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月村とミクルと別れた佐藤は自分のマンションに着くと、スマホが震えている事に気付く。どうやらメッセージが届いたようだ。それをベッドに腰かけながら確認する。
『ミクルです。今日はありがとうございました。またお会いしたいです。今度の成吾さんの集まりに行く予定なので、縁があればよろしくお願いいたします』
ミクルからだった。丁寧に書かれた文章にミクルらしさを感じる。名前を確認すると藤堂ミクル(とうどう みくる)となっており、漫画のキャラクターのような名前だと佐藤は思う。佐藤は「凄く律儀だなぁ」と思いつつ、返事を書く。
『こちらこそありがとう。また会いたい』
と、書いてから「チャラすぎるか?」と思い削除して書き直す。
『こちらこそありがとう。また会えたらお話しましょう』
と書き直してミクルに送信した。すぐに既読になり、メッセージが届く。
『はい! ぜひ!』
「ふふっ」
ビックリマークがミクルの様子を思い出して佐藤は笑ってしまった。
佐藤はOKと書かれた猫のスタンプを押してメッセージを閉じる。
今日あったことがまるで遠い事のように思える。入らないようなホテルで行われたパーティー。あそこは自分の居場所ではない気がする。月村が主役のパーティーは、まるで彼の王国のようだった。月村が法律で、絶対なのだ。
「まぁすぐに会社に行くしな…」
この休日が終われば、今日の事はすぐに過去の事になる。
何だか今日は月村との距離を感じた日だった。分かっていたつもりだったが、月村は遠い人なのだ。平凡な自分とは違う、人気者の月村。どこかもやもやする心を振り払い、佐藤は服を着替えたのだった―――…。
「うぅ、寒い…」
「そんなにマフラーも手袋もして寒いって…佐藤って寒がり?」
佐藤は兎田と隣同士で歩いていた。今日は兎田が担当のお得意様に営業をするために外に出ていた。佐藤はそのサポート、という役回りだったが、兎田の手腕で事足りる気がする。きっと兎田を見て勉強しろ、という部長の粋な計らいであろう。
駅周りはすっかり冷え込んでいて佐藤はぶるぶると震えていた。
「だって今日の最高気温8度ですよ? 寒がりじゃなくても寒いですよ」
「そうかぁ?」
「先輩は暑がりですね…」
マフラーも手袋もせずコートしか着ていない兎田を見て、佐藤は見ているだけで寒くなってくる。
「まぁ今日はお前の働きに期待してるよ」
「期待って……。俺は先輩のおまけですよ」
「おまけって…。謙遜すんなよ。この俺のお墨付きだぞ?」
頭をポンポンと叩かれ、何だかほっとするより緊張してくる。期待されると緊張する質なのだ。
そんな事を話していたらいつの間にか目当てのお得意様の会社に着き、佐藤は気を引き締めてコートの裾を掴んだ―――。
「佐藤、お前気に入れられたな。次、いつ来るかって担当者デレデレだったぞ」
よくやったぞ!と営業が終わり、会社を出るなり兎田に頭をガシガシと掻きまわされる。佐藤は白い息を吐き出してほっと一息をつく。
「あれはたまたま見ていた深夜ドラマの話で盛り上がっただけで…」
「盛り上がって良かったじゃないか。あれってマイナーなドラマだろ? 担当者の言葉でそのドラマの登場人物の台詞だって気づいたのはお手柄だったな」
俺は知らなかったし、見ていても気付かなかった―――兎田にそう言われて何だか気恥ずかしくなってくる。この間の月村との会話でも話したドラマの内容だったので、上手く対応できただけだ。佐藤のお手柄というよりは、月村のお陰だ。
「それにお前は人をよく見てるから、良い感じでサポート貰えて良かったよ。助かった」
「あはは…。役に立ったなら良かったです」
