夏の照りつける太陽が、じりじりと肌を焼いていく。子供たちの楽しそうな声、叫び声、老若男女の話声。ちりん…と鳴る風鈴の音。
「らっしゃいませ〜」
俺はやってきた水着の女性客に声を上げる。海パンにエプロン姿で俺は店の中を奔走していた。周りを見渡すと賑やかな店内に、一層人が集まっている場所があった。俺は大体そんなところには、奴がいると分かっている。幼馴染の男が、俺を見つけると大きな声で呼び止めた。
「有人ー、おねえさんたちがマンゴージュース欲しいって〜」
キラキラの笑顔を振り向いている海の家の王子様――――陽人に、きゃーっと黄色い悲鳴が上がった。
「…っ、かしこまりぃ!」
お前は、女子と遊んでいる前に働け―――ッ!
俺は掛け声を上げながらそう言いたいのを堪える。陽人は若い女子たちを呼び込んで店の売り上げに貢献していると分かっている。だが、こっちが汗水たらして働いているのに、女子とイチャイチャしやがって!と思ってしまう。
俺は陽人のお陰で補習を何とか乗り切った。補習にちゃんと出る、補習の点数を20点以上上げる。母ちゃんにそんな課題を出されたが何とクリア出来たのだ。陽人の献身的で的確なアドバイスがなかったら絶対に出来なかっただろう。
60点以上のテスト結果を見せたら母ちゃんは俺より喜んでいた。陽人くんのお陰ねえ、そう言われてムッとしたが、本当の事なので何も言い返せない。
かくして俺は井口の親戚がやっている海の家にバイトが出来ることになった。本当に、陽人がついてきたのはビックリしたけど。井口のおじさん…海の家「ちゅら」の店長コウヘイさんは人手が増えて有難いと言っていたからまあいい事なのだろうけど。
海の家「ちゅら」は、昨今赤字経営らしい。ここから歩いてすぐの綺麗な海の家が出来たらしくそちらに客足が行ってしまったらしい。見た目が確かにボロボロだが、頂いた焼きそばが美味しいので、なくなってしまうのは俺ももったいないと思った。
売り上げを前年比より上げて欲しいんだ!とコウヘイさんに言われた時は、どうなるかと思ったけど、ここ3日程働いていると、初めて来た日より人気になってきたみたいだった。イケメンが入ってきたからだよぉ、と嬉しそうに言われたがほぼ陽人の顔で吊れた気がしてならない。
陽人が客引き、俺はフロアで、客のオーダーを取ったりしている。
初めは慣れなかったけど、メニューも少ないし、失敗もたまにしつつ俺は頑張ってやっていた。家から電車で1時間半かかるので、近くのコウヘイおじさんの家に泊って2週間住み込みバイトをしているので、食費が浮くことも嬉しかった。
海の家の中は熱くて死にそうだし、塩にやられて髪がぱさぱさになってしまうけれど、動き回っているのが愉しいので特に悔いはない。何より売り上げが上がったら、バイト代も上がると言ってくれたので余計に頑張れた。外を見れば青い海が広がっているので、気分も清々しい。
「ねえねえお兄さん」
ポニーテールで金髪のギャル風の同い年ぐらいの女の子に呼び止められて、俺はマンゴージュースを持ったまま振り向いた。するとその女子が黄色い声を上げて俺に近づいた。
「あっ、やばい〜! カッコいいぃ〜! ね、ラインやってる?! 交換しよ〜よぉ」
「えっ?!」
俺は思わぬ事に、鼻血を噴き出しそうになった。お、おっぱ…―――!
ぎゅうっと腕を抱きしめられ、黒いビキニに包まれた胸を押し付けられている。むにゅっとした感触に、早くマンゴージュースを届けなきゃいけないという事は分かっていたが、石のように固まって動けなくなる。
「ねえ、いいでしょお〜?」
甘い声に、鼻の穴が広がるのが分かる。俺は滅多にない事に「お、お、おおおおれはッ」とどもっていると聞き慣れた声が聞こえた。
「おい、有人。何掴まってんだよ、お客さん待たせんな。…お姉さーん、こんな童貞野郎ほっといて俺と話さない?」
陽人は、俺に耳元で囁くと、王子様スマイルでギャルの顔に近づいた。
「ええー、童貞なの?!その顔で?! めっちゃ意外―、ダサッ」
「うぐっ、分かったよ。行けばいいんだろ、いけばッ」
陽人に助けられたが、いらない言葉を貰ってしまった。ど、童貞で何が悪いんだよ! 俺は急いでオーダーがあった客の所に持っていく。客は俺を見るなり「目つき悪いけどカッコいい〜」「こっちの方が好みかも」「ワイルド系…」と呟いた。
ああいうふうに言われたのは3回目ぐらいだ。皆俺の事を、カッコいいとか言ってくれることが増えて海の家効果だろうか? 海は男をカッコよくさせるとか言うしな。もう少しこの効果に浸ろうとしようと思う。
陽人を見れば、金髪の髪をキラキラさせて先ほどのギャルと楽しそうに喋っていた。
ヨウはここでも大人気だな―――。
そんなことをぼんやりと考えていたらいつの間にか休憩時間で俺は一緒にフロアで働いている井口に「休憩してくる」と言って、その場を離れた。
俺は疲れた身体を癒すためリフレッシュするために海の家から少し離れた場所にいた。
