RIP IT UP

第8話

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 それから半年後。

 義孝はある連絡を受けて、大急ぎでM総合病院に向かっていた。一世一代の、これから一生に一度しかないかもしれない大切な日になることを義孝はひしひしと感じながら、若くない身体で全力疾走で病院へ続く道を走り抜ける。今日が休日の朝でよかったと思う。平日だとしても、有休を取り行くつもりだったが、有難い。

 妹の夫である、鈴岡広(すずおか ひろし)から電話があったときは、心臓が飛び上がりそうな程驚いた。ちなみに、偶然ではあるが彼の苗字は元々鈴岡だ。同じ苗字で親近感が湧いた所からの出会いだったらしい。二人が付き合った頃に、散々聞かされてきた話だ。

「生まれたのか?!」

 聞かされていた病室の番号にノックもせずに、義孝は入った。

 ギョッとした顔をした看護師さんなんて目に入らない。義孝はベットに横たわったユイに抱かれている、小さな命を見つけると駆け寄った。

「うわあ…」

 義孝は思わず感嘆の声を上げた。生まれたてのその命は、目を瞑り寝息を立てていた。長い睫毛、生まれたてでしわくちゃの肌、小さな掌、小さな身体、ふわふわとした茶色の少し生えている髪の毛。目の前にいるのは、息を吸って吐いている一つの生命だ。

 義孝には眩しくて、感じたこともない喜びが身体を覆っていた。

 妹のユイが妊娠している。その連絡を受けてから8か月。ついに出産日を迎えた。予定日がずれて遅れている―――そう聞いていた。生まれたら連絡が来る。ユイの夫である広からそれを伝えられ今か今かと待っていた義孝は連絡が届き、急いでここまでやってきたというわけである。

「ユイに似てるなぁ…」

 じっと赤ん坊を見つめる義孝の表情は慈愛に満ちていた。そんな様子を見たユイは幸せそうに、生まれたばかりの我が子を撫でる。その妹の表情も慈愛に満ちている。

「目は、広さんに似てるんだよ」

「いや、ユイにも目尻が似ているよ」

 夫である彼は、優しそうに微笑んだ。義孝と同じく眼鏡をかけているが、知的で優しい、料理上手な彼はユイにお似合いの素晴らしい人だ。広とユイ、赤ちゃんが3人で並んでいる姿を見ると、『家族』そのもので心が温かくなる。

 きっと3人はいい家族になるだろう。

「男の子?女の子?」

 義孝は気になっていた事を問う。ユイはにこやかに答えてくれた。

「男の子だよ」

「へえ…そうか、男に見えないぐらい美人さんだな」

 そんなことを言いつつ、義孝は驚いていた。目を瞑っているその赤ん坊は、睫毛が長く、頬が丸いのでてっきり女の子だと思っていた。義孝の反応に、ユイと広がくすくすと楽しそうに―――幸せそうに笑う。

「もう、お兄ちゃんったら…。もうすっかりメロメロなんだから」

「はは、義孝さんに美人さんって呼ばれて嬉しそうだな。この子も」

 頬を広にツンツンと突かれながらも赤ん坊は、寝息を立てながらも嬉しそうに笑う。

「そ、そんなつもりじゃ…ッ」

 義孝が顔を赤らめた瞬間だった、部屋のノックと共に見知った人が顔をのぞかせたのは。

「…生まれたんですね」

「うわっ、と…伊勢さんッ?!」

 白衣姿の恋人―――このM総合病院の医者でもある透が目の前に立っていた。突然の登場に驚く義孝とは反対に、妹夫婦は笑顔を見せた。

「あッ、来てくださったんですね」

「ユイさんと広さんの素晴らしい日ですからね」

「仕事中なのに、わざわざ有難うございます…」

 妹は嬉しそうにお辞儀をした。透は完璧な紳士的なスマイルで妹を見つめる。

 妹夫婦と透は顔見知りだ。どうしてかと言うと―――義孝が紹介したのだ。義孝の『同棲相手』だと、大切な『パートナー』だと。初めは紹介するのがはばかれた。どんな反応が返ってくるかも分からなかったから。だが二人は、義孝の告白を思いのほかすんなりと受け入れた。

