ンドルフィンと隠し事

24

 

 起きた瞬間、思ったのは『しまった、見送りをし忘れた』ということだった。好紀が目を覚ました時には、拘束は外れており、ベットの上にはクミヤはいなかった。慌てて時間を確認すると、朝の10時だった。好紀は昨日の記憶を思い出し、恥ずかしさで地団駄を踏みたくなる。

「はぁ…」

 媚薬を飲まされたのだとしても、クミヤには相当恥ずかしい姿を見せてしまった。次に会うとき、どんな顔で会えばいいのだろう。まず迷惑をかけたのだから謝って、お礼を言って―――。そこまで考えてから、これからは嫌でも彼を意識してしまう、と思った。

 クミヤは下位のメンバーである好紀を世話したのだ。それだけでどれだけ凄いことが起こっているのかと考えて頭を抱えた。

「あっ…」

 尻に垂れる感覚がして、声を上げる。そっと下着に手を入れて尻を触ると、昨日のローションが孔からとろりと溢れ出ていた。その生々しい感覚に震えながら、好紀はしばらく、昨日の行為を思い出してうだるようなため息を吐き出した。

 

 

「今日の営業上手くいったんだ」

 寮の部屋に戻って、イチから開口一番に言われた言葉に好紀はドキリとした。

「えっと、まあ…うん」

 言葉を濁しつつ、好紀は頷く。上手くいったというか、なんというか。まさか媚薬を盛られて、クミヤに慰めて貰った、なんて正直に言えるわけがない。好紀はまた昨日のことを思い出し、顔を真っ赤にした。昨日の行為はそれだけ気持ちよい体験だったのだ。

 媚薬で感度が高められていたからだろうと思っていないとやっていられなかった。帰ってきた時刻は11時になっており、イチと顔を合わせる時間になったというわけだ。イチはそんな好紀に「ふうん」と言いながら、「飯は?」と問いかける。

「いや、いらない…かな」

「そう。了解」

 何だか昨日の件で胸がいっぱいで、食べる気が起きなかった好紀はそのままベットに座る。

 大学に行っていない好紀は今日はフリーでやることがない。昨日のことを思い出さないように本でもよんでいようか、とスマホの電子書籍を開く。もし大林と高畑と同じ大学に通っていたら今頃講義を受けているのだろう。そんな事を考えていたら、好紀に声がかかった。

「…コウ、あのさ」

「何?」

 声をかけられ、好紀はスマホを閉じ顔を上げた。そこには真剣な表情で立っているイチが居た。

「練習、しないのか?」

「…練習?」

「だから…ディルドで、」

 言われた言葉に、カァーッと顔が熱くなる。ディルド。練習。その言葉で、すぐに彼が言いたいことが分かった。前に自分が居るところで練習をしてもいいと言っていたイチだったが、まだそんな事を考えていたらしい。だからってこのタイミングで言わなくてもいいだろうに。好紀は恥ずかしさにどもりながら言葉を紡ぐ。

「い、イチがいるのにそんな事出来るかよっ! もうここではやんねえしっ」

「俺らの仲だし、気にするなっていっただろ? じゃあ、どこでやるんだよ」

「―――っ」

 俺らの仲だからこそ、気にするんだろうが―――!

 そう思ったが、自分の失言に気付き、言葉を詰まらせる。ここで馬鹿正直に、クミヤの部屋で何ていえるはずもない。好紀は目線をウロウロとさせながら、ウソを答えた。

「…ホテルとか」

「そんなことでホテル取るとかお金勿体ないだろ。ほら、…見ててやるから、ディルド持って来いよ」

「嫌だよ。何でイチに見せなきゃなんないんだよっ。関係ないだろっ」

「―――関係あるっ」

「…ッ」

 大声をあげたイチに目を丸める。イチは眼鏡の奥の目を細めて、いたって真面目に言った。

「だって…気にするだろ。最近、タイ先輩のこともあったし、心配なんだよ。お前が練習なんかして頑張りすぎてないかって…」

「…イチ…」

 まさかそんな事を考えているとは思っていなかった好紀は思わずジーンときた。そしてそのままイチは言った。

「だから、コウの少しでも役に立ちたくて…俺…、何かあってからじゃ遅いし…」

「…だからって練習を見せるのは嫌だよ。…普通に恥ずかしいし。変な所まで真面目なんだよお前。普通、ルームメイトのエロい練習手伝うとかある? 普通はしないから」

「恥ずかしがるなって。コウがどうやって練習しているのか気になっただけだし、見てもらった方がお前も参考になるだろ?」

 もう見てもらうのはクミヤだけで十分なんだよ―――!

