先輩たちの突然の押しかけに対して、コウヘイさんは逆に歓迎してくれた。
『こんなイケメンが来るなら全然大歓迎だよ! 手伝ってくれるならバイト代払うし』
そう言って、先輩2人を受け入れた。先輩はコウヘイさんの家に案外あっさりと泊めてもらうことになった。その事を話すと陽人は良く思っていない顔をした。先輩たちは2階で泊まることになり、店を手伝うことになった。
俺が思っていた通り、2人はすぐに人気の店員になった。
赤髪でワイルド系の美形であるショウゴ先輩はもちろんだが、シゲ先輩も人懐っこい笑みと気持ちのいい接客をしてくれるので、主に女性客の数が俺たちだけの時より確実に増えていた。ショウゴ先輩は体格も良く筋肉質なため、水着の上からエプロンを着ているとちらりと見える身体がカッコよくて男である俺も目を奪われる。
二人が来てくれたことにより、仕事面ではかなり助かっている。俺も女の子に声をかけられる回数も減った。少しほっとしている。
コウヘイさんも昨年の売り上げを超えた!と喜んでいた。どうやらバイト代は上がるらしい。
先輩たちが来て数日が経った。そろそろ二人がいる生活にも慣れてきた。
「水使っていい?」
早朝。1階の洗面台で顔を洗っていたらショウゴ先輩に声をかけられた。
「あ、はい」
「ありがとな」
先輩はコップに水を入れるとうがいをして、水を吐き出した。俺は邪魔にならないようにタオルで顔を拭きながら先輩から離れる。先輩は半袖の無地で白のTシャツとスウェットで俺を見下ろしていた。
ジッと見られ緊張し身体を硬直させると先輩はニカッと笑う。
「オールバックしてないと印象が変わるな」
「え…っ」
俺はこっちの方も好きだなァ―――…。
髪の毛をくしゃっと手で触れられ、俺は身体を石のように固ませる。俺はまだ髪形を作っていない状態で、その状態を先輩に見られるのは初めての事だった。カーッと全身が熱くなる。どうしてか分からないがとても恥ずかしかった。
先輩に憧れてオールバックをしているとは明言しているわけではないが、きっと気づかれているだろう。
「今日下ろして接客したらどうだ?」
「えっと…それは、」
先輩にそう笑顔で言われてしまうと、そうした方がいい気がしてくる。そのまま頷いてしまいそうになった俺の耳に、聞き慣れた声が響いた。
「…顔洗っていい? 邪魔」
「うぉ!! 急に来るな急にっ」
突然の幼馴染の登場に俺は飛び上がる程驚く。最近こういう場面が多いので「試されている」のではないかと思ってしまう。「邪魔」とぶっきらぼうに言って俺を押しのけて顔を洗う姿は、接客の態度とは全く違うものだった。イラっとするが、いつもの事だと思いやり過ごす。
「これ使うだろ」
振り向いた陽人に何かを渡され、受け取ってしまう。見てみるといつも俺が使っているワックスだった。
「あ、あぁ」
俺は蓋を開けワックスを、鏡を見ながらつけ始めた。先輩の視線を感じたが、ワックスを付けるとやっぱり落ち着く。シャキッとするというか、一日の始まりって感じがする。俺は髪の毛を整え、陽人は顔を洗い、ショウゴ先輩は歯を磨いている。当たり前だが体格のいい3人の男で使うにはここの1つの洗面台は狭すぎる。
「なんで今日休みなのに洗面占拠してんだよ」
顔を洗い終わった陽人はじろりとこちらを見ている。今日はショウゴ先輩もお休みだという事を知っているのか、陽人は先輩の事もちらりと見た。早くどけよ、と言っているも同然だった。
「しょうがねえだろ、起きちまったんだから。もうどくから」
俺はワックスを持って、退散しようとする。玄関の鏡で整えようかな…と考えていたら、幼馴染の視線を感じた。
俺はその視線から逃げるように洗面所から立ち去った。
―――マジでなんなんだよ…。
髪をオールバックにした俺は朝早くから起きてしまいやることもなく、持ってきたバイク雑誌を読み畳の上で寝転がりながら陽人の事を考える。そんなに心配されるほど、俺は頼りなく見えるのだろうか。
「2度寝してる?」
「先輩っ」
ショウゴ先輩の顔が近くにあって、心臓が止まりそうになる。顔をのぞかれた俺は慌てて上半身を起き上がる。先輩はいつの間にか隣にいた。たまに先輩はこうやって音もなく来るので驚いてしまう。
「皆もういったんすか?」
「そうだな、もう行ったんじゃないか」
じゃあ、この家には先輩と俺しかいないってことか―――。
俺はその事実を知ると身体が緊張している事に気が付いた。憧れの先輩と長い間いるのはやはり緊張してしまうのだ。どんなことを聞いてみよう、そんな事を考えていたら先輩が逆に俺に問いかけてきた。
「今日は香水つけてないの?」
「え? あ、あぁ…、そう言えば付け忘れてました。わざわざ有難うございます」
俺は教えてくれたのだと思い、先輩にお礼を言う。先輩はそんな俺の様子に目を丸くしている。そして、意味が分かったのか、先輩は目を細めて口を開く。
「んーまあ、そういう意味で言ったんじゃないけど…。―――前から思ってたんだけど、陽人くんとお揃いで買ったの?」
「いや、これはアイツから貰って…」
「へー」
ちゃんと使うなんて律儀だね、と先輩は言った。―――律儀、なのだろうか。俺は。
ここの8畳の部屋はエアコンがついてはいるが日差しが強い。俺は立ち上がり、すだれを降ろす。すると随分と涼しくなった。網戸から漏れる風で風鈴がちりん…と鳴る。俺は風鈴の音が好きだった。今も、昔も。
「そこ。皮むけてんじゃん、めっちゃ痛そう」
腕を指刺され、俺は身体をねじり腕の裏を見る。見ると先輩の言う通り皮がむけていた。触ると少し痛い。
「日に焼けちゃったんで。しょうがないです」
「ホント焼けたよな。背中とかエプロンの紐だなって分かるぐらいはっきり焼けてる」
「っ」
先輩にTシャツの背中を捲らせ、俺は固まる。先輩はスキンシップが多いので、急にされると驚いてしまう。俺はなんだか恥ずかしくて先輩から離れた。先輩はそのことに口を尖らせる。子供のような顔だった。
「悪い悪い。でも恥ずかしがることはないだろ。お客さんの前では裸エプロンじゃん」
「は、裸…エプロンではないです」
それは語弊があるだろう、とは思うが確かにそんな感じがする。
「じゃあ。なんで逃げんだよ」
「え…」
確かにどうして逃げてしまったのだろう。先輩に言われて思う。
「……ショウゴ先輩…だから…?」
俺は疑問形になりながらも、自分の中で出た答えを言った。先輩は憧れの存在で、触られると恥ずかしくなってしまう―――それが答えだった。その言葉に先輩の眼が光ったような気がした。