 お兄ちゃんが幸せならそれでいい、と。

 それがどれだけ有難かったか。義孝はありがとうと、ユイを抱きしめた。ユイは一人の女性として―――いや一人の人間として、兄を認めてくれた。それは誰がどう見ても恋人として透が完璧な人だったからかもしれない。だが二人が受け入れてくれたことは、義孝の勇気となった。

 まだ同性の恋愛が受け入れがたいこの世界での味方は心強いものだった。両親にはまだ言えてはいないが、もしかしたら透であれば…きっと受け入れてくれるかもしれない。

「可愛いですね。男の子ですか? 名前はもう決まっているんですか?」

「ええ」

 透の質問に、広は頷く。彼はユイと目配りをして、頷いた。そしてユイが、ゆっくりと口を動かした。その眼は、どうしてか質問者である透ではなく義孝を見つめる。

「孝広です。お兄ちゃんと広さんの字を一文字づつ取って、孝広」

「え……」

 孝広(たかひろ)、と呼ばれたその子はしわくしゃの顔で微笑んでいる。それは名前を認識し、返事をしているように見えた。

 義孝は予想外の言葉に、まるで天地がひっくり返ったような感覚がした。

「お兄ちゃんと広さんのように、優しい人になってくれればいい。私の事をずっと守ってくれていたお兄ちゃんのように、人を守ってあげられる強い子になって欲しいから、孝広って名付けたの。広さんもそれがいいって、言ってくれたから…」

 はっきりとしたユイの声は、義孝に衝撃を与えていた。

「ユイ…」

 義孝はユイの名前をか細い声で呼ぶ。

「…義孝さん」

 俯いた義孝に、そっと透が肩を寄せる。義孝は目の前が眩しくて―――自分には持てない幸せを貰ってしまった気がして―――目の前がぼやけて見えなくなる。義孝は溢れ出る感情を堪えられなかった。ボロボロと涙が溢れて止まらない。

 愛しい可愛い妹の子。そんな子の名前が、自分の一文字を使って貰えた。それだけじゃない。ユイの言葉は、今までの義孝の人生を肯定してくれていた。生きていてよかった。今まで生きてきた意味はあったのだ。

「ありがとう…ありがとう…」

 義孝は、何度も何度も感謝の気持ちを声に出した。

 ―――私の事をずっと守ってくれていたお兄ちゃん

 妹の言葉がグルグルと回る。あの時―――あの月村から、自分はユイを守りきった。だから―――守ったから、新しい命が生まれた。自分を犠牲にして、義孝は大切な人を守ることが出来た。義孝は身体を蹂躙され、月村に敗北したわけではない。義孝は勝利していたのだ。

 ユイはもしかしたら…月村の事情を知っていたのかもしれない。だが今はもうそんな真相何てもう義孝にとってはどうでもいい。今、この幸せを噛み締めたい。

「お兄ちゃんも泣くんだね」

 ユイの言葉に、ハッとする。

「な、泣いてるわけないだろ」

 目を擦り、義孝は楽しそうに笑う妹を睨みつける。そんな虚勢を張る義孝の顔に手が伸びた。

「目、真っ赤ですよ。…義孝さん、可愛い」

「ば…ッ」

 透が幸せそうに笑いかけ、義孝の眼鏡をずらし目尻に浮かぶ涙を長い指で拭き取る。そのまま透は夫婦が見ている目の前で液体を舌で舐めとったのだ。義孝は思わず大声を上げそうになり、口を塞ぐ。ここには生まれたばかりの孝広と出産したばかりのユイがいるのに何てことしてんだ!―――その意味を込めて隣の恋人を鋭く睨むと憎たらしい恋人は蕩ける笑みを浮かべていた。

 その甘い表情を見てかぁっと顔を真っ赤にした義孝は、居ても立っても居られなくて思わず叫んでいた。

「帰るッ」

「あっ、お兄ちゃん」

 妹の引き留める声で後ろ髪を引かれるような気持ちになったが、言った言葉を引っ込める程義孝は出来てない。鞄を持って部屋を飛び出した。まだ両親に会ってないが、今はいたたまれないので会わなくていい。

 大きな男が後ろから追いかけられていることが分かったが、義孝は無視して走った。

 