 とは言えない好紀は、思わず立ち上がった。突然立ち上がった好紀に驚いているイチに、好紀は顔を真っ赤にして言い放つ。

「だからいいって言ってるだろ! 俺、これから出かけるからっ」

「あ、おいっ」

 イチに腕を掴まれるが、無理やり引きはがした。心配してもらって嬉しい気持ちはあるが、そこまでくるとありがた迷惑というものだ。このまま押し問答しても、今までの経験で負けてしまうことが分かっているのでここから離れたほうが吉だ。

「まだ話は終わってねえぞっ」

 鞄を掴み、好紀はそのままドアを飛び出した。話が終わってない?――――言ってろ、馬鹿! 好紀はイチの投げ捨てられた言葉に毒を吐く。

「ケーキの材料買いに行くか…」

 宛てもなく外に出てしまってから、好紀は呟く。こういうときは、ケーキ作りだ。財布の中身を確認し、町のスーパーに向かう事にした。駅に向かうためバスに乗りこんだ。しばらくバスに揺られて目的地に着くと、バスから降りた。

 駅前のスーパーに行くと、好紀はケーキの材料を買っていく。スポンジまで作る気にはなれなかったので、スポンジを買って、会計を済ます。時計を確認すると外に出てから30分しかたっていない。これで戻ったとしてもイチがまだ部屋にいるだろう。

 どうしよう―――、スーパーを出てからそんな事を考えていたら頭上から声がかかった。

「コウくん?」

 見知らぬ声だった。だが、源氏名を呼ばれた事に背中に嫌な汗が噴き出る。どうしてだろう。すごく嫌な予感がした。

「…えっと…」

 振り向いたら、男性が立っていた。だが、今まで見たこともない人で好紀はどんな言葉を出せばよいか分からなくなった。黒髪で、短髪、顔は整っており、体格のいい男性だった。どこかタイを思い出す爽やかさを持ち合わせた男性で、Tシャツにジーパンという恰好で身長は190センチはあるだろう。

 こんな特徴的な人を思い出せないのも妙な話だった。しかもディメントに関係あるなんて、普通だったら分かるだろう。

「偶然だなぁ。あぁ、そういえばこの辺に寮があるんだっけ?」

「そ、そうですけど…」

 寮の事を知っていると分かり、好紀は瞠目する。親し気に話しかけてくると言う事は、そこそこ交流があったというわけだ。だが、全く思い出せない。

 そんな好紀を置いて、男は親し気に手で肩を寄せてくる。その手の感触がどこかで味わったことのあるもので、好紀は思わず身体をつき飛ばしていた。

「い…っ」

 胸を抑え顔を伏せ痛がる男に、好紀は慌てた。

「す、すいませんっ大丈夫ですか…?っぅうぐっ」

 顔を覗き込んだ好紀に衝撃が走る。顎を思い切り掴まれたのだ。思わぬ事に好紀は驚き、言葉を失う。そんな好紀に男は顔を近づける。その顔はぞっとするほど冷たいものだった。ゾッと背中が震える。

「酷いなぁ。俺たちの仲じゃん。これから食事でも誘おうとしたのに………あぁ、もしかしてサングラスがないと分からない?」

 サングラス。

 その言葉に嫌な思い出が頭をよぎる。

 ―――「お前は俺らが検査してやるからな。たしか≪コウ≫ちゃんっていうんだっけ?」

 ―――「お、ずいぶん可愛い顔した問題児だなぁ」

 まさか。そんなはずは。好紀が瞠目していると、男は鞄からサングラスを取り出し自身の顔にかけた。その顔は、好紀が忘れたくても忘れない顔だった。そうこの男は―――好紀を講習会でいたぶったスーツ姿の屈強な男ではないか。

 サディスティックな笑みを浮かべ、やっと男の正体が分かった好紀を男は愉しそうに見つめる。

 ―――「尻に何か入ってんじゃないか?」

 ―――「見てみないと分からないな」

 男に言われた言葉を思いだし、顔を赤らめる。好紀は無理やり男の手から逃れる。そしてそのまま走り出した。

「クソ…っ、待ちやがれッ」

 男の罵声が遠くから聞こえてくる。好紀は全速力で走った。本能からあの男に捕まったらまずいと分かった。

「厄日かよっ」

 走りながら毒を吐く。がしゃがしゃと鳴るスーパーの袋を聞きながら好紀は、横断歩道を走る。まるで泥棒になった気分だった。警察に追いかけられて掴まれないと走る泥棒みたいだ。走るのも体力の限界になったとき、どこからか車のクラクションが鳴った。

 見てみると、運転席から顔を出しているのはよく知った男性だった。

「運転手さんっ」

 思わず駆け寄ると、驚いた顔をしたクミヤの運転手がいた。これは助かった。偶然のことだったが、まるで天の助けのようだ。

「どうしたんだい、誰かに追われているようだけど大丈夫?!」

「とにかく入れ」

 運転手と男の声が聞こえる。後部座席のドアが開かれ好紀は慌てて飛び込んだ。それは間一髪の行動だった。窓を見ると好紀を追いかける男が間近に迫っていたからだ。その形相はまるでこの世のモノではない。

「ひいっ!」

 好紀が悲鳴を上げた瞬間、車は発進した。好紀は大きく息を吐く。心臓がバクバクと高鳴っている。後ろの窓を食い入る程みるが、あの男の姿は見えなかった。まさに九死に一生を得た。はぁ、はぁ、はぁ。息を整えていると、隣からため息が聞こえた。

「……で? 今のはなんだ?」

「あ…クミヤさん…っ」

 冷めた顔でこちらを見ていたのはナンバー2であるクミヤだった。まさか昨日の今日で会うとは思っていなかった好紀は間抜けな顔でクミヤのことを見つめていた。

 また助けてもらった―――。

 好紀はそのことに気付くと、心臓がドクンと大きく高鳴ったのを感じた―――。

 

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