アドレナリンと感覚麻酔 

第三章 第十二話

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「すいません…狭くて」

 黒川に通されたバックヤードは彼の言葉の通り狭いものだった。4つの椅子1つの机が置いてある部屋は決して広いとは言えない。優しい声は、今いる場所が男娼館という事を忘れてしまう程だった。小さく会釈した黒川の長い前髪がサラリと揺れる。隠された肌に一瞬見えた赤黒い小さな一筋の傷跡に聖月は目を見開かせる。

 それは暗い彼の過去を連想させるもので。どうしてこんな人まで、こんなところで働かなくてはいけないのだろう、と悲しくなる。そして聖月は今自分があまり良くない事をしていると自覚を強くした。

「あっ、立ちっぱなしも辛いと思うので座ってください」

「すいません…」

 黒川が「どうぞ」とパイプ椅子を引いてくれたので聖月は腰を下ろす。ビショビショに濡れた自分に「拭いてください」とタオルを差し出されて泣きそうになる。こんなに『裏方の人』に優しくして貰ったのは久しぶりだったからだ。

 ディメントでナンバー持ちをやっているとは言っても、聖月はディメントの裏方に尊重されるような人間ではない。可愛らしいケイや神々しい神山の人望は計り知れないものがあるが、すぐに横暴な態度を取る蒼や、売れた理由も分からない聖月の風当たりは厳しい。蒼は逆らってはいけないと感じているのか表面上は裏方の仕事をしてくれているが、陰口を叩かれていることは有名だ。

 聖月も同じように表面上の仕事ではきちんとやってくれているが、態度は冷たく、嫌々ながらやっていることが分かるもので、同業で優しいのはコウやケイぐらいだ。だからか、黒川の人柄が滲み出る優しさにうるっとしてしまう。

 受け取ったタオルを持ってジーン…としていたら、おずおずと言った様子で黒川が言った。

「あの……ライブラになんの用でしょうか?」

「えっ」

 驚いてから、そうだった、と思う。本来の目的を思い出し、目が泳ぐ。

 黒川はかなり申し訳なさそうに聞くので、聖月の罪悪感が揺さぶれた。こんな個人的な事を聞くことのためにここまで来てしまった自分が、あまりに自己中心的すぎて吐き気がせり上がってくる。机の向こう側で椅子に座り真剣な表情で問いかける彼に聖月はごくりと唾を飲み込み、彼のように背筋を伸ばす。

 聖月は覚悟を決め、全てを打ち明ける。

「……すいません。ここに来たのは、ディメントとか関係なくかなり個人的なもので…、ある人の事を知っているかどうか聞きたかったんです」

「…ある人……」

 黒川の顔は雄弁だった。呟いてから、ほっとし、だがすぐに気を引き締めた彼の顔は先程会った時の印象とはまるで違っていた。ミステリアスな雰囲気を持つ彼だが、本当は素直で年相応の青年なのかもしれない。

 聖月は意を決して『名前』を話す。

「…羽山宗祐…って人知らないですか?」

 「羽山宗祐」と声に出した時、あまりに声が震えていて自分が言葉を紡げたのか不安になった。耳朶に響いた声は人間の言葉ではないような気がした。―――言ってしまった。もう戻れない。ガラガラと自分の周りが崩れ落ちていく気分だった。宗祐にも、目の前の彼にも失礼な質問だと思った。だが、聖月は我慢できなかった。この知りたいという欲求に。

 黒川の目の瞬きがスローモーションに見えた。

 固唾を呑み、聖月はジッと黒川を見つめる。貸してもらったタオルを握りしめて、ドキドキとうるさいぐらい心臓の音を感じていた。

「…………う〜ん…」

「……」

 黒川は唸り、そして首を傾げた。分からない、そんな表情を浮かべて。記憶を巡らせているのか、黒目が上を見ている。首をゆっくりと傾け、首に手をやり、考える仕草をする彼に聖月は実際は数十秒もなかっただろうが、1時間以上待っているような感覚で答えを待っていた。

 緊張で心臓がバクバクと早鐘を打ち、個々の部屋は寒いはずなのに汗が噴き出る。聖月は死人のような顔色で黒川の次の言葉を受け入れようとしていた。

 唸る事1分。彼は勢いよく頭を下げた。

「……す、すいません。聞いたことないです」

 彼の頭のてっぺんを見て、聖月は彼に「知らない」と言われたことを理解した。

「あ…、そう……ですか」

 聞いたくせに失礼すぎる間抜けな声が出てしまった。身体の緊張が解け、どれだけ自分が意を決して言ったのか分かった。ほっとしたような、がっかりしたような、グチャグチャになった感情が胸で暴れまわっていて一気に胃酸がせりあがり吐きそうになる。