 義孝は何度帰っても落ち着かない家に帰って、寝室のベットで横になっていた。義孝がこの透のマンションに引っ越してきたのは1ヵ月程前だ。透に同棲をしましょう、と言われて頷いたが手続きやら引っ越しの準備で、実際にこの家に来るまで結局決めてから4ヶ月ほどかかってしまった。馬鹿でかいこのマンションは、1人でも広すぎたが2人になっても広すぎる。

 友人である佐藤に同棲の話をメールでしたら、「玉の輿おめでとう!!」と返信が帰ってきた。まあ確かに玉の輿感は否めない。毎日美味しい料理を作ってくれて、洗濯もしてくれる。義孝がやろうとしても、既に終わっている状態が多く、家事まで完璧な透には敵わない。

 白すぎる寝室は落ち着かなくて義孝が勝手に持ち込んだ青の枕や、家に会った絵画を壁に飾ったりしているので、初めてこの部屋に入った時よりずいぶんと色がついてきた。大きすぎる2人用のベットにいると、ギシ…と音がした。この家の本来の主が帰ってきたのだ。

「ただいま戻りました」

「おかえり」

 振り向くと透が頬を寄せ、優しいキスをする。それは帰って来た時にする、所謂「ただいまのキス」だ。恥ずかしくて初めは抵抗したが、もう抵抗するのは面倒なのでやめた。時計を見るともう22時近い。

 透と生活すると、彼が不規則な生活をしていることがよく分かる。義孝に会いに来ていたのは、わざわざ時間を作ってくれて、随分無理をしていたのだと、やっと分かった。それと同時に義孝は恐ろしくなる。そうまでして自分に会いにきていた目の前の透に。

「…そう言えば透の両親ってどんな人なんだ?」

 エリート家族っぽいけどな、と言うとシャツを脱いでいた透が目を丸くした。義孝は頭をかきながら、説明のために口を動かした。

「急にどうしたって感じの顔だけど……。俺、あんたのこと何にも知らないなって思ってさ」

「……僕に興味を持ってくれるなんて…嬉しいです」

「あっおい、」

 どさっと、ベットに倒れ込む二人。透が義孝をベットに押し倒したからだ。透はあまり見たこともない、興味のなさそうな顔で義孝の顔を見ずに答える。そんな様子を見たことがなかった義孝は、無性に胸がざわついた。

「……あまり話しても面白くないですよ。母と父が居て、兄と弟がいて、それと妹がいます」

「…そうか。思ってたより、大家族なんだな。へえ…そうなんだ」

 透はそれっきり黙ってしまった。きっとあまり話したくないのかもしれない。透は今の今まで家族の話すことはなかった。もしかしたら義孝の家よりも重い事情があるのだろう。もしずっと暮らしていたら話してくれるかもしれない。また透の事が知れるかもしれない。そう思うと、少しだけ心が軽くなった。

「…孝広くん、可愛かったですね。義孝さんに似てます」

 透が笑みを浮かべる。

「ええ?! そんなわけないだろ、俺に似たら睨むと怖いヤンキーみたいになっちまう」

「そんな孝広くんだったら、僕がメロメロになってしまいます」

 義孝に微笑む透は、家族の話をする時より生きた表情をしていた。義孝はそれにほっとし、手を大きな背中に回す。今日生まれた小さな命。ずっと、元気でいてくれればいい。自分の中にそんな無償の愛があるのだと初めて実感した。

「義孝さん、愛してます」

 息を吐く様に、自然と、目の前の男は言った。

 義孝は初めて会った時の事を何故か思い出していた。指をなくし動転した義孝を、この人は救ってくれた。

「……ああ、俺も愛してる…」

 義孝は、やっと恥ずかしく思えず俺も、と言えた。そして唇を自分からそっと奪う。思っていたよりもカサついた唇で、ふふっと笑った。

 紳士的で変態ではあるが、優しい自慢の恋人。頷きキスをすると透が、眩しそうに、幸せそうに笑うから。義孝は嬉しくて、目を細める。透の眼に映る嫌いだと思っていたこの顔も、あまり嫌悪感を抱かない。どうしてだろう。キラキラとした透の瞳の中にいる自分は、嫌いにはなれないと思った。

 大切な人が好きだと言ってくれる自分を、嫌いになってはいけない。嫌いになっては、ダメだ。義孝は幸せを噛み締め、近づく唇を受け入れた。

 ―――きっとこの白い部屋で、義孝たちは愛を育てていくだろう。これからも、ずっと。

 

 

◇END◇

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