アドレナリンと感覚麻酔 

第三章 第十話

106

 

 

「ふざけんな…ッ」

 身体を捻らせどうにか逃げ出そうとする聖月に、蒼は鼻で笑った。

「別に減るもんじゃないしいいじゃん」

「減るもんだよっ」

 聖月のまるで赤ん坊のようなかよわい抵抗にクスクスと笑う蒼。蒼は抵抗する聖月を押さえつけ、顔を近づけた。こんな状況で思い出すのはケイの言葉だった。にげて―――確かに彼はそう言ったのだ。言った張本人は、完全に身体をうつ伏せダウンしているが、聖月は信じるしか手はない。

 これが嘘だったとしても、聖月は逃げるしかないのだから。

「ケイをこうした責任は負わなきゃいけねぇだろ?」

「そ、それは蒼が…ッ」

「責任転嫁はいけねえなぁ。お前も突っ込んでアンアン言ってたくせに」

 耳元で聖月を悪意に満ちた言葉で責める蒼に、聖月は大きく首を振る。蒼の言葉は猛毒だった。考えたくないことを考えてしまう。そんな悪魔の魔剤だ。蒼はさらに毒を仕掛けようと、聖月の肩を掴み囁いた。

「ケイはノビちまったし俺たちで先に進ませようぜ」

「蒼だけ勝手に行けばいいだろっ」

 押さえつけられた身体を引きはがそうとする聖月に、蒼は目を細めた。そして楽しそうに笑う。先ほどからずっと蒼は楽しそうだった。

「え〜、寂しいだろ? そんなこと言うなって。俺たちダチなんだから」

 ダチ―――友達なんて絶対に想っていない癖に、蒼はそんなことを話す。

「蒼なんて、友達なんかじゃない…ッ」

 前にも言われた言葉を、同じような拒絶で聖月は突き放した。その時にした蒼のその時の馬鹿にしたようにこちらを見ていた気がする。

 だが蒼は聖月の予想とは反対の反応した。目を見開かせ、口も同様に開いている。まるで驚いている―――そんな表情を蒼は聖月の言葉を聞いてしていたのだ。蒼のこんな間抜けな顔なんて初めて見た。

 蒼と同様に驚いた聖月は、蒼の表情がすぐに乾いた笑いを浮かべたのを見てしまった。

 以前の蒼の笑みに似ていたが、どこか寂しそうで、苦し気にも見えた。

「じゃあ、なんなんだよ…」

 蒼は絞り出したような声をあげる。

「じゃあ、俺とお前は……どんな…」

 蒼の言葉は最後まで言われることはなかった。

 蒼は目をゆっくりと閉じ、聖月の身体に倒れこんだからだ。フラッ…とまるで風に吹かれた紙人形のように。突然の身体に感じた重さに驚き、聖月は悲鳴にも似た声をあげる。

「蒼ッ、なんだよ、急に…ッ」

 よくよく顔をみたら、蒼は小さく唸りながら荒い呼吸をしていた。顔はどことなく赤らみ、頬は色づいている。身体を揺らすと、肌の熱さとともに大きく呼吸をしている揺れが手に感じられた。まるで熱があるような蒼の状態に青ざめる。

「蒼…、蒼…、おいっ」

「…だいじょうぶ」

 身体を揺らし必死に呼びかける聖月に、待ったの声がかけられる。顔をあげ、声が聞こえた方へ視線を移すとそこには、倒れていたケイがこちらを見ていた。

「ケイ…ッ」

 聖月は蒼をベットの上に下ろし寝かせ、急いでケイのもとに駆け寄った。ケイは白濁まみれの顔で、優しく笑っている。近くにあったティッシュで顔をケイの拭っていると、クスクスと鈴の様な笑い声が聞こえた。それはケイの笑い声だった。

「蒼は…、即効性の催淫薬を飲んで寝ただけだから…今頃きっと夢のなかで聖月とエッチしてるよ…」

「ッ」

 力なく笑ったケイの言葉に蒼を一瞥する。まるで熱があるような状態だったのは、催淫薬を飲んだからだったのか―――。

 そしてその言葉で、先程ケイが蒼に飲ませたカプセルの中身は催淫薬だったことを知る。

「ケイ…」

「聖月はやさしいんだね…、早く逃げなよ…せっかく俺がお膳立てしてあげたのに…」

 逃げて――――。

 そう言ったケイの言葉は嘘じゃなかった。蒼の部屋に遊びに来てくれたのも、聖月に奉仕し、屈辱なことをさせたのも全部蒼を騙すため…薬を飲ますための演技だったのだ。それも全部聖月をここから逃がすためにやってくれたのだ。

