「というか、なんで二人がここに…?」
この場所の事は離していなかったはずだが?と疑問に思っていたことを口に出す。すると、ため息交じりにイチが言った。
「お前が先輩のメモ落としたのをクミヤさんが拾ったんだよ。それを偶然見てた俺が着いていったらこれだよ」
「そ、そうだったんだ…」
確かにメモがどこかにいっている。まさか落としたとは思ってもみなかった。恥ずかしいところをみられて今さらながら恥ずかしくなってくる。顔を赤くしていたらイチが小突いた。
「これに懲りたら勝手な行動すんなよ?」
「う…うん…」
頭をポンポンと叩かれて、好紀は項垂れた。ミラー越しに視線を感じたが、その時は恥ずかしくてそんな視線なんて気にしていなかった。
◇◇◇◇
「ふぅ…」
好紀はため息をついて目線を下げる。
すると自身のぴしっと決めたスーツ姿が目に入り姿勢を整える。今は夜20時。今日はあるディメント保有のビルで『営業』中だった。 営業というのは、ディメントの指名がつかなかった男娼が指名を貰うため行う行動だ。ふらふらと会場内を動き回り、客に挨拶をしたりアピールしたりして、上手く行けば同じビル内の部屋で行為を行う――、そんな営業だ。 好紀も指名が来なかった時に営業をする。上手くいく時もあれば鳴かず飛ばずのときもある。半々の場合が多い。最近来ていなかったので、少し緊張していた。客に一通り挨拶をしてため息を吐く。この分だと今日はあまり営業が上手くいかないだろう。
どうしようか?―――、そう思った時だった。
「キミぃ」
背筋がゾワッとした。
時間が止まったみたいだった。声かけられたら振り向いて言葉をかわさなきゃいけない。それは分かっていたが、声が出てこない。ドクドクと心臓が鳴り響き、身体が硬直した。
振り向かなきゃ。そう思っているのに勇気が出ない。
好紀はそんなはずはないと、思考をめぐらせる。
だって、そんな、はずは。こんなことは有り得ない。
動けずにいると、痺れを切られた声の主が肩に手を置く。瞬間、ビリビリとした感覚に襲われた。
「おと、う、さん……」
掠れた声でそれだけが言えた。
そんなはずはない。分かっているのに、だって、声が。 振り向いたら答えが分かるだろう。だが、身体がぶるぶると震えて言う事を聞かない。振り向こうと思っても身体が言う事をきかなかった。肩に載せられた手がピクリと動く。
「とりあえず一緒にこっちでお話しようよ」
荒い息が肩にかかる。頭がグチャグチャになりそうだった。
今起こっている事が現実なのかもよく分からない。男の声を聞くたび、脳内で警告音が鳴る。これ以上聞いたら、気がくるってしまいそうだ。好紀は今立っているのがやっとの状態だった。肩を押されて身体が動く。お話なんて、したくない。それなのに、身体が震えて、男の言う通り身体が動く。
いつの間にか、好紀はテーブルについていた。隣には男の気配がする。
「――――っ」
身体がゾワゾワと震える。舐めまわすような視線を感じたからだ。その場所はどう考えても隣からで。まるで服の中を見てくるような視線に吐き気がする。
「どうしたの? 震えちゃって…寒いの? おじさんが温めてあげようか」
―――お父さん。
そんなはずはないのに。そんなはずはないのに、顔を上げてみた男の顔は父の顔に見えた。
「ひ…っ」
怯えた様子を見せた好紀に、男は加虐心をくすぐられた。肩に載せられた手が、好紀の胸へと移動する。
「名前は何て言うのかな?――――キミの乳首の色は何色かなぁ?」
胸を指でシャツの上から弄られつつ言われた言葉はセクハラと言える言葉だった。
お父さんはこんなこと言わない。それは分かっているのに。でも、声が。
声が、ソックリだから。
「この乳首をちゅぱちゅぱ吸ったらピンク色になるかなぁ?」
怪物だ。
隣に怪物がいる。今すぐに逃げないと食べられちゃう。怪物がねっちょりと耳に囁く。逃げなきゃと思っても、身体が震えて動けない。胸を触る手は大胆になっていく。
「っ」
身体がビクンと震える。反応したくないのに反応してしまう。 誰か助けて欲しい。そう願っても、ここは自分を売る場所であり、皆自分のことで精一杯である。今の好紀の状況はセクハラを受けている状況だがそんな人はこの場所にたくさんいる。もっと過激なことをされている人もいるぐらいだ。
好紀の思いとは裏腹に状況は刻一刻と悪い方向へ変わっていった。
「喉乾いたんじゃない? これ飲みなよ」
男が差し出したのはオレンジ色の飲み物が入ったコップだった。これは飲んではいけない。好紀の本能がそう告げていた。汗が吹き出、身体の震えが止まらない。ソファの上で存在するのが精一杯だった。目の前が歪んでいく。
「ほら」
俺のものが飲めない?と男の目線が言っている。好紀は押し切る形でそれを1口含んでしまった。そのまま飲み込むと冷たい液体が喉を通る感覚が気持ち良い。
「はぁ、はぁ、はぁ」
異変が現れたのは、それからすぐの事だった。体が熱い。呼吸が荒くなり、頭がクラクラしてきた。文字通り目の前が歪んで見える。肩に乗る手が妙にリアルですぐに逃げたくなった。なんとか立ち上がろうとしたが男に押さえつけられる。
「……どこ行くんだい?」
「身体が……暑いので……トイレに行こうかと……」水にかかれば少しはマシになるはずだ。そう思っていった言葉に男は目を細める。
「私が連れて行ってあげよう」
「大丈……夫です……。場所、分かるんで…」 「ふらふらじゃないか。連れてってあげるから」「…」
ここで押し問答をしてても仕方がない。そう思い、好紀は身体を預けることにした。立ち上がった瞬間、立ち眩みがした。「おっと」―――わざとらしい声が隣から聞こえる。「だから言ったのに」と父にそっくりの声をした男は言う。
ここから出ちゃだめよ―――。
母の声が聞こえる。脳内に響き渡る声に、今か夢うつつかよく分からなくなっていく。
「よく効いてるみたいだね?」
よく効いてる? すぐにはその言葉が理解出来なかった。それよりも、男に身体を預けた瞬間、身体がカァーッと熱くなった。先程よりも熱い身体に心臓がドクドクと鳴り響いているのが分かる。歩くたびに頭がクラクラとして、酩酊状態のように足がふらつく。
「部屋でキミの身体を確認しよう。熱いだろう?」
部屋でキミの身体を確認しよう―――。好紀はもう意識が朦朧としていて男が何を言っているのか分からなかった。自然と唾液が溢れ、男と触れ合っている場所がジンジンと熱くなる。疼くような感覚が身体中に駆け巡り、はぁ、はぁ、はぁ…と熱い息を吐き出す。
身体がふらついた瞬間、よく見知った声が耳に響き渡る。
「―――おい」
好紀は腕を掴まれ、顔を上げると目の前にここに居るはずのない人物がいた。その人の登場で一気に会場はざわつく。
「クミヤだ」
「ナンバー2がなんでここに?!」
そう、腕を掴んだのは―――ナンバー2であるクミヤだった。長身の彼に睨むように見詰められた好紀は状況が読み込めず、男とクミヤに挟まれながら熱い身体を持て余していたのだった―――。