アドレナリンと感覚麻酔 

第三章 第十三話

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 どこかで雨の音が聞こえる。

 実際にはこの部屋にはしっかりとした防音対策があり、何も聞こえはしなかったが、聖月には確かに聞こえた。ざあざあと降りしきる雨。脳内で窓に打ち付けられ、弾ける音が響く。

 宗祐を背中に縋りつき抱く震える手を、そっと大きな手が包んだ。聖月は息が乱れ、身体はまだ震えている。涙に濡れた目で、聖月は宗祐の顔を見詰める。顔は見えなかったが、小さく笑っているような気がした。宗祐は聖月の思い通り、小さく呆れたような顔をしていた。そんな表情を宗祐は久しぶりにした気がする。

 そんな優しく自分の事を「馬鹿だ」と言った彼を聖月は見つめることしかできない。聖月は宗祐の言葉を待ち続ける。決意は固まった。もう、何を言われたって、聖月は受け入れようと思っていた。―――永遠ともいえる静寂の後、彼はポツリと言った。

「そんな簡単に『何でもします』なんて言うな」

 掴まれた手で、聖月が掴んでいた腕を外される。急すぎて驚きの声も出てこなかった。

 その言葉を理解する前に、宗祐は口を動かす。

「俺が傍にいればきっとお前を壊す」

「………」

 いつの間にか掴んでいた手が、腰の横にぶら下がっていた。きっとお前を壊す―――。あの時と同じことを話す宗祐に、頭がクラクラとした。自分と居ると破滅が訪れる。そう離れるように。諭すように。そうすれば、きっと聖月にとって正解だからと彼は決めつける。

「ここから早く帰れ」

 それは命令口調で、まるで王様が召使いに言っているような冷たい言葉だった。はっきりした宗祐の拒絶だった。―――早く目の前から消えろ―――。

 好きな人にそう言われて傷つかないはずがない。だが、聖月は引き下がらない。もう逃げない。自分の言いたいことをハッキリ言うと、心に決めたから。大きく息を吸った聖月は背筋を伸ばし、真剣な顔で宗祐に言い放った。

「帰りません」

「――――…」

 突き放された手で、宗祐の腕を掴む。あの夜の時も「帰らない」と言った。あの時よりも、ずっと決意が固い、想いがこもった聖月の声に宗祐は身体を硬まらせる。思わず息を呑んだ。黒々とした目でキラキラと輝いているのを見詰める。そこには決して暗くない光が宿っている。

 熱にうなされている、そんな事を考えられないほど聖月の顔は真剣だった。

 聖月は―――自分はこんなに強欲だったのだろうかとふいに思う。

 ただお礼を言いたかっただけだったのに、それだけで満足できるはずだったのに、宗祐が自分をあえて遠ざけるような行為をしていると気づいてしまったからなのか―――それともただ本当の気持ちはそうだったのか―――聖月はこんなことを言ってしまっている。

「帰りませんっ」

 覚悟を決めた聖月の力は強かった。声をいつも以上に張り上げ、ぎゅっと宗祐の腕掴む手に力を入れる。それは無意識だったのだろうが、相当な力が出ていた。宗祐は、また呆れたように笑った。その顔には様々な気持ちが含まれていた。やがて宗祐は、聖月と向き合い目を細める。

 それは今の状況では不釣り合いな色香を含んでおり聖月は身体の底から震えた。

 どくどくと心臓の音が早くなる。身体がどこか浮足立ちそわそわとして自分が立っている場所がどこなのか分からなくなっていく。

 そんな聖月に、宗祐はぽつりぽつりと話し始めた。細くした目で、聖月の顔を見詰めながら。

「………君を初めてディメントの写真を見た時、どうやって壊そうか…、どう無表情の君が、泣いてくれるかばかり考えていた。俺の名前を泣き叫んで、命乞いをするセックスをしたかっただけだった。…今までもそうだった。殺す寸前まで追い詰めるその一瞬の感覚をずっと追い求めていた。また…ちょうどいいモノを見つけたと思った。―――バラバラにしてもいい、金を払えば手に入る、ディメントブランドの都合のいい玩具を」

