ンドルフィンと隠し事

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 考えても、好紀は自分の気持ちが分からなかった。だけれど、これだけは分かる。もし、この気持ちが、恋とか、愛というものであれば決して叶うものじゃない。それは相手が男だとか、そういう事以前に相手があの『クミヤ』だからだ。下位のメンバーである好紀には、青の蝶でナンバー1のクミヤはあまりにも住む世界が違う。

 それに、クミヤは、人に興味がない人ということを好紀は知っている。自分とクミヤの関係は同伴ということだけだ。

 彼は多分きっと人を好き嫌いで判断している人ではない。

 直接好紀は聞いたことはないが、あんなに美形な人に恋人がいないわけがないのだ。

 夢と同様に『不毛』な気持ちだ。持っていたって、叶うわけもないものなら、見ないようにすればいい。好紀は自慢ではないが、『そういう事』は得意だった。見ないふり、気付かないふりをすればいいのだ。夢と同じだ。同伴の車に呼ばれるたびに「この人はこれから客と行為をする」ということを考えてしまうようになってしまったのも、気付かないふりをする。

 この胸の痛みは、きっと一時的なモノだろう。そう思う事にした。そうしないと、心が持たない気がしたから。

 そう決めた好紀だったが、なかなか胸の痛みは消えてくれなかった。

 それから、好紀は何度かクミヤに指導を受けた。

 だが、その内容は、フェラの練習のみだった。クミヤは何故か、好紀にディメントの蝶が客とやる行為である挿入を行う事はしなかった。どうしてだろう、と疑問に思う気持ちもあったが、好紀はこれでよかったのだと思う事にした。

 クミヤにもし挿入されたら自分でもどうなるか分からない。普段通りの自分を保っていられるのかも定かではない。だからこれでいいのだ――そう好紀は思う事にした。

 それに、もし自分のこの気持ちがクミヤにバレたらきっと彼は好紀を『教育』してくれることはないだろうということは分かっていた。だからこれで良かったのだ。バレないように、気付かないふりをし続ければいいだけの事。なのに、悲しいと思ってしまう自分もいた。

 こんな気持ちが「不毛」だというのに。

 ―――「女を抱いた方が自分が犯されているときによく分かるからな」

 時間が経つにつれ、クミヤが言っていた言葉の意味が何となく理解出来た。自分が客に犯されている時、客がどんなことを考えている事が分かったからだ。相手を支配したい、自分のものにしたい――そんな邪な気持ちだということ。

 それに気づいたお陰か、客に犯されている時の、客によく見せるやり方が分かってきた。それのおかげか客からの評価も最近は上々だ。以前の自分だったら考えられない事だった。それもこれも、全てクミヤの教育の賜物だろう。

 だから、自分は気付かないままでいようと好紀は決意した。

 この気持ちの名前を、この胸の痛みも、狂おしくなるこの感情さえも。気付かないままでいれば、以前の自分でいられるのだから――。

 

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 クミヤは、久しぶりに、そのドアの前に訪れていた。以前は何度かこの場所に来たが、ディメント 青の蝶 ナンバー1になってからはすっかり来なくなったこの場所を。無表情のままクミヤはその木製のドアをノックした。やがて部屋の主から「入れ」という言葉が聞こえ、ドアを開ける。

「よく来たね。キミがここに来るのも久しぶりじゃないか、クミヤ」

「お久しぶりです。小向さん」

 声の主――小向はにっこりと微笑みクミヤを出迎えた。ここは小向の住んでいる部屋だ。

 豪華絢爛な部屋にある椅子に座っている小向はディメントのオーナーとしてふさわしい姿だった。今日クミヤがここに訪れたのは、他でもない目の前の彼に呼びだされたからだった。ここで働いている人間は、小向の命令には絶対だった。それはナンバー2であるクミヤも同じだ。

