけた顔の顔は、流石はディメントナンバー15というべきか、かなり整っている。細い眉、力強い鼻筋、薄い唇、髪の毛は金髪でベリーショートのツーブロック。どこかの有名サッカー選手、モデル、そんな肩書を名乗っても納得してしまうカッコよさがあった。

 見た目がチャラチャラとした印象を受けるが、仕草の節々に自信と優雅さを持っている。それが、彼の魅力となりディメントの高いナンバーを持っているのだ。

 身体は性格を表す、というが彼の場合はその通りだ。見た目の通り、フレンドリーで、気さくで話しかけやすい。

 そんな彼は、好紀を同伴として指名してくれている。トーク力を買われている、そう思うが―――たまに違う欲望のモノを感じていた。

 車は目的地に向かうため静かに発進した。運転手は、若い男の人だ。これはきっと、タイの好みなのだろう。ナンバー15になると、運転手も選べる。

 世間話をしたところで、ふいにタイが言った。

「なぁ、急に同伴に呼ばれたんだって〜?」

「え?」

 サングラスの中の目をキラキラさせて、タイが問う。思わぬ言葉に、好紀は目を瞬かさせる。

「だから、昨日。帰ったじゃん?」

 タイの言葉で、昨日、イチが説明してくれたことを思い出す。彼は好紀をなるべく困らないように、いい言い訳を考えてくれたようだ。急に仕事(同伴)に呼ばれたから帰った―――。ウソを言ってはいない、間違えてはいない説明だ。好紀は申し訳ない気持ちを込めて、頭を下げた。

「そうなんすよ〜。ホントに急で…。あの、ごめんなさい、昨日は最後まで手伝えなくて…」

 そう言った好紀に、タイは目を細める。落ち込む様子の好紀に、タイの手が伸びた。

「――――」

 突然の人の熱に、好紀は固まる。肩を引き寄せられ、無理やり身体が彼とくっついてしまう。肩だけじゃない、太腿もぴったりとくっついた。一気にドクドクと心臓が早まり、好紀の思考が停止した。背中に一筋の汗が流れ落ちる。

 タイは前から―――初めて会った時から、フレンドリーで、スキンシップが激しい人だった。好紀も友好な関係を築くにつれ肩を組んだり、手に触れたり、頭を撫でられたりした。先輩に好かれている、ということはとても嬉しい事だ。

 だが、彼からは、親しみ以上の好紀が忌み嫌う欲望も感じさせた。

「おれ、怒ってないから。そんな風に落ち込むなって、なぁ?」

 肩を大きく叩きながら口角を上げ、そう言ってくれる彼にほっとする。だが、同時に喉元に胃酸がせり上がった。

「ありがとうございます。次こそはお手伝い最後までするっス」

 ニコニコと笑顔を見せる彼の手は、右手は肩、左手は好紀の太腿に伸びていた。さわさわと太腿を擦られて、好紀は笑みを浮かべながら冷や汗をかいていた。ここで辞めてください、と言えるほど、好紀は図太い神経をしていない。慰めるためのスキンシップ、それは理解できるし喜ばしい事だと思う。

 だけれど、撫でる手つきは、ディメントの客と似ていて。熱い視線は、好紀の服の中を覗き込むようだった。

 それが、好紀にとっては、苦痛に他ならなかった。今にも胃の中身を吐き出しそうなぐらいに。嫌な汗が噴き出て、嫌悪感を表情に出さないようにすることが精一杯だった。始めはこんなこと、されなかった。ある日、仲良くなったと思い始めたところから、こんな性的な悪戯をされるようになった。

 お金をもらうためだ、同伴に呼んでもらうためだ、そう頭の中で何度も念じる。だが、運転手に見えないような位置で太腿を撫でられたり、この間はお尻を触られたり、段々とセクハラ行為がエスカレートしていた。好紀はなるべく、気づかないふりをしていた。

 気のせいだと思いたかった。だが、そんな思いとは裏腹にタイの行為は続けられていた。タイの表情を見ると、こんな行為をしているとは思えないほど平然としていて、ゾッと背筋に冷たいものが走る、

 こんなことをされるのは、様々なメンバーに同伴に呼んでもらっているが、タイだけだ。

 そろそろ耐えるのが限界になってきた頃、タイが衝撃的な事を話した。

「あーぁ、コウくんも来ればよかったのになあ、乱交パーティ」

「――――」

 好紀は言葉を失う。瞬間、運転手のハンドル捌きが激しくなった。右カーブが勢いをつけ、遠心力で好紀は先輩に寄りかかる。

「っ」

「おっと」

 先輩が声を上げる。好紀は思わず目を瞑る。

 すぐには理解できなかった。だが、言葉の意味を理解し、好紀は思わず間抜けな声を上げた。

「あっ!」

 あまりに大きな声を出したので、先輩と運転手が驚いた顔をしてこちらを見ていることが分かる。

 慌てて口を抑え、「ごめんなさい」と、謝った。

 ――――この後自分がどうなるか分かっているのか。

 クミヤに蔑まれて言われた言葉が蘇る。彼は、全部、分かっていたのだ。下位のメンバーである好紀が―――『コウ』がどうしてパーティのお手伝いを頼まれたのか、を。あれは、クミヤにとっての警告と蔑みだったのだ。どうしてお前がここにいるのか、という目線は、『自分が何をされるか分かってここにきているのか』というものだったのだ。

 あの時―――彼が伝えたかったのは好紀が思ったような事ではなかったのだ。

 謝りたい、という思いに駆られた。

 勝手に思い込んで、失礼な態度を取ってしまった。そのことを、まずクミヤに謝りたいと思った。

「コウくんのこと気に入ったって言ってた人もいたし、次はいっしょにいこうなぁ?」

「―――はい」

 好紀はゆっくりと頷いた。あまりタイの話は聞こえていない。頭の中で、クミヤに謝らなければいけないとそれしか考えられなかったから。

 タイは大きく頷く好紀を見て満足げに微笑んだ。それは、好紀が見たら、おぞましいと感じるものだっただろう。―――彼の目は好紀を目から犯す瞳をしていたから。太腿を撫でる手つきが大胆になっていく。それすらも、好紀は気づかない。

「おれがちゃんと教えてあげるから、大丈夫だって。そんな顔しないでくれん?」

「はい」

 好紀は訳もわからず頷いた。早くここから出たいと思ったからだ。

 車が小刻みに震えていた。まだタイに指名されて日の浅い若い運転手が、二人の会話に恐怖していた。

「じゃあちゃんと、ここにきてね」

「はい」

 何かを手渡されたのを感じる。肌を確かめるような手つきで、タイは好紀に一枚の紙を手渡した。それは招待状だった。好紀にとっては最悪の。

 好紀は受け取りながら大きく頷く。それを見て満足げにタイは微笑む。運転手が小さく「あぁ」と悲痛な声を上げた。彼は、どうすることもできない自分を責めた。だが、仕事はしなくちゃいけない。どんなタイミング、心情、嫌なことだってしなくてはいけない。自分の生活のために。お金のために。

 生きていくには足掻くしかないのだから。

「いい子ぉ」

 タイは歌うように口を動かす。それは、お金がなく、どうしようもなくディメントの運転手をやっている青年に対して言ったのか、隣にいる好紀に言ったのかは定かではなかった。好紀は握らされた小さな紙きれを握りしめ、ただ『謝らないと』という思いに駆られていた。

 

 

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