アドレナリンと感覚麻酔 

第三章 第十一話

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『…地方では、朝から大雨が続く本日の天気。秋雨前線が停滞しており、さらに雨は続く予想となっております』

 綺麗な女性ニュースキャスターが、ハキハキと話している内容に、聖月はため息を吐く。窓の外を見ると、テレビの予想通り大雨が降っていた。雨がベランダの地面を叩く音が、聖月の耳にも聞こえてくる。寮の部屋の窓からは門が見え、人が歩いている所が普段だったら見えるが、今日は流石に見えない。

 10月の中旬の日曜日。昼過ぎに起きた聖月は、窓の外を見て一気に憂鬱な気分になった。雨の日に背中の傷が痛むのは、いつも通りだったが、今日はいつもより傷が熱くなっている気がした。雨の日は嫌いだ。嫌な日には、いつも大雨が降っている。両親の死んだ日も、十夜にバレてしまった時もそうだった。聖月は自身の携帯を見ると、さらにため息を吐く。

 今日は宗祐の指名が入っている。夜の20時、駅で待ち合わせだ。いつもと違う待ち合わせ場所に、妙に緊張していた。それだけではない。今日は、彼の家に行くことになっている。スーツじゃなくていい、と言われているが、それが困った問題だった。何故なら聖月は客と会うための私服がない。

 クローゼットの中身を見て、さらに嫌な気分になった。

「……十夜と一緒に買い物行くべきだったなあ」

 忙しいとか言って、そういう類の遊びを断ってしまった自分が恨めしい。聖月は携帯で「男性 私服」と調べた。様々な思考を巡らせ無難なYシャツと、ベージュのカーディガン、ズボンという格好になった。だが全身鏡に映る自分を見て、あまりの『貧乏学生』っぽさに頭を抱えた。

 この大雨では、デパートに行って買ってくると言うのも難しいだろう。聖月は散々悩んでから、助けを求めることにした。

「…セイさん? どうしたんすか、急に」

 突然訪ねてきた聖月に驚いた顔をしているのは、コウだった。聖月は、コウに状況を説明すると、コウは嫌な顔をせずに受け入れてくれた。聖月とコウは、ほぼ身長が変わらず、コウの方が、少しだけ高い。体格も同じぐらいで、服を借りるには打ってつけの相手だった。

「うーん、セイさんにはこれがいいんじゃないですか?」

 彼はテキパキと、クローゼットから迷うことなく服を取り出した。

「おお…、カッコいい…、めっちゃピッタリだ」

 コウが見繕ってくれた服に着替えると、聖月は先程の格好よりスマートなカッコよさを手に入れた。コウは鏡に映る聖月を見て、満足そうに頷いた。聖月も上から下までジッと見つめる。Yシャツに、カーディガンはそのままだが、借りた黒のジャケットと、白いコットンパンツを着ると随分と印象が変わった。先程の学生っぽさがなくなり、年相応な大人な雰囲気が溢れ出ている。

 何が凄いって言うと、このコーディネートに10分もかからなかったことだ。聖月は『貧乏学生』コーデに1時間をかけたというのに。聖月が思っていた通り、寸法もピッタリで着た感じの違和感が一切ない。だが悲しいことにコウの方が聖月より足が長いので、裾を折り曲げる事になってしまった。だがもうそれはしょうがない、と聖月は受け入れる。

「有難う、すごく助かったよ。これ…今日借りてっていい? 絶対に洗って返すから…」

 雨に濡れちゃうけど…と、言うとコウは人懐っこい笑みを浮かべた。

「全然いいっすよ! 今度会った時に返してくれれば」

「うう…ありがとう…、この借りは絶対に返すからっ」

 ニコニコと笑うコウに、聖月は何度も頭を下げお礼を言った。

 コウに「今日の指名、頑張ってくださいね!」と言われて聖月は曖昧に笑顔を作ることしか出来なかった。

 ―――駅前、20時5分前。

 聖月は、ビニール傘を差し、待ち人を待っていた。ドドド…、とけたたましく雨は地面に降り注ぐ。極力濡れないようにしてきたが、大分濡れてしまった。黒いジャケットがさらに黒く色を変えている。携帯に、そろそろ着くと宗祐から連絡があった。

 駅の屋根のある場所ではなく宗祐に見つけやすいように聖月はバスの停留場がある場所で待っていた。

 パーッ、とクラクションを鳴らされ、顔を上げると、黒で塗られた高級車が目の前に止まっていた。

「セイくん」

「は、羽山様」

 助手席の窓から顔を出したのは、待ち人である宗祐だった。宗祐の隣の運転席には、見たことのない綺麗な黒髪で眼鏡の男性が座っている。「濡れるから入って」と言われて慌ててドアを後部座席のドアを開けた。車内に入るために傘を閉じたが、瞬間、水が足と車内の床に飛び散る。

「あっ」

 聖月は慌てて、濡れてしまった足と、座席をハンカチで拭く。分かっていたが、車は全てが高級そうで、濡れてしまうのも、座るのも罪悪感が大きい。広々とした車は、聖月には落ち着かない場所だった。ソワソワしていると、助手席に宗祐がこちらへ振り向いた。端正な顔立ちは、何度見ても慣れない。

「シートベルトはしめたかな?」

「えっ、あっ、し、しますっ」

 聖月はその言葉で自分のせいで、発進していないことに気づいた。ミラー越しに運転手の人にじっと見られている事が分かり、恥ずかしさに赤面する。ワイパーが動く音だけが響く車内に、シートベルトを着用した音が鳴った。

