―――せっかく貰ったものを使わないなんて、悪いよなあ…。
朝8時。学校に行く前に、俺は洗面所で唸るように陽人から貰った香水を見つめる。3回プッシュしたのが悪かったので、1回だけにしよう…。俺は1回自分の身体に向いてかけると、一瞬にして大人びた匂いが広がる。
「…良い匂いだな」
鼻でいっぱい吸い、吹きかけすぎていない香水の匂いを堪能した。
俺はワックスで念入りに自慢のオールバックの髪型をセットする。これが決まると、一日が決まった!って気持ちになる。鏡を見て、カッコよく決まった所を確認し、満足していると時間が経っていた。急いで適当に作った目玉焼きとご飯に、ソースをかけて一気に食べると鞄を持って玄関を出た。
「よお」
今日もギリギリだな、とニヒルに笑って王子様顔の幼馴染が玄関先で待っていた。
…そう言えば、ヨウより先に来たためしがないな俺…―――。
遅刻寸前の俺を待ってくれる陽人は、よほど暇人か寛大な心を持っている。きっと陽人の場合は前者だろうが。
「へえ…ふ〜ん」
陽人は、ふいにニヤっと笑って俺の顔を見た。
「な、なんだよ」
気持ちの悪い笑みで、俺は思わず後ずさる。
「なーんでも」
楽しそうに笑い、陽人は歩き出した。俺はそれに駆け足で追いかける。陽人は振り返り、口を開けた。
「そんなに、モテたかったわけ?」
「はあ…?」
そう言って心底クスクスと笑う幼馴染。俺は疑問符を上げる。少し考えてからヤツの言いたい事が分かり、頭がかあっと熱くなる。俺は身体を震わせながら、叫んだ。
「お前が、寄こしたんだろうがーッ」
バーカ!と、殴りかかりつつ罵声を浴びせると、飄飄と陽人はそれを避けつつ愉しそうに笑った。まるで子供のように。俺はそれを追いかけて教室に着いた頃には息が上がって1時間目の授業なんて耳に入ってくれなかった。
「は〜…ッ」
俺は窓際の席で、ため息を吐きつつ外を見つめていた。何度思い出しても、陽人の言葉がムカついてしょうがない。
今は2限目の10分休み。やはり目玉焼きとご飯だけではお腹がすく。金欠なので、買い食いも出来ない俺は大人しく空腹に耐えることしか出来ない。お腹を押さえ、次の授業の準備をしようとしたところであまり聞きなれない震えた声が聞こえた。
「あ、あの…ッ」
「あ?」
条件反射で睨んでしまって、しまったと思う。
目の前には、クラスの女子2人組みが立っていたからだ―――確か名前は鈴木さんと田中さんだったっけ? 大人しそうな彼女たちは、もじもじと俺を見つめている。え、何何かしちゃったっけ?
「こ、これ…っ」
眼鏡をかけた鈴木さんに、手紙を渡されて合点がいった。
「あっ、あー、ヨ…陽人に渡せばいいの?」
「えっ」
何故かそう言うと、2人は驚いた顔をしていた。そして一気に顔が真っ赤になる。
「あっ、や、やっぱり、いいっです…ッ」
―――え、俺、敬語使われちゃってる? こんなクラスメイトに? やっぱり浮いてるから?
鈴木さんは、俺の持った手紙を奪うと「きゃーっ」と叫びつつ教室から出ていった。思いのほか力が強くて、直ぐに奪われ唖然とする。それを追いかけるように、田中さんが「待ってよ〜」と後を追う。まるで嵐のような出来事に、俺は口を開け出ていったドアを見つめる。
―――な、何だったんだ…?