「…っ」

 宗祐の語られる言葉はナイフより鋭利なものだった。

 都合のいい玩具。それは、きっと、宗祐にとっては殆ど全ての人間がそうだったはずだ。聖月は、その一人に選ばれただけだ。それを突き付けられ、やはり分かっていたとしても落ち込んだ。

 そんな聖月の心の動きが分かったんだろう。宗祐は目を瞑ると、そのまま言葉を続けた。

「…だが、君を指名して…、レストランで一人寂しそうにその小さな背中を見た時、どうしてか優しくしたくなった。君のように可哀想な境遇の人間なんて吐いて捨てる程見てきた。なのに、どうしてか、セイだけは違かった。

ホテルに誘おうとしたときもあったけど、どうしてか、君が一生懸命に話しているのを聞いてると優しくしたくなった。君塚聖月を調べて、両親が死んでディメントで無理やり働いていると知って…、いつもだったらなんとも思わないのに可哀想だと思った」

 彼の独白のような告白は静寂に響き渡る。

 聖月は、その告白を聞いて、凄く『優しい』人だと思った。人を殺しかけるセックスを追い求める彼の性質は聖月には分からないものだった。だが、聖月に情が沸いただろう宗祐の心は、その性質とはかけ離れた『優しさ』があった。その優しさは気まぐれなのかもしれない。でも、それがあったからこそ聖月は救われた。

「泣くな。…早く、早く消えてくれ。そうしたら逃がしたままで満足する」

 いつの間にか泣いていた聖月の顔を、宗祐は覗き込む。『早く消えてくれ』そう言ったその顔は、どこか苦し気だった。

 嗚咽を漏らす聖月を、我慢できなそうに息を荒げる宗祐は、今まで見た中で一番余裕がなかった。

「俺…、逃げない。どんなことをされてもいい。傍に居たいよっ…、」

 そう必死でひしゃげた言った涙で濡れた視界で、宗祐が揺れた。

「――――」

 溢れた涙を舌で拭われる。瞼ごと舐められ、聖月はぞくりと震えた。いつの間にか肩が強く掴まれている。突然の事に混乱した聖月は瞼を瞬かせる。熱がある聖月よりも熱い手にドキドキとした。

「馬鹿だ。そんなことをサディストに泣きながら言うなんて」

 はっきりしていく視界に、オスのような熱を持った目が見え本能的に身体が逃げようとする。だが、もう捕まってしまった肩はビクともしない。鼻先が触れ合い、どっと心臓が高鳴る。

「嫌がってももう逃げられないぞ」

「そ…それで、いい…」

 目の前のいとおしい人にのまれる。全部喰われる。

 俺は、それでいい。

 この人に、食べられたっていいんだ。めちゃくちゃにされたっていいんだ。聖月がコクコクと馬鹿みたいに頷くと、彼はフッと鼻で笑った。

「どんなことをしたって構わないんだな?」

 宗祐の目は本気だった。もう、逃がさないと、身体全体が、オーラがすべてが教えてくる。

 聖月は大きく頷く。

 その瞬間、閃光が走る。

「んっぅーーーー」

 身体が壁に押し付けられたと思ったら、そのまま唇を奪われていた。それが、キスだと分かったのは唇が離れてからしばらくしてからだった。ぼうっとする聖月に口角を上げた宗祐は、もう一度唇を重ねる。ただ押し付けられるキスだったが、唇からじんわりと気持ちよさが這いあげり背中が痺れる。

 好きな人とするキスは、聖月にとって、耐えがたい幸福と、快楽が混じりあう。それは、聖月にとって初めての感覚だった。今まであまりしてこなかったキスだが、すればやはり客なので嫌悪感を抱く。それが全くなく、違和感もなく、ただただされて嬉しいと感じられた。