 それを合図に、車は静かに出発する。落ち着きなくきょろきょろと周りを見渡す聖月に、宗祐はクスリと笑った。

「ここも…落ち着かないかな?」

「えっ、え〜と」

 しどろもどろに話す聖月は肯定を意味していた。宗祐はクスクスと笑い、視線を隣に移し口を開く。

「今運転してくれているのは、私の秘書である別府だ。休日なのに心配で私に着いてくるぐらい忠実で心配性のヤツだよ」

「………」

 別府(べっぷ)と呼ばれた彼は、無表情でバックミラー越しに聖月を一瞥し、無言のまま視線を俯かせる。別府は知的な雰囲気を持つ男性で、顔は端正で、眼鏡をかけている。スーツ姿の彼は、少し疲れているように見えたのは聖月だけだろうか。

「…貴方が粗相をしないように、見張っているだけです」

 別府の無機質で事務的な言葉。だが、声音はどこか呆れているような、心配しているような…そんな雰囲気があった。

「へえ、まさか家の中までついてくるんじゃないだろうな。別にそれでもいいけれど。ねえ? セイくん」

「えっ、……、あっ、は、はい…」

 クスクスと笑う宗祐は、聖月と話す時とは違って見えた。思わず心臓がドキッとする。もしかしたら、こちらの宗祐が素なのかもしれない。宗祐の言葉に、別府はミラー越しにこちらを見て、視線を前に落とした。

「…そんな野暮な事はしませんよ」

 別府はそう言ったきり、黙ってしまった。宗祐は、楽しそうに笑っている。聖月はほっとする。家に着いて来られたら、何をしていいのかよく分からない。心配して休日なのについてくるなんて、迷惑をかけたのではないかと口を開く。

「あの、すいません。休日なのに、運転してもらって…」

「……いえ」

 別府は、無機質な声で否定する。何か気を悪くしたのではないかと思った聖月に気が付いたのか宗祐は優し気に言った。

「あぁ、セイくんは気にしなくていいよ。別府は私がセイくんに何かするんじゃないかって勝手に心配してるだけだから」

 綺麗に微笑まれ、聖月は身体を硬直させた。セイくんに何かするんじゃないかって心配してる―――。聖月は、その言葉が気になりつつも、頷いた。

「そ、そうなんですね」

 カチカチカチ…、ウィンカーが動く音が聞こえる。雨が車に打ちつけられ、一定の大きなリズムを刻んでいた。車の中で夜の雨を見るのは好きだった。車が動くと水滴が流星のように光るから、それを見るだけで時間がすぐに経つ。

 別府の運転は大雨でも安心できる、スマートで丁寧なものだった。だから、思う。この人は、聖月がこうやって宗祐の家に行くことをどう思っているのだろうと。あまりよくは思っていないかもしれない。宗祐は、自分が聖月に何かしないようにと言っていたが、もしかしたら逆に思っているかもしれないのだ。

「…すごい雨だね」

 考え事をしていた頭に、宗祐の声が響いた。宗祐は静寂が流れた中でも聖月に気さくに話しかけてくれる。聖月はそれに応えようと出来る限り、上手く答えようとする。

「秋雨前線が、停滞してるって…ニュースで言ってました」

「じゃあ今週はずっと雨かもしれないね」

「…はい」

 聖月は大きく頷く。先程よりも、緊張は薄れた。だがすぐ楽しい会話が生まれるわけではなく―――、また静寂が生まれる。激しい雨音は、その静寂に音を生み出してくれたおかげか、あまり聖月は気にせず窓の流れる真っ黒な景色を見つめていた。

 それから、20分後。目的の場所に着いた車は、停止した。

「別府、有難う」

「別府さん、ありがとうございましたっ」

 車から降りた二人。聖月は開いた車の窓越しに深々とお辞儀をした。ただの男娼に対してわざわざ休日の日に迎えに来てくれるなんて、普通だったら有り得ない。お礼を言う聖月に、別府は無表情のまま小さく会釈をした。

「…はい、ではまた。終わったら、ご連絡ください。迎えに行きますので…」

「え、あ…っ」

 それは、大丈夫です―――そう言おうと思ったのに、車は走り出してしまった。遠くなる車に、聖月は傘をさしながら呆然と見つめる。ざあざあと強く降り続く雨。傘を持つ手が冷たかった。

「セイくん、早く中に入ろう。風邪をひいてしまうよ」

 そっと肩を叩かれ、聖月はビクッとした。

「あ―――」

 そのまま宗祐の顔を見ようとして、聖月は固まる。目の前には、見たこともないような豪邸が広がっていたからだ。周りも1億円ぐらいかけてそうな立派な家が立ち並んでいたが、その中でも宗祐の家はさらに金をかけていそうだった。十夜の家と同じような立派な家で、聖月は一気に身体を緊張させる。

 和と洋の融合のその佇まいに、聖月は「うわあ」と感嘆の声をあげる。大きすぎるモダンな黒の門扉のオートロックを素早く開けた宗祐は、驚いている聖月を置いて先に進んだ。長い石畳の道を歩いた先の玄関には、監視カメラがついていることに気づき「うおっ」と声を上げてしまう。

 ―――本当に別世界の人だ。

「セイくん」

 まだ門扉をくぐり、立ち止まっている聖月に宗祐は大きな声で呼んだ。

 滑らないようにね―――、そう言いながら手招きする宗祐に、聖月は忠告通り滑られないように…と祈りつつゆっくりと歩を進めた。

 

 
 

 

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