―――お前はココにいるんだよ。
家の中をメチャクチャに暴れ回るソイツを見て慌ててお母さんが俺を押し入れに押し込んだ。ここに隠れなさいと言ってお母さんはやさしく笑う。お母さんはやさしい。身体が弱くて、いつも咳をしているけど、作ってくれるご飯が美味しいんだ。
俺は好奇心から押入れの隙間から部屋を覗く。
そこには大きな足に胴体の醜い大きいモノが、お母さんといるのが見えた。
―――あ、怪獣だ。
家に怪獣がやってきた。怪獣は大きく鳴いてお母さんを踏みつけている。お母さんが―――泣いている。泣いたことなんて見たことがなかった、お母さんが今、泣いている。
俺はどうにかしてお母さんを助けたかった。だけれどお母さんは俺が覗いていることに気づいたのか、目線で何かを訴えていた。
それは子供の俺でも分かるもので。
―――お前はココにいるんだよ。
お母さんのそう言った言葉が蘇る。
俺はどうしようも出来ず、静かに泣き続けるお母さんと何もかもをメチャクチャにするその怪獣を暗闇からただ見つめることしかできなかった。
「…ッ」
好紀はベットから飛び起きる。額には大量の汗がかいていた。またあの、夢…。2段ベットの上にいるイチを覗いてみると、眼鏡をはずして気持ちよさそうに眠っている彼がいてほっとした。イチはナンバー22で、もう少し人気が出たらこの部屋からいなくなってしまうだろう。そしたら今日みたいに、バカみたいな話はもう出来なくなる。
寂しいが、同室として毎日イチと過ごしてみていると人気が出るのがよく分かる。だって、イチは優しい。しかも、カッコいいのだ。男である好紀でさえそう思うのだから、客から見ればもっと『イチ』は魅力的だろう。
ディメントでの『青の蝶』として一番まっとうなのが彼なような気がする。
ナンバー22なのに、『青の蝶』として特有の傲慢さが一切ない。そんな人間らしい彼が好紀は好きだ。
イチのサラサラした髪へと手を伸ばそうとして鼻腔をくすぐる『あの匂い』がして、動きを制止させる。
「……あ」
彼から香る仄かな精の匂いを感じ、好紀は急いで自身のベットに戻る。
ドクドクと心臓が嫌に鳴り響く。まるで神様が今好紀がしようとしたことを、咎めるようなタイミングで笑いそうになる。
「…なに、ビクビクしてんだよ」
そんなことここでは当たり前なのに―――。
いつまで経っても慣れない自分が嫌になる。だが好紀の頭の中ではどうしてもイチが客に『あの行為』をしている姿が思い浮かべられない。いや、考えたくないのかもしれない。友達があれをやっているなんて、信じたくないだけだ。
そんなことを考えていたら眠れなくなって、暗い辺りを見渡して―――ついベットの傍に置いてあったランプが点滅しているケイタイを見てしまう。その画面には、夕方にやり取りしたメールが映し出されていた。
『明日、楽しみだな!』
高校の時の旧友であるメールを見て、胸が締め付けられる。
俺は、いつまで―――…。
そんな考えてもどうしようもないことを思いながら、好紀は目を瞑った。その目じりには涙が浮かんでいた。
―――次の日。
好紀は高校のときの友人たちと会うために、ディメントの寮から1時間ほど離れた駅へ向かう。Tシャツに、チノパン、上にベストを羽織って待ち合わせ場所に向かうと懐かしい顔が揃っていた。人の喧騒を通りながら、好紀は二人の男に手を振る。
「あっ、好紀〜」
「よぉ」
「久しぶり〜」
手を挙げて好紀を出迎えてくれたのは、大林(おおばやし)と高畑(たかはた)だった。2人とも高校のときと変わっておらず、ほっとする。大林は所謂やんちゃ系で、高畑はそんな大林を抑える優等生タイプだ。二人とも同じ大学へ通っているのが理由なのかは分からないが、似たような大学生のような服装を着ている。
2人とも整っている顔立ちなので、周りの女性たちが少し色めき立っていた。そんな様子も高校の時と何ら変わっていない。
「大学どうよ? モテてる?」
好紀がからかうと、大林が大きく頷いた。
「そりゃもうばっちり」
大林は人懐っこい笑みをして、ピースをしている。
「嘘つけ。ばやし、この前の合コンで惨敗だったじゃねぇーか。慰めるこっちの身にもなれって」
「えーっ、それもたかやんの仕事じゃん〜」
「仕事を増やすな」
「あははっ」
相変わらず二人の息がぴったりで面白くてつい好紀も笑ってしまう。たかやん、ばやし、とお互いを呼び合う彼らを見ると昔のように安心した。だけれど『大学』へ進んだ彼らの楽しそうな学生生活を謳歌している話を聞くと、楽しいはずなのに、どうしてか心が重くなる。
今日の目的であるカラオケに向かう道のりで、好紀に高畑が問う。
「そっちはどう? 仕事はうまくいってんの?」
―――仕事。
思わずその言葉にドキッとしていると、答える前に調子よく大林が言った。
「好紀なら大丈夫っしょ。なんせこのイケメンなんだから、職場でもモテモテだろうしね!」
「まあ確かに。好紀は人に好かれるから、べつに仕事でなんかやらかしても許されるだろ」
「…ちょ、ちょっと二人とも。褒めても何もでないからな」
二人の悪気のない言葉が心に刺さる。好紀が嘘を吐いているなんて考えていない無垢な笑顔に、今にも好紀は懺悔の言葉を吐きそうになる。
「あー、顔隠して〜、照れてる」
「そういうところがモテるんだよなぁ、好紀は」
楽しそうに笑いあっている二人が見れなかった。本当のことを云ったらどうなってしまうんだろう。高校を卒業してから一般企業に就職したと二人には―――いや、家族でさえそんな嘘を吐いている。ディメントの寮に住んでいるのに、会社の寮で暮らしをしているなんて言ってしまっている。
だって、ディメントで働いているなんて言えるわけがない。
今目の前にいる奴は身体を男に売って指名があれば股を開くヤツなんですよ〜、しかも下手すぎて売れてないんですよ〜―――そんな言ったってどうにもならない、気持ちの悪いことを、この純粋そのものな二人に言えなかった。
だって―――嘘をついてまで、2人とは友達でいたかったから。
「今日は職場の好紀くんのモテエピソードたくさん聞いちゃうぞ〜」
大林が肩に手をまわして、好紀をからかう。
「俺らにも取り分分けてくれよ〜」
それに同調する高畑は本当に楽しそうで。眩しい笑顔に好紀は思わず顔をしかめる。どうしてそんなに二人はまるでこの世には、醜い部分なんてないような笑顔が出来るのだろう。それとも、昔は自分もそんな笑顔が出来たのだろうか。
好紀は自分のついている嘘の大きさを改めて実感し、その後ろめたさに泣きそうになる。だがそれはもう、ディメントに入ったときから分かっていたことだった。ここは、大きなお金が手に入る代わりに、大切なものを失う場所だってことを。
何も知らなかったあの時の自分はもういない。
そんな当たり前で、とても哀しい事実を噛み締めながら好紀は笑みを浮かべた。
「…二人ともそういうとこ変わってないよなぁ」
二人は、好紀の言葉を聞いて無邪気に笑った。それはあの頃と何も変わっていない笑顔で、もう一度好紀は目を細めた。
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