 わざわざ呼んだのだから、何か理由があるのだろうとクミヤは小向を見詰める。

 その姿はまさに不敵そのものだった。圧倒的なオーラを身に包み、自分が上に立つ人間だと周囲に教えてくれている。それは小向も同じだった。

「随分仲良くしているようじゃないか」

「…」

 含みを持たせる言い方だった。小向に対峙したクミヤは机の上で考え込むような仕草をする彼を見ていた。無言で答えたクミヤに小向は笑顔で接する。それは冷徹な笑みだった。

「クミヤが人に興味を持つなんて初めてじゃないか? まさか、下位のメンバーとは思わなかったが」

 それはきっと、コウのことだろう。すぐにクミヤは理解した。

「…それが貴方に関係がありますか?」

 そう言ったクミヤを、小向は一瞬目を丸くした。そして次には表情を明るくさせた。小向は声を立てて笑った。

「ふ、ははっ。私にそんな物言いが出来る人間はここではキミとセイぐらいだよ」

 面白い、と小向は笑っている。セイはディメント ナンバー3である蝶だ。アイツ この人にそんな態度を取っていたのか――…とクミヤは感心する。セイは不思議な男だった。初めて会った時、今にも消えそうな男だと思った。だから、気になって、声をかけたことがある。人に興味を持ったのもあれが久しぶりの事だった。

 黙ったままのクミヤに小向は言葉を続けた。

「お客様に絡まれたコウを助けたそうじゃないか。キミがそんな事をするなんて聞いたときはにわかには信じられなかったよ」

 その言葉にも無言なクミヤに、小向は目を細める。部屋に静寂が訪れる。2人が黙った姿は、きっと見たものに緊迫感を与える光景だろう。小向の顔――それは昔を思い出している表情だった。その表情のまま、小向は言葉を発する。

「コウとキミは似ているね。…あの子は、私が拾ったんだよ」

 クミヤの雰囲気が変わる。それは、次の言葉を待つ雰囲気だった。それを小向が分かり、口角をさらに上げる。興味深そうにクミヤを見詰めた。

「ふふ、気になるかい? ホントにお気に入りなんだね」

「アイツは同伴ですから」

 あっさりと言ったクミヤの真意は分からない。だが、まさかそんな反応をするとは思わなかった小向は愉し気に言葉を紡ぐ。

「同伴ね…。あの子も面白い子だよね。居るだけでその場が楽しくなる…そういう才能を持った子だよ。でも、会った時は…そうだな、罰されたがっていた」

「…」

 罰されたがっていた。それは意味深な言葉だった。クミヤは目線で続きを促す。コウと同様にクミヤの目線の感情を読み取ることが出来る小向はそのまま言葉を続けた。

「コウが駅でふらっとしていたんだ。きっと、相手を探してたんじゃないかな。自分を罰してくれる人間を。その時コウはお金に困っていて。まぁ…ここに来る子たちは大体お金に困っているけど。お母さんを養うお金が欲しいんだって言っていたよ。1人で稼げるようになりたいって。だから、ディメントを紹介してあげた」

 良き行いをしたように語る小向に、クミヤは吐き気がする。

 本当に良き行いをするのであれば、お金を援助するだけでいいのに。小向は対価を要求したのだ。あの性的な事に親が殺されたかのように嫌悪しているコウに。もし、小向に会う前に、自分が会っていたのなら、ただお金をあげたのだろうか――ふいにクミヤは考えた。

「キミとコウは似ているね。私が拾った点でも、人に隠し事しているということも」

「…そうですか」

 興味がなさそうにクミヤが言った。もう帰っていいか、という雰囲気がクミヤから発せられている。

「あの子のことが好きなのかい」

 ふいに小向が言った。だが、すぐに彼は笑顔で言う。

「まあ、キミが人を好きになるなんてあり得ないか」

 それは皮肉と嫌味がたっぷりとこもった言葉であった。

 それをクミヤは口角を上げて見詰める。クミヤがそうやって小向の前で笑ったのはいつぶりだろう。小向は感じていた。以前より、目の前のディメントの冷酷なナンバー2が変わってきていることに。前はもっと無機質で、人間味が全くない人間だった。機械のようだった。だが、今はどうだろう。

 随分と人間味があり、表情が豊かになっていた。それに驚きつつも、さらに言葉を言う。

「まあ、キミが彼をどう思っているかは別として…。コウはキミの事をどう思っているんだろうね」

 愉しげに、下世話なことを小向は話す。

 最近、コウの様子が変わったのをクミヤは気付いていた。それに気付く程、クミヤはコウのことを見ていた。それにコウが気付くはずもないだろう。だって、クミヤ自身が気付いていないのだから。

 コウは以前よりクミヤを見るようになった。そして態度がどこかぎこちなくなった。目が合うと、前は驚き、恐怖のものになっていたが、今は違う。目を丸くし、頬を染め、白い肌が赤く染まる。その変化の理由をクミヤはよく知っていた。知っていたが、何も行動には起こさなかった。