 じゃあ、やっぱり、宗祐の言葉は嘘なのかな…。

 そう思った時だった。

「も、申し訳ございませんっ、俺、役に立たなくてっ」

 さらに頭を下げ、かなり申し訳なさそうにする黒川に思わず聖月は立ち上がった。

「え?! す、すいません、全然、黒川さんは悪くないです、謝らないで下さいっ俺の方が勝手にここまで来てタオルまで貰って迷惑かけちゃったのに…」

「いや、わざわざ来てくれたのに何にも情報を渡せないなんて本当に申し訳なくてっ。これも俺のポンコツな脳みそのせいで…」

「おいおい〜、クッキー何一人で騒いでんだよ〜」

 まぁた、マイナス思考かぁ?と、謝り合戦になっている二人の耳にのんきで軽快な低い声と共にドアが開かれる。

 現れたのは茶髪で髭を生やしたハンサムでダンディな印象を受ける40代の男性だった。着崩したスーツ姿で現れた彼は、聖月を見るなり目を見開かせ勢いよく聖月に駆け寄った。そして聖月の手をガッと掴むと勢いよく口を開く。

「君って、ディメントナンバー3のセイだよね?! オレ、ここのオーナーの宝条大河って言うんだけど、どうしてここにいるの?! もしかしなくてもディメントからうちに希望?! あ、クッキー引っ掛けてきたんでしょ!やるねぇ〜」

「…っえ?」

 聖月は混乱し、かなり間抜けな声を出して固まった。

「宝条さんっ」

 宝条大河(ほうじょう たいが)と名乗った男性は聖月の手を握りしめブンブンとニコニコと笑いながら振り回す。聖月が何が何だか分からず放心していると、宝条に「クッキー」と呼ばれた黒川が名前を叫んだ。あだ名なだろうけど、クッキーってかわいいな、とか思ってしまった。

「セイさんから離れてくださいっ! 勧誘するつもりでしょう!」

「そりゃあ、当たり前だろ〜。こんな上玉勧誘しなくていつするの? あ、セイくんこれオレの名刺ね。電話番号、ここに書いてあるからうちに興味あったらいつでも電話して? ね?」

「あ、はい…どうも…ありがとうございます」

 マジシャンみたいに名刺が手から出てきたので聖月はそちらの方に目を奪われた。イリュージョンみたいだ。顔を上げて宝条と目が合うと、ウインクをされ、やっぱりオーナーってすごいなと思う。小向もきっとできるだろう。嵐のような状況にどうでもいい事ばかり考えてしまう。

「セイさん、受け取らなくていいですよ? この人、受け取った時点でもう勧誘成功だと思い込んじゃうんで、迷惑なら拒否していいんですよ?!」

 黒川の言葉に宝条が軽快に笑う。

「ははっ、マジクッキー辛辣〜、さっきのネガティブどこ行ったし〜」

「セイさん、宝条さんの妙に若作りな話し方に固まってるんでやめてもらっていいですか」

「えー、ひどい〜、大河くんまだ41歳で若者なのにぃ〜」

「…知らないなら言いますけど、41歳は立派なおじさんです」

「…ぷっ、…あははっ」 

 辛辣な黒川の言葉に、軽すぎる宝条の絶妙にバランスが取れた掛け合い。聖月は笑ってしまわないように堪えていたが耐え切れなかった。一回我慢できないとずっと笑ってしまう。面白すぎて思わず爆笑していると、黒川はポカーンとし、逆に宝条はニヤついていた。

「セイくん笑ってる〜」

 可愛いねえ、とオーナーに言われて聖月はかあっと顔を赤らめた。

 初めて会った人に直球に言われたのは何だか久しぶりで妙に恥ずかしかった。顔が美形だと余計に恥ずかしい。クスクスと笑う宝条に黒川が言う。

「セイさんはここに勧誘されたくて来たわけじゃないんですよ。探している人がいるからわざわざここに来てくれたんです」

 その言葉にドキッとする。汗がどっと噴き出た。

「…へえ〜、そうなんだ〜。オレが知ってる人なら全然教えられるよ」

 オレって結構ウワサ好きなの、と軽い言葉で言われて頭の中で宗祐の顔が浮かんだ。黒川は知らなかったが、彼なら―――…。宝条の人が好さそうな笑みに後押しされ、聖月は震える声で「はやま そうすけ って方、知っていますか」と問いかけていたのだった。

 

 


 

 

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