 そんなケイの献身的な行為に、聖月は涙が溢れて止まらなかった。こんなこと普通出来るわけじゃない。

 勝手に幻滅していた自分が恥ずかしく、そして醜いと思えて仕方がない。

「ケイ…ありがとう…俺、俺…」

 ごめんなさい、そう言葉を紡ごうとしたらほっぺをつねられた。

「なに泣いてるの〜。俺も聖月を気持ちよくさせられたし、そこは満足してるんだから」

 励ますべき相手である逆にケイに励まされ、聖月は項垂れる。もうくよくよしてはいけないと聖月は顔をあげた。そうするとケイの辛そうな顔が瞳に映り、手を伸ばす。

「…うん。ありがとう…、…あの、ケイは大丈夫? 喉辛くない? ズボン脱いだ方がいいんじゃ…」

 ケイの拭いた頬を撫でながら問いかけると、ケイは身体をビクビクとさせた。

「…大丈夫。ほら、聖月早く出なよ。いつ蒼が目を覚ますか分からないんだから」

 ちらりと見た蒼は、たまに気持ちよさそうな声を出し、顔を歪ませている。今頃きっと夢のなかで聖月とエッチしてるよ…―――そう言った先程のケイの言葉はあながち間違っていないのかもしれないと思うとゾッと背中に寒気が走った。

 あまり蒼を見ないようにし、ケイに問いかける。

「あ、…うん、そうだね。ケイは出ないの?」

「…ううん、俺はまだ出ない…。蒼のこと見張ってるから、聖月はもう自分の部屋に戻って」

 ケイは聖月の手を振り切るように首を振った。ケイには申し訳ないけれど、蒼が起きた時が怖いし聖月はありがたく彼の申し出を受け入れる。

「そっか。…ありがとう」

「うん、聖月も気を付けてね」

 聖月は服を着て、よろける身体を動かしケイに背中を向けた。じゃあ、行くね―――…別れの言葉を言った聖月をケイは手を振って見守ってくれていた。…まさかここから出れるとは思っていなかった。

 聖月はケイに感謝をしつつ、スキップして部屋に戻るのだった。

 

 

 パタン、とドアが閉まる音が聞こえたところで、ケイは大きな息を吐いた。そして蒼の隣に寝転がり、今頃夢の中で彼を抱いているだろう哀れな男を見る。ケイは聖月を助けるつもりなんて初めはなかった。なのに、蒼と居る聖月を見たらいてもいれられなくなってしまった。

 助けて――――…。

 聖月はケイを見て、助けを懇願のする表情をしていた。聖月は本当に、そういうところが卑怯だと思う。彼にそんな自覚があるわけがないけれど、わざとやっているのかなと疑ってしまうぐらいに。

 ケイは聖月に優しく触れられた頬を撫で、その瞬間を思い出しゾクゾクと身体を震わせる。

 まるで壊れそうな宝物に触れるような、優しい手だった。あんな手、知らない。あの手のことを考えると、胸がぎゅうっと締め付けられる。この気持ちの悪い感覚をケイはどう呼んでいいのか分からなかった。だから自分の殻に閉じこもり、震えているしかできないのだ。

「……聖月って本当、嫌い…。嫌だ…嫌だ…こんな感覚…知らない…」

 知りたくない―――、目を瞑ったケイは大きく息を吐く。そうしてゆっくりと呼吸を繰り返し、声を吐き出した。

「馬鹿みたい…俺も、この人も…馬鹿ばっか」

 この人、と言われた蒼は半裸のまま極楽浄土の夢の中にいる。ケイはそんな様子を見て乱暴に毛布をかけ、蒼に傍に寄り添った。

 蒼の身体は熱く、人肌寂しいケイを満足させるに十分な温かさだった。この熱さで、胸の苦しさも全部溶けてなくなればいいのに―――、ケイはそう思った。

「…、みつ、き…」

 うだるように息を吐きだし聖月を呼ぶ彼が、一番幸せそうで…寂しそうに見えた。そんなことを言ったらもう二度とセックスをさせてもらえなくなりそうだから、ケイは絶対に言わないけれど。

「あったかい…」

 寝ている蒼を抱くのは新鮮で、ケイは猫が甘えるように彼の身体に擦り寄った。絶対に起きたら上機嫌な蒼がいるだろう。そんな状態の蒼に抱かれるのも楽しいのかもしれない―――。

 ケイはそんな狂気に満ちたことを静かに考えながら目を閉じた。いつの間にか胸の苦しさは消えていた。

 

 ◇第十話 END 11話に続く…◇

 


 

 

あとがき 作者を励まして下さる方、感想を送って下さるお方は下の拍手ボタンを押してくださると嬉しいです。

 

 

inserted by FC2 system