俺とは対照的に陽人の先輩への初対面の印象は最悪だった。俺が縛られていてそこにはショウゴ先輩しかいないのだから、陽人は怒りの矛先を先輩に向けるのは至極当然の事だろう。先輩に掴みかかり、殴りかかりそうになった幼馴染を縛られた状態で止めるのはとにかく大変だった。
あの時の陽人の顔は忘れられない。激昂したコイツの姿なんて見たことがなかったから。こんな恐ろしい顔もするんだ―――。俺は陽人の知らない一面を知った。綺麗な顔だから余計に怒りの表情はさらに色がつくのだ。
陽人に襲われたわけではなくむしろ助けられたと説明したら、さらに奴は嫌そうな顔をした。先輩はそんな様子の陽人を見てニヤニヤと笑っていた。
陽人が何故嫌な顔をしたのか―――。それはあの俺を襲った大男―――先輩によると堂島(どうじま)が陽人の事を前もって呼んでいたらしい。大切な幼馴染を預かってるから一人で来い…―――。きっと堂島は陽人を大人数でリンチする予定だったのだろう。
急いで来たら先輩がもう堂島をやっつけていた場面だったのだから、消化不良な気持ちは分かる。
だが元はと言えば陽人が堂島から彼女を奪ったのが問題だ。―――しかも飽きたから捨てたし。
それを俺が指摘すると、陽人は項垂れ、素直に「ごめん」と言った。あんまりにも素直に言ったので、一瞬夢かと思った。珍しく分かり易くしょんぼりと肩を落とした陽人にそこまでキツく言えない俺は、なんか許した感じになってしまったのだった。
それから先輩は中学を卒業し、俺も追いかけるように先輩のいる高校へ入学した。陽人は頭がいいのに「近い高校がいい」とよく分からない理由で俺についてきて、周りの反対 (主に先生)を押し切り俺と先輩と同じ偏差値ランクの低い高校に入学した。
リリッシュ―――。それは先輩がリーダーをしている喧嘩グループの名前だった。堂島がやっていたのは『トラ門会』という名前らしい。周りにいたチンピラはまさしく奴の子分だったということだ。
―――トラ門会を馬鹿にすんなあ―――!
子分が先輩にチームを馬鹿にされたのは俺もよく覚えていた。
先輩に入らねえか、と言われて俺は戸惑った。だって、喧嘩グループだ。憧れの先輩からのお誘いでも流石に迷う。だが先輩の話を聞いているうちに、いつの間にか俺は頷いていた。
喧嘩グループとは言っても『リリッシュ』は、そういった喧嘩グループを見つけたらシメる―――それをモットーに活動しているらしい。仲裁人みたいな感じだな、と先輩は豪快に笑った。だから先輩は騒ぎがあったから来てくれたんだな、と納得する。
それに入った大きな理由は、先輩が俺たちを守ってくれると言ってくれたことだ。リリッシュはそこら辺のごろつきでは有名で、リリッシュの名前を挙げるだけであまり関わってこないらしい。魔除けのような感じだな、と先輩は言った。それは絡まれやすい俺と陽人にはうってつけの話だった。
流れで陽人も誘われ、陽人はかなり嫌そうな顔をした。
「俺は入るよ」
先輩の守ってやる発言に感激した俺は先輩に頷く。
「おっ、有人入ってくれるか〜、嬉しいなぁ〜」
「はい! 俺も先輩みたいなかっけえ人になりたいです!」
「あはは、かわいいこと言うじゃねえかぁ〜」
先輩は俺を抱きしめ、肩を胸に摺り寄せた。先輩の手が俺の背中を何度も撫でてくれる。俺は大きな体に包まれ、感動しつつ大きく頷く。友達は陽人ぐらいしかいないので、あまり人とこういった触れ合いはしたことがないが、こういうのがきっと普通のスキンシップってやつだろう。
だって憧れるのも無理はないじゃないか。あんな風に助けられて。あんなカッコイイ姿見せられて、男だったら何も思わないはずはない。自分が女だったら絶対に惚れている。
だが、歓迎ムードの2人を陽人は大きな声を荒げて終わらせた。
「やめろよっ」
「うわっ」
先輩と俺は無理やり陽人に引きはがされた。俺は陽人を睨みつけると、同じく陽人もこちらを睨みつけた。何すんだよ、と言おうとして先に先輩が声を上げる。
「手荒いなぁ〜、陽人…くん?だっけ? お前はいいの? 有人は入るって言ったけど。俺はべつにどっちでも構わないよ」
「………」
そりゃあメンバーが増えた方が嬉しいけどね、と陽人を笑顔で見つめる先輩。まさにその姿は大人の余裕といった感じだ。陽人は先輩をじいっと見た後、俺を一瞥し、何故かため息を吐いた。―――え、なんで?