 どうしていいか分からず右往左往する手を握られ、そのまま長い脚が割り込まれ股間を刺激させる。それはまるでバスローブでの事を思い出す。

 汗なのか、違う体液なのか、ズボンが湿っている。それを知り聖月は身体も顔も熱くなっていった。

 聖月の頬は上気し、泣いていた目は快楽を感じていく。その堕ちる様に、宗祐は楽しそうにくすくすと笑った。

「んぅ、うっぅ」

 自分の漏れ出る声が、気持ち悪くて唇を噛む。むずむずとした感覚が股間に集まっていく。

 感覚が消えないので、慣れていない刺激に身体がびくびくと痙攣する。

「『あの時』は、わざとこうした」

「え…っ、うぅっんッ」

 ぐりぐりと足でまさぐられ、聖月の体に快楽のスパークが走る。硬くなった性器が、ズボンを押し上げてはっきりと形が見える。むくむくと大きくなる自分の象徴に、聖月は困惑していた。あの時、わざと。今の状況ではすぐには理解できない。

「聖月があまりにも泣いて俺を煽るからお仕置きとしてやった」

「そ、ん、なっ…んっぅッ」

 あれは、わざとやったんだ―――。

 その意味がやっと分かり、聖月はカァーッと顔を熱くさせる。はっきりと言われ、衝撃を受ける。そんな聖月を知っているはずの宗祐は、さらに大胆に膝で強く刺激され、目の前がチカチカと点滅する。

 気持ちいい――――。

 その時の『初めて人にイかされた感覚』を思い出し聖月は震えることしかできない。ショックを受けるのを隠さない聖月に宗祐は意地悪く笑った。その笑みは聖月の心を惑わすのは十分すぎるぐらいセクシーなものだった。

「だから言っただろ? 俺は優しくなんかないって。こうやってガチガチになったのを擦ってやって初めて出すみたいに反応してイってたなぁ…こうやって擦ってやると処女みたいに反応するから、あの時はずいぶん我慢したんだ」

 聖月への股間への甘い刺激を続けながら、宗祐は荒い息を吐いて聖月を追い詰める。その表情はオスそのものだった。オールバックの黒髪が汗で湿っているのが分かり、ゴクリと唾をのんだ。

 セイくんが出しても何もしないから安心して―――。

 そう言って優しく、激しく、聖月を快楽へと導いた宗祐の姿とはまるで違う今の彼に身体の底から震えた。いや、あの時も強引に聖月を追い詰めていた。あの時そう思わなかったのは、聖月が紳士で居てほしいという願望の現れだ。

 あれは演技でこれが本当の、宗祐の姿。本当はあの時、宗祐は聖月の事を滅茶苦茶にしてやりたいと思っていた。

 宗祐は巧みに人の羞恥を煽り、搾取する人間だと思い知る。

「あぁ、本当にお前の表情が手に取るように分かってきたな。くくっ、幻滅したか?」

 くすくすと笑う宗祐は、今までの自嘲気味な笑みとは全く違っていた。ざわざわと心が揺らめく。

「ほら、逃げていいんだ」

 グッ――――。

 その言葉と共にえぐるように股間を刺激され、聖月はもう限界だった。

「あ、っ、ん〜〜〜〜〜ッ」

 がくがくと震え、聖月は足だけで達してしまった。その快楽は、あまりに大きすぎるものだった。声を抑えることも出来ない強烈な甘い快楽。全身に回る甘い刺激にいびつに身体をしならせ、快楽の波に耐えられるように宗祐に子供のようにしがみつく。聖月の溶けた表情とその行動にはギャップがあり、宗祐の興奮を煽る。

 精を吐き出す余韻を味わう聖月だったが、ヌチャ…と粘着質な音が聞こえ我に返る。じんわりと広がる染みが、下着だけじゃなくズボンまで濡らし、宗祐のズボンまでも濡らしていると気づいたからだ。

 その瞬間、頭がクラりとした。

「―――――あ、」

 そう言えば、俺、熱出てたんだっけ…。

 精を出した安心なのか、重力に逆らえない。羽が付いたように身体が浮かぶようだった。意識が段々遠のき、いつの間にか視界が反転した。

 ―――俺昨日もこんなことがあったな…。

 最後に考えたのは、そんな馬鹿みたいな事だった。

 


 

 

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