 冷たい態度も、甘い態度もせずに、ただコウを同伴へ呼ぶ。そして教育を施す。段々と教育していくうちに、変わる彼の様子を面白くクミヤは見ていた。律儀にクミヤの言う通り毎日1時間は自分のモノを模した透明なディルドを舐めていることに、興奮している自分もいた。

 普通ならしないであろう行為を異常だとは思わなかった。気付かれると思っていたが、コウはそういったものに嫌悪感があるのか、全くクミヤの形であると気付かない。コウが気付いたとき自分がどんな行動をするのか分からない。

 どこか壊れているクミヤは『自分のものを模ったディルドを渡す』事がおかしいとも思わなかった。自分のコウに抱くこの感情も知っていて、行動には起こさない。挿入して滅茶苦茶にすることだって今の立場ならいくらだって出来ただろう。だが、それはしなかった。

「関係ないですよ」

 アイツがどう思っているなんて――…。そう言葉を続けたクミヤは、人をモノのように見ていた。それは間違いではない。

「そうかい」

 小向が目を細めて言った。

「俺が青の蝶の中でナンバー1でいれば何も文句はないでしょう」

「ずいぶんな自信だね」

「俺の下がアイツ…ソウであれば、抜かれることはない」

「ソウも見くびられたものだ」

 酷い言い草に、小向が声を上げて笑っている。実際、クミヤとソウには越えられないランキングの壁があるのだから、クミヤの言っている言葉には間違いはなかった。

「ソウは上を目指すような向上心のある人間ではないので」

「ふぅん。意外と人を見ているじゃないか」

 ナンバー4であるソウは、クミヤの青の蝶としての次点のメンバーだ。小向は趣味のように客を抱くソウのやり方を知っているので、クミヤの言う事はもっともなことだった。それに気付くクミヤに感心する。きっとクミヤはよく人を見ているわけではない。すぐに人間を見抜く能力があるのだろう、と小向は考えた。

「まぁ、とにかく変な事を考えるのはよしてくれよ。コウを買って自分も出ていくなんてことはないように」

「まさか」

 嘲るようにクミヤは言った。バカバカしい、と目が言っていた。そんな事、するはずがない。

 はっきりと言ったクミヤに小向は安心していた。この様子であれば、彼の言う事は信頼できるだろう。ディメントは別に男娼同士の恋愛がご法度ではない。何故ならば、そのようなことが起こることは滅多にないからだ。だが、最近のクミヤの様子を見ていたら不安になった。

 もしかしたら、そんなことが起こるのではないかと。

「そうか。私の考えすぎか。長い時間引き留めてすまないね。…聞きたかったことはそれだけだ。もう行ってくれて構わない」

「そうですか。かしこまりました。では、失礼します」

 そう簡潔に言って、クミヤはその場からすぐにいなくなった。

 ドアを閉めた後、ふぅとため息を吐き小向は天井を見詰めた。クミヤが同伴であるコウを客から助けたらしい、と聞いたときは耳を疑った。人に興味がないクミヤがそんな事をするのか、と酷く驚いた。だから、つい疑ってしまったのだ。杞憂だったな、と小向は胸をなでおろす。

 一方のクミヤはドアを閉めた後、興味なさげに息を吐く。

 コウを買って自分も出ていくなんてことはないように――。その言葉を思い出し、バカバカしいともう一度脳内で吐き捨てる。自分がコウを買う?――そんなことはあり得ない。

 今頃、コウはディルドを舐めているのだろうか――…ふいに浮かんだ考えにクミヤは知らず知らずのうちに口角を上げる。冗談で言ったつもりではなかったが、まさか本当にディルドを舐める練習を1時間もするとは思わなかった。なんて健気で素直なヤツなのだろうと思った。

 まさかそれがクミヤの性器を模ったことも知らずに――。あの小さく綺麗な口が目一杯拡げさせ、健気に舐めていることを想像しゾクッと身体が震えた。こんな感情は、客の痴態を見ていても持ったこともないものだった。段々と自分によって淫猥に変わっていく可哀想ないつもは明るいコウの姿を想像する。

 くくっ、と声を立て笑ったクミヤは歩き出す。

 その顔はどこかいびつで歪んでいた――。

 

 

 

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