「わかりました。俺も入ります」
「あ、なんだその態度っ」
陽人がムスッとした表情で、ぶっきらぼうに先輩に言った事に俺はムッとして声を荒げる。すると先輩が俺の肩を叩き「まあまあ」と言った。落ち着いて、落ち着いて、と言われ口を閉じる。ショウゴ先輩に言われちゃしゃあないなあ―――…。
俺はすっかり先輩の男気に惚れていた。もちろんラブではなく、尊敬として先輩にベタ惚れだった。陽人にドン引きされるぐらいに、俺は先輩の事が尊敬し大好きだった。
高校入学前、先輩を真似して髪を赤く染めるって言った時には陽人が「それはやめとけ」と俺を真剣に止めにきた。ご丁寧にどこかで撮った俺の写真の髪を赤くして「似合うわけねえから目え覚ませ」とはっきり言われるぐらい強く止められ、俺はその写真を見て断念した。確かにヤツの言う通り、あまりに似合っていなかった。
それから俺たちは「リリッシュ」に入った。
喧嘩グループのメンバーにはなったが、特に喧嘩が増えたわけでもない。むしろ先輩の言う通り絡まれる機会は減った。…当たり前だが、同級生には喧嘩グループに入ったってことで高校入学当初から俺は浮いていた。
顔面とトーク力と明るさで陽人は喧嘩グループに入っている事実を知られていてもクラスの中心人物だった。むしろ女子からは喧嘩も強くてカッコいいと噂されもっと中学よりモテた。まあ陽人がモテるのは無理はない。
あれから身長が伸びて183センチになった陽人はスタイルも良く、足も長い。俺も陽人と同様に182センチまで伸びたが、平凡なスタイルなので、陽人の隣に立つと敗北した気分になる。高校に入って黒髪から金髪にした陽人は恐ろしい程そのキラキラした髪が似合っていた。
女子たちに「王子様」みたいと言われている陽人の横で、先輩の真似をしてオールバックで赤髪ではなく茶髪に染めた俺は、陰で「古いヤンキー」と言われているのを知っている。モテたくてこの髪形にしたわけではないが、そう言われると流石に傷つく。先輩はめっちゃカッコいいのに何で俺は似合ってないわけ? 顔面力(イケメン力)の違い?
劣等感を抱えている俺を知ってか知らずか陽人は、他のクラスメイトを差し置いて俺に絡んでくる。俺といると評価下がるって分かってんのかな?ってなんて思いつつ、陽人がいなければ同年代の友達がいない俺は絡まれている状況はかなり助かっているが。
少し変わった俺の日常。いつも通り隣にいる俺の幼馴染。日々を過ごし、そして―――今に至る。
だが俺はまだ分かっていない。
時間が経てば人が変わり、状況も変わっていくことに。毎日をそこそこ楽しんでいた俺は、未だにこの夢を見ていたいと、くだらない陽人との言い合いを楽しんでいた。
ある日の夏の日。高校2年生になってそろそろ夏休みだなあとクラス中に沸き立った空気が流れだした頃。
大きな木に張り付き、じわじわと鳴く蝉をジッと見つめていると、尻に衝撃が走る。めっちゃ痛い。
「何、ノスタルジックに蝉なんて見つめてんの? ガキ?」
「うおっ」
痛みに呻きつつ後ろを振り向く。そこには夏なのに一切汗をかいていない不気味な爽やか男―――陽人が居た。奴は半袖のYシャツをズボンから出し、腰パンというだるそうな格好でニヤニヤと笑いながら足をぶらぶらとさせた。目の前の男が俺の事を足で蹴った事は分かりきっているので、大きく睨んだ。
「別にいいだろ…、蝉を見たってなんだって」
「え〜、変な有人〜」
「くっつくなッ、暑苦しい〜」
距離が近い陽人に俺はすぐに離れる。最近妙に身体を接近してきて、一体何してくるか分からない。コイツの事だからロクな事はないだろう。俺が離れると、陽人は目を細めた。そして興味がなさげに問いかけた。
「今日もリリッシュいくん?」
「先輩に誘われたし、行く」
俺が「リリッシュ」という言葉にニコニコして頷くと陽人は反対に口をへの字にした。昨日先輩にメールで「明日来て」と言われて俺は飛び上がって喜んだのは記憶に新しい。
―――それなのに、何だよ、その顔。
「ふ〜ん、」
「お前もくる?」
「…ん、」
俺の言葉に陽人は口をさらにへの字にして小さく頷く。奴は口をへの字にしたまま俺についてくる。気が乗らないなら来なければいいのに、と言いたくなるが言うとこの前凄まじく機嫌を悪くし面倒な事になったので俺はもうそう言うことは言わないようにしている。
きっと先輩に会うのが『恥ずかしい』んだろう。
陽人は認めないが隣でムスッとしているこいつはショウゴ先輩を『尊敬』している。それをヤツの『プライド』が許さないのだろう。二人で不細工な顔をしたまま歩いていたらいつの間にか「リリッシュ」の本拠地であるショウゴ先輩の両親が経営しているピザ屋に着いた。
裏口からノックして入ると、ここ2年でよく会っている面々が顔を出した。
「おっ、ありりん。久しぶり〜」
と、ショウゴ先輩と同級生の丸刈りにした糸目のシゲ先輩が顔を出した。
ありりん、って言うのは…気持ち悪いが俺のあだ名だ。辞めてくださいよって本気で言っているのに、却下され続けている。いつ辞めてくれるんだろ。
「どうもっす」
「あれ、ヨウっちもいんじゃん。入って入って〜」
「どうもです」
ヨウっちと呼ばれた陽人は小さく会釈した。絶対っちのほうがあだ名としては嬉しいはずなのに、陽人は相変わらずむすっとしている。
「有人」
「先輩っ」
俺は先輩のいるカウンター席に飼い犬が飼い主を見つけたように駆け寄った。頬杖をついた先輩は楽しそうに笑い、「よしよし」と俺の頭を撫でてくれる。俺は夢心地で先輩の大きな手を感じていた。まるで先輩はもうこの世にいないお父さんのような包容力と温かさがあった。俺は今までにないような幸せを感じ、うっとりと目を閉じる。
「あ〜あ、あんなに嬉しそうに尻尾振っちゃって…」
「……」
シゲ先輩はニヤついたでふふっと笑う。そして先輩は陽人を見てその笑みをさらに深くしたことを俺は知る由もない。