家族連れやら、恋人同士、友人たちではしゃいでいる浜辺を見ているとどこか落ち着く。海は昔から好きだった。25メートルしか泳げないから海には入らないけれど。夏の日差しを受けながら、ビーチサンダルで歩いていると、肌が赤くなっている事に気づいた。触れるとヒリヒリとして顔をしかめる。
「あー、ヤベ。日焼け止め塗ってねえ」
朝寝坊して急いできたので、忘れていたみたいだ。いてえと呟いていたら、目の前に影が下りていた。
「お兄さん、日焼け止め忘れた?」
目の前にいたのは、筋肉質な俺より年上っぽいスポーツマン風の3人組だった。爽やかに話しかけてくるので、フレンドリーだな…と思いつつ俺は頷いた。
「えっ?? うん、まあ…」
「俺たちの塗ってあげよっか?」
「え、なんで?」
急にそんな事を言われると、流石に驚いて目をぱちくりさせる。訝しげに見る俺に対し真ん中の八重歯が光る茶髪で短髪のお兄さんが口を動かす。
「お兄さん≪ちゅら≫で働いてたでしょ? あそこの焼きそば上手かったらお礼にって思って」
笑みを浮かべてお兄さんは言った。
「…じゃあ、貰えるんだったら貰いたいんだけど」
人が多すぎて3人組の事は覚えてなかったけど、それなら親切にしてくれる理由が分かり俺は頷いた。いつの間にか3人に囲まれていた俺は、肩に触れる手にコミュ力たけえと思いながらふいに歩き出す歩幅に合わせた。
「うん。大歓迎だよ、あっちでやろうよ」
お兄さんたちは俺の事をジッと見ていた。それに恥ずかしさを覚えつつ、俺は喧騒から離れた場所に連れられる。
―――いつまで歩くの、コレ…?
そんな疑問が湧くほど俺たちは大分歩いていた。休憩時間はまだ少しあるけど、これ以上歩くと遅れるかもしれない。まだですか?と聞こうとしたら、あまり人が居ない場所にレジャーシートが置いてあり、一人が「ここだよ」と言った。
「横になって」
「え?! い、いいですよ、そんなっ」
首をブンブンと振って俺は否定した。
「背中とか濡れないでしょ」
「た、確かに……そうかも…?」
右のお兄さんの言葉に納得し俺はドキドキしながらレジャーシートでうつ伏せになる。岩陰でちょうど日陰になっているから寝転がると冷たくて気持ちいい。お兄さんの手が伸び、背中を撫でる。冷たい指が焼けた肌には痛くて俺は呻くのを抑えた。
日焼け止めクリームを俺は今か今かと待っていたが、中々冷たさが来ないので、俺は思わず振り返った。だがすぐにそれを後悔した。お兄さんたちの顔は、まるで野獣のような激しさを持った危ない表情をしていたからだ。
「キミ、いい身体してるね…。程よく日に焼けてる…海の家で働いてるからかな?」
「ここのラインがセクシーだ…」
「うおっ!」
うっとりとした声と共に、腰を撫でられ俺は身体をビクつかせようとする―――が、いつの間にか3人で抑えられており、抜け出せない。あれ、俺なんか掴まってる? 嫌な予感がした。これは勘だが、俺はかなり危険な状態なのかもしれない。
―――な、なんかやばい…!
「まさか何も見返りなくやってもらえるって思ってたの? ホント馬鹿可愛いな」
目が据わっている男に本気なのだと分かり恐怖で身体が震えた。粘ついた声と笑みに、先ほどの爽やかさはどこへいった?!と思う。
「おれ、お金ないですけど…っ」
俺は思わず叫んだ。今自分は財布とかを全部持ってきてない。どうしよう―――。俺は嫌な汗を感じ、身体をばたつかせようとするが、男3人の力は相当のモノだった。体力に自信があるが、お兄さんたちは筋肉質なので敵うわけがない。
「お金じゃないよ、キミのから―――ッ」
男の言葉は最後まで言われなかった。何故なら男は吹っ飛んで、砂に突っ伏したからだ。ボコッ―――鈍い音がした方を見ると、何故か息を切らせた陽人が居た。
「何、のこのこついていってんだよ馬鹿! 今どきの小学生より防犯意識低いなっ」
「な…ッ」
大きな声で罵声を浴びせられ、俺はカーッと赤くなる。仁王立ちで男2人と対峙する陽人は、お世辞じゃなくて本当にヒーローのようにカッコいい。突然現れた金髪の海パン姿の陽人に男たちは慄いていた。
「なんだよ、コイツ! 急に出てきて…っ」
「あっ、コイツ、この子と一緒に働いてた奴だ!」
飛ばされなかった2人の男は、素早く立ち上がる。俺は急いで加勢しようと陽人の方へ駆け寄った。だが陽人は待ったの声を上げる。
「有人、早く行けよ。足手まといなんだから」
「はあ?! バーカ、俺だってやれるわ!」
「ふーん。ホントかよ、怪しい奴らに捕まってんのに?」
陽人は俺の顔を見て鼻で笑った。――――ッめっちゃムカつく!
「〜〜〜、クソッ! うるせーっ」
俺は激情のまま、日焼け止めクリームを塗ってあげる、と言った男に向かって拳を振り上げた。俺の行動が予想外だったのだろう。拳が男の顔にクリーンヒットし、海パン男は砂浜に叩き付けられた。一人残った男は、嘘だろ…と言う顔で俺たち二人を見ていた。
それから陽人と目配せして俺たちが最後に残った男に二人同時に殴りかかったのは言うまでもなかった。