俺が首を捻ると、隣の席に座っているあまり話したことがないお調子者の井口(いぐち)が、肩を叩いた。
「お前、面白いな!」
何故か爆笑されていて、俺はさらに顔をしかめる。
「…は?」
「鈍感すぎるでしょ! 絶対にアレ、お前に渡したかったヤツだろ〜?!なんで桐嶋宛とか変な事言ってんの!」
馬鹿な俺は井口が爆笑している意味が分からない。だってあれはどう見たって俺宛てではなく、陽人宛てだろう。陽人はモテるからよく俺は昔から伝書鳩役をさせていた。陽人はラブレターの類を見ずに捨てることが多いらしく、ちゃんと見てって言って!と女子に言われたときは辟易したものだ。
結局その時は、ラブレターを陽人を開けさせるまで監視させられ散々な目に遭ったことを覚えている。
「え…お前こそ何言ってんだ…?」
俺が真顔で言うと、井口は机を叩きさらに笑っている。
「もしかして国崎って自分の顔見たことない? お前ってモテる顔してるぞ、喧嘩強いし、告白とかしたら半殺しにされそうだから皆噂してないだけで」
「…嘘だな。そう言って俺の弁当せびる魂胆だろ」
喧嘩強くても、モテまくっている陽人を見ているとそんな甘言は信用できない。まあ、陽人がアホみたいに顔がいいからなのだろうけど。
「ぶっ、そんなアホみたいなことしないって」
そんなことを言ってお前って話したことなかったけど面白いヤツだなぁ〜、と井口は笑った。なんだかんだ言って、2年になってからこんなに長く陽人以外の人と会話したのは初めてだった。…そう思うと俺ってマジ陽人以外、ダチいないんやな…――と悲しくなる。
「ってかさ、香水付けてんの? 良い匂いじゃん」
クン、と匂いを嗅がれて、俺は身体をのけ反らせる。そんな俺の反応に、アーモンド形のくりくりした井口の目が瞬く。そしてバツの悪そうな表情になる。
「あー、ビビった? ごめんって」
「イヤ…つい、ヨウみたいに近づいてイタズラされるかと…」
俺が頭をかいて素直に言うと、明るく井口は口を開いた。
「へーっ、桐嶋ってガキっぽいんだな。もっとすましているヤツだと思った」
お前の前だと違うんだな?幼馴染だからか?―――そう井口が続けたところで始業を知らせるチャイムが鳴り響き、井口は「あ、やべっ」と前を向いた。俺は短髪で明るい色で髪を染めている井口を見つめ、俺も中断させていた教科書を出す作業をする。
やがて現文の先生が入ってきて、授業が始まった。
それから、10分休みの時はちょこちょこ井口は俺に話しかけてくれるようになった。陽人は同じクラスだが人気者なのでいつも10分休みやお昼休みなどは他のクラスメイトに囲まれている事が多い。そんな輪に入る勇気がない俺は自然と一人で過ごす事が多い。
ぼんやりしているといつの間にか時間が過ぎるので、特に「一人ぼっち」を気にしたことはないが、井口とくだらない話しているとあっという間に時間が過ぎる。
物怖じしない性格なのか、「リリッシュ」に入っている俺を気にせず話しかけてくる井口の存在は貴重だった。
夏休みまであと3日―――そんな日の中休み。道に落ちていて拾ったバイク雑誌を見ていると井口が話しかけてきた。
「お前ってバイク好きなん?」
「まあな。…金ねえから今は無理だけど、お金がたまったら免許取りてえなぁ…」
バイクに乗るのは子供の頃から夢だった。今の自分の貯金では到底買うことは出来ないが。
「そうなんだ。免許ってとるのに10万以上かかるし、今バイトしてんの?」
「いや…うちんち、バイトやっちゃいけねーんだ」
俺は俯いて答える。母さんはバイトをするんだったら、勉強をしなさいと言ってバイトをすることを許してくれない。勉強して中の下である俺はバイトをしてもそこまで変わらないと訴えても聞き入れてくれなかった。毎月貰える5000円でなんとかやりくりしている状況なので、ハッキリ言ってキツイ。満足にバイク雑誌も買えない状況だ。俺の言葉に井口は驚いた。
「え?! じゃあ、短期のバイトとかもできないわけ? 国崎んち、厳しいなぁ」
「そこら辺は聞いてないけど…どうだろ?」
「じゃあさ、許可とか出たらでいいからさー。夏休み中だけでいい海の家のバイト一緒にしねえ? 親戚に誘われてて友達連れて来いって言われてんだけど、どう?」
「…っ」
友達、と言う言葉に俺は顔を真っ赤にする。そんな俺に気づかない井口は「ねえねえ」と迫ってきた。手で押しのけようとした瞬間、悪友の女子にモテる甘い声が響いた。
「へ〜、海の家のバイトかあ」
どっから湧いて出たんだ?!―――俺の机に無遠慮で手を置き、大きく頷く幼馴染の登場に俺は思わず身体をビクつかせた。そしてつい大声をあげてしまう。
「うわっ、ヨウ! 驚かせんなよっ」
「あ、桐嶋もやらねえ? イケメン募集中なんだ、時給は結構いいからさ〜、よかったらやってくんね?」
「…有人が行くなら行こうかな」
「は?」
なんでお前も来るんだよ!
そんなことを井口がいなかったら言ってしまっていただろう。
困惑している俺を一瞥し、陽人はニッコリと笑う。俺には分かる。完全に猫を被っている笑みだ。井口はその笑みに騙され、奴に好感を抱いたようだ。ぱあっと顔が明るくなると、頭を陽人に対して下げた。
「おっ、じゃあ親御さんの説得頼んだ!」
「おう」
陽人は完璧な笑みを浮かべて俺をじっと見る。そして先程の笑みとは違う笑みで口角を上げた。俺は何となく今までの経験上嫌な予感しかせず、楽しそうに見つめる幼馴染の視線に目を逸らし続けた。