営業が上手くいき、商談がまとまったからか兎田のテンションが高い。
正直兎田だけで話はまとまっただろうが、佐藤が加わったことにより、より安定した営業が出来たのだろう。佐藤もいると知った時担当者の顔は微妙なものであったが、ドラマの話題が盛り上がり、すっかり担当者の表情も良くなった。
終始なごやかな雰囲気で終えられて佐藤もほっとしていた。
「今日は祝いに飲みに行くか?」
「えー、先輩のおごりっすか?」
「おいおいちゃっかりしてんなぁ」
あはは、と笑いあっていると見知った顔が駅前におり、佐藤は動きを静止させる。
見間違うはずもない―――あれは、義孝と透(とおる)だ。
「―――…」
2人は似たような綺麗なマフラーをして、笑いあっていた。遠くから見ても2人は仲睦まじい様子で。義孝は笑みを浮かべているが、どこか佐藤に見せる笑みとは違った。その笑みを見ると胸が締め付けられ、佐藤は思わず顔を顰める。
義孝は透を愛情をもって接しているように見えた。
ああ、鈴岡はあんな風に伊勢さんの前だと笑うんだな―――。
それが、佐藤の胸をグチャグチャにする。2人は男同士で付き合っている。それは分かっているつもりだった。同じマンションに住んで、あぁ、やっと鈴岡が幸せになれるんだ―――そう思った。知った時は『玉の輿』だって言って本当に2人の事を祝福したのに。
「どうした? 佐藤…お前…」
「…え?」
急に立ち止まった佐藤を兎田は訝し気に見詰める。
「凄く泣きそうな顔してるぞ」
「…ッ」
指摘され、佐藤は思わず顔を手で覆う。
見たくない、と思ってしまった。
幸せな2人をこれ以上視界に入れたくない。心臓が、胸が、身体が、全部が痛くなる。目頭が熱くなり、これ以上は危険だと思って何とか言葉を紡ぐ。
「アハハ! す、すみません。目にゴミが入って…ごめんなさい…」
「さとう…」
先輩の心配した声が耳朶に触れる。兎田は気付いている。佐藤が泣きそうなのも、肩が震えてるのも。だからか―――そっと兎田は佐藤の肩に触れて身体を引き寄せた。
「…どうした? 目、見せて見ろ。ゴミなら取ってやる」
「…み、見せられません…だって…」
俺、きっと酷い顔してるから――――。
兎田の大きな手が佐藤の背中を擦っている。泣いてもいいんだよ、と言われているようだった。そうされると何だかとても惨めでカッコ悪い気持ちになる。
「せんぱい…好きってなんですか?」
「―――」
佐藤は前に月村に聞かれた言葉をそのまま兎田に聞いていた。この胸の苦しさが何なのか、佐藤は分かっていたが―――気付かないふりをして兎田に縋る。兎田は佐藤の問いに言葉を失い、目を見開く。背中をそっと撫でた兎田は言葉を紡ぐ。
「それは、…笑顔が見たいとか、幸せになって欲しいとか…色んな顔をしてほしいとか…そういう気持ちになる事だろ」
「―――。…そう。そう、ですよね、…――」
兎田はかなり抽象的に答えたが、きっとそれが答えなのだろう。
佐藤は義孝に幸せになって欲しかった。だが、それを実現できるのは自分ではなく、医者でイケメンで非の打ち所がない伊勢透という人物なのだ。それを先程実感してしまい、佐藤はこんな苦しい気持ちになっている。
―――親友、失格だ――――。
幸せになって欲しかったのに、幸せになっている姿を見て『自覚』するなんて。
「さ、寒い…」
がたがたと佐藤は震える。
「―――佐藤?」
先輩の心配そうな声を聞いてハッとする。佐藤は震えていたがきっとこれは寒さからの震えではない。寒いと言ったのは今のこの寒さからではない。
「…大丈夫だ。俺がしばらく温めてやるから…」
「兎田さん…」
佐藤の言葉を受けての言葉だっただろうが、その兎田の優しさに救われた気がした。今にもわんわんと泣きだしたくなるのを堪えて佐藤は兎田の抱擁を受け止めていた―――。