ンドルフィンと隠し事

39

 

◆◆

 

 ―――逃げろ!

 目の前で愛おしい人が、黒い物体に押し倒されている。それを好紀は震えながら見詰めていた。美也が、襲われている。助けないと―――、そう思ってはいるが身体が硬直してしまい動けない。

 ―――あぁ、やめて…やめて…。

 声を上げても黒い物体は美也から離れようとしない。手のようなものが美也の身体を弄っている。好紀はその光景から目を逸らせない。美也の身体が、蹂躙される。早く助けないと。

 ―――俺の事はいいから。

 美也が好紀に『逃げろ』と目線で訴える。黒い物体…怪物がこちらに目を向けた。その黒い顔は誰かにそっくりだった。

「あぁ。そっか。俺…なんだ」

 その怪物は、『好紀』だった。美也に不埒な感情を持つ自分なのだ。誰もが―――自分も怪物だと分かっていたはずなのに。それを認めたくなかった。好紀がそう認識すると黒い怪物は消えていく。好紀は急いで美也に駆け寄った。

 そのまま思わず抱擁すると、その身体は冷たかった。

 

◆◆

 

「はっ、はぁ、はぁ……」

 獣の唸り声が耳元で大きく聞こえた。

 好紀はハッとして身体を起こそうとするが、身体が思うように動かない。目に入るのは白い天井、そして自分が乗っている白いベッドだ。どうやら今好紀はどこかの部屋にいるらしい。殺風景な部屋はどこか美也の部屋を彷彿とさせた。

「?!」

 手に違和感を感じ見て見ると、手錠がかけられていることに気付いた。目を瞬き驚いていると、見知った声が聞こえてきた。

「あ〜。起きたぁ?」

「タイ…さん、」

 笑みを浮かべたタイが部屋に入ってきた。何て事ない日常のように立っているタイが何だか恐ろしく思えて仕方がない。

「えっと、これは、どういう…」

 確か自分は今まで車の中に居たはずだ。タイの同伴で、彼が来るのを運転手と共に待っていた。そこまでは思い出せるが、その後の記憶が曖昧だ。自分が何故手を手錠にかけられ、ベッドの上に寝転がされているのかが好紀には理解出来なかった。

「中々起きなかったから怖かったよ。今ので30回目かな?」

「え、っと。30回目…?」

 タイは好紀の疑問には答えなかった。

 ―――30回目?

 何の数字なのか、予想すら出来ない。そんな混乱する好紀に、タイは初めて疑問に答えた。

「眠ってるコウくんにキスした回数」

「―――ッ」

 頭が真っ白になった。

 今すぐに熱湯消毒を唇にしたい気持ちに駆られた。

 瞠目し言葉を失う好紀をタイはニッコリと笑ってみせる。

「ふふ、可愛い〜。驚いてるの? でも、大丈夫だよ。俺たちはこれから家族になるんだ」

「っ」

 いつも通りの笑みで、はっきりと言われた。

 ―――家族になる?

 先程から好紀はタイの言っている言葉の意味が分からないでいた。さも当然のように言われても、一体何の話なのかさっぱり分からない。

「俺、双子がいいなぁ〜。出来るまで頑張ろうか」

「え…?! う、わっ! やめ、やめろっ」

 タイはまるで宇宙語を話しているようだった。言っている意味が全く分からない。そのまま身体を押さえつけられてしまい、好紀は暴れた。しかし身体は上手く動かずタイの力にビクともしない。ニコニコと笑みを浮かべるタイに恐怖を抱く。

「あはは、何、乱暴にされたい? そういうプレイが好き?」

「な、何を言ってるんですか…?!」

「はぁ、はぁ、はっぁ、コウくん…かわい〜。コウくんに早く中だししたい」

「―――ッ!」

 狂ってる、と思った。

 確かに前からどこかこの人はおかしい所があったけれど、もう手をつけられない程に狂ってしまった。タイがきっとこの手錠をかけ、どこか好紀が分からない部屋に連れ込み無理やり事を致そうとしている。

 ―――そんなの、嫌だ!

「や。やめてください! 俺はもう身請けされるんですよ!」

 好紀が全身全霊で叫ぶと、タイは無表情になった。笑みから一気に無に変わり、身体がゾッとした。自分は間違ったと言う事がすぐに分かった。

「それって、無理やりだよね?」

「―――え?」

 タイは至極真面目な表情で言い切った。

「お客さんに無理やりそうされたんだよね? 俺たちあんなに愛し合った仲じゃない」

「な、何言って…?! うわ…っ!」

 顔を掴まれて、タイの顔が近距離になる。目が据わっており、何を言っても無駄だと分かる。息が荒く、とてもではないが正常な状態とは思えない。

「やめろっ!」

 キスされる―――、身構えた瞬間だった。

「好紀!」

 バンッ!とドアが勢いよく開き、よく知っている顔が現れた。

「く、クミヤさん?!」

「はぁ? 何でアンタがここに…ぐぁッ!」

 美也が入ってきた―――と思った瞬間に、タイが吹き飛んだ。美也がタイの事を思い切り殴ったからだ。タイの顔を殴られると、身体が吹っ飛び、壁に激突した。唖然とする好紀に、美也が心配そうに駆け寄った。

「おい! 平気か? 何もされてないな?!」

「え…、あぁ、はい…。あれ…運転手さん…」

 美也に肩を掴まれ、安否を確認されていると、美也の運転手とタイの運転手が不安そうに部屋に入ってきた。

「あら〜、大丈夫かい?! 手錠痛くないかい?!」

 と、クミヤの運転手が。

「うわああ! コウさん大丈夫ですか?! た、タイさんやっぱり…」

 と、タイの運転手が心配気にこちらを見ている。

「佐々木…、タイの運転手がホテルに連れ込んでるって小向に連絡してくれて。うちの運転手に車走らせて貰った」

「間に合ってよかったよぉ〜」

 美也専属の初老の運転手が潤んだ瞳で好紀を見詰めている。どうやら好紀は様々な人のお陰で助かったようだ。まだ心臓がドキドキとしている。何とか危機的状況は脱したようだった。痛みに呻いていたタイだったが、美也の顔を見ると豹変した。

「何でクミヤがここに居るんだ?! 何も関係ないだろ?! 俺たちの邪魔をするなぁ!」

「…――」

 鼻血を出したタイは話が通じない事をのたまっている。美也は恐ろしい程冷たい表情でタイを一瞥する。

「お前こそ俺たちの邪魔をするな」

「はぁ?! ただの同伴だろ?!」

 タイは眉を顰めて美也の言葉に吠える。そんな美也はフッと嘲け笑った。

「お前がただの同伴だろ。俺はコイツを買ったんだ」

「あっ…」

 好紀は美也に肩を引き寄せられる。顔を赤らめた好紀は、いつもの明るい好紀とは全く違う雰囲気が出ていた。それはこの場に居た全員が思った事だった。

 ―――――それはあまりに綺麗な動作だった。

 だから、好紀は自分が好きな人にキスをされているとは気付かなかった。運転手たちは驚き、タイも瞠目し、された好紀はぽかんとした表情をしている。

「失せろ。俺がコイツの人生を買ったんだからな」

 その言葉を聞いたタイは全てを察し、絶叫した。

 